戯曲『メアリー・ステュアート』は、フリードリッヒ・シラーが18世紀末に記した同名作の翻案として、イタリア人作家:ダーチャ・マライーニが1975年に発表。日本では宮本亜門の演出により、1990年に麻実れい・白石加代子の出演で初演、2005年には南果歩・原田美枝子という顔合わせで話題を呼んだ。その“伝説”の二人芝居が、2015年夏、10年ぶりにパルコ劇場で上演される。今回は中谷美紀と神野三鈴という《今もっとも輝いている女優》のカップリング。さらに、演出を新進気鋭のイギリス人演出家に託すという試みにも注目が集まっている。
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パルコ劇場プロデューサー:毛利美咲は、この『メアリー・ステュアート』を「もともと好きな戯曲だった」と話す。この10年間「またいつか上演したい」と思い続けていたという。「ただ、これは“いつでもできる”作品ではないんです。絶対的俳優の力量が必要な作品なので、これを演じられる女優に出会えるかどうか。『いつかやりたい』という思いをずっと抱いていた中で、ようやく出会ったのが《中谷美紀》という女優だったんです」
また、10年前とは別の角度からこの戯曲を見られるようになったのも、上演のきっかけだったとのこと。
「戯曲には《女性が社会の中でどう振る舞うべきか》が描かれています。社会や意識がだいぶ変わったとはいえ、絶対的なものは16世紀も10年前も今もそれほど変わっていない。でも、私自身が社会をどう捉えるかは10年前とは違っていることに気づいたんですね。そんな今、この戯曲はどう見えてくるんだろうという個人的興味もあった」
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今回、演出に日本人ではなくイギリス人を迎えた理由については、
「『英国の歴史が血肉の中にある人間が、この戯曲を現代的に演出したらどうなるんだろう』という好奇心がすごくあったんです。日本人とは違う視点を持つイギリス人の演出家が、どんなふうにこの戯曲をとらえるのか。
最初、演出家も女性にしようかとも思ったんですが、女性だけで固めてしまうと何かが欠けてしまうんじゃないかと」
そこで依頼したのが、イギリス人若手演出家のマックス・ウェブスター。
彼は、パリのジャック・ルコック国際演劇学校で演技を学び、イギリスの“鬼才”として知られるサイモン・マクバーニーの元で演出アシスタントを務めたキャリアも持つ。
毛利氏曰く、「理論だけでなくフィジカル面での経験もあって、このプロジェクトには適任。イギリス演劇界でも、これから絶対に注目される人材」。
そんな彼と、共に来日中のセットデザイナー:ジュリア・ハンセンに、今回のプロジェクトや作品の魅力、演劇に対する考え方などについて訊いた。
――今回、演出依頼を受けた理由は?
マックス・ウェブスター:以前から、日本と日本の文化に非常に興味がありました。それに、パルコ劇場はイギリスでも有名です。ここで多くの良い俳優がパフォーマンスしてきたことも知っていましたし、パルコ劇場で仕事をした私の知人も「すごく楽しい経験だった」と話していました。
ですから、今回オファーがあったとき、そういう素晴らしい劇場で日本の才能豊かな女優さんと仕事ができるなんて、すごくエキサイティンクだと思ったんです。
それに、『メアリー・ステュアート』という戯曲が、私がこれまでやってきたのとは違うタイプの作品だと感じたのも理由ですね。二人芝居なので、役者のパフォーマンスの質が出来を左右します。とてもやりがいがあるし、自分にとって「挑戦」にもなると思いました。
――演出家として、この戯曲のどんなところに魅力を感じましたか?
マックス:この戯曲は「対比」に満ちています。核心にあるのは、自分の務めや使命を果たすことに全力を注ぐ人間どうしの緊迫した対立関係です。
エリザベスは傑出した女王で、国の繁栄のためにプライベートを全て犠牲にし、優れた政治家・外交官として働くことに人生を捧げます。一方、メアリーも女王ですが、彼女の優先順位や価値観はエリザベスとは全く違います。愛・人間関係・感情――それらを自分の人生の一部としながら女王として生きることを望むのです。
現代でもこういうジレンマに悩んでいる人は多いですよね。仕事とプライベートの両立とか。
この戯曲では、対照的な二人の人生がイキイキと描かれ、彼女たちの愛・パワー・情熱・感情が感じられます。ですから、彼女たちのジレンマや状況に一体感をおぼえるというか共感できるんです。それは、おそらく皆さんも同様に興味深いものなのではないでしょうか。
――今回の演出のコンセプトについて、可能な範囲で教えてください。
マックス:この作品では、メアリーと彼女の乳母、エリザベスと彼女の侍女という4つの役を二人で演じます。女優二人に課されるものが多い作品なので、果たしてどれだけのことができるのか、彼女たち自身のチャレンジを目にするだけでも楽しめるでしょう。
物語は二人の女性が舞台に立っているシーンから始まり、次第に彼女たちの間にある「ドラマ」が見えてきます。
アリーナ(競技場)もしくはプラットフォーム(演壇)に見立てた舞台で、二人は常にバトルをしていて、いつまでもその空間から出られない。ケンカか討論会か、あるいは牢獄のような感じで、お互いに逃れられない状況は非常にドラマチックです。ジュリアがデザインするセットとワダエミさんの衣裳が加われば、さらに美しさが増し、劇的なストーリーをビジュアル化された言語として観客に伝えられると思います。
また、「音」も非常に重要です。この作品では、女王たちの歴史に焦点を当てながら2015年の現代が抱える問題も取り上げたいと思っています。ですから音楽も、クラシックとコンテンポラリーのミックスにしたいですね。
今回はリュートの生演奏が入るんですが、ルネサンス調の曲もあれば、サウンドデザイナーの内田学さんの手で時にすごくモダンな音にもなるはずです。全体的に新旧の刺激的なミックスが実現できれば、と。
――ネパール、南アフリカ、アルゼンチンなど、母国イギリス以外での演出経験も多数。初めて日本語の舞台を演出することについては?
マックス:もちろん自国で演出するのとは違います。通訳を介するので、コミュニケーションに時間がかかるという問題はありますね。
文化だけでなく、マナーや取るべき態度・ふるまいなども国によって異なります。でも、人の「心」はどこの国でも同じだと信じています。自分や相手の感情に対する理解があれば、日本人の俳優・観客ともコミュニケーションが取れるはずです。コミュニケーションは結局、人間同士のものなので。
私がイギリスで日本のパフォーマンスを観た時も非常にエキサイティングだと思いましたし、言語や文化など表面的な違いはあっても、作品が心に訴えるものはどの国でも同じだと思います。
――演劇にとって「もっとも大事なもの」とは?
マックス:ただひとつ、「今、観ているものが生きているかどうか」です。
舞台では次々にいろんなことが起こりますが、それらと自分がどう繋がり、生(なま)の関係性を持てるかが大事。立派な美術の中で俳優がキレイな衣裳を着て素敵なセリフを言うだけだとか、ただ批判ばかりが見えるのは“死んだ”演劇です。
一番大切なのは「そこ(舞台)に生きたものがあるか」「電流が走っているか」ということ。観客が舞台上の人々と共に在り、物語を共有できるか。劇場を出た後も、血液の中に入り込んで体内を駆け巡るウィルスのごとく、観客の中に残り続けるものがあるか否か。演劇は、そういう「深淵な悦び」だと思います。
――そうした中で、演出家が果たす役割はなんだと思いますか?
マックス:演出家は「観客に見せる前の“観客”」です。
俳優やスタッフのアイデアや想像力を引き出し、整理する。それらを組み合わせて、客が体験できるものに作り上げていく。セリフ・ストーリー・視覚効果・音響など様々な要素を揃え、それらを食材のように使って料理する。その「料理」を最初に味見するのが私(演出家)です。音響に“塩”が不足していないか、衣裳から“砂糖”が出過ぎていないか、常に試食し続ける。劇場で観客にどんな体験をしてもらうのか、幕が開いたときに観客が何を見て何を聴き、どう感じるのかを考えながらね。その「体験」こそ、演劇の生命線ですから。
――『メアリー・ステュアート』の舞台は16世紀のスコットランドですが、ジュリアさんは今回、どんなコンセプトで美術プランを立てていますか?
ジュリア・ハンセン:本作参加の依頼はとても光栄でしたが、最初に悩んだのが、物語の時代に沿った美術が必要かどうかでした。
でも、マックスとは早い段階で話し合って、「このプロジェクトでは、文化の違いや男女の性差といった、現代に通じる問題もテーマ。だから、美術も現代にリンクさせることが重要だ」という結論に達したんです。
そこで、テイストを抽象的にするかモダンにするかというよりは、物語の中の女王をまず「ひとりの女性」として捉え、対照的な二人の女性の本質を探っていくことを目指しました。
それと同時に、「時」を見せることにもこだわりたいなと。
この作品はストーリー自体が素晴らしく、過去の出来事でありながら、同じ人間として現代にも共通するものがあります。また、物語の中でもたくさんの時間が流れていることを感じてもらえればと思っています。
――衣装デザインはワダエミさんが担当されますが?
ジュリア:ワダエミさんは世界的にも有名な衣装デザイナーで、私にとって彼女は心から尊敬する憧れの存在です。
今回、一緒にお仕事できると聞いたとき、「衣装は・・・えっ、ワダエミさん!?ホントに!?どうしよう!どうすればいいの、私!?」って、それだけでもうすごく興奮してしまって(笑)。演劇はチームワークなので、彼女と同じチームで何かを伝えられるということがとても嬉しいです。
初めてお会いしたときもすごくフレンドリーで、はるかに後輩の私たちの話をじっくり聞いて理解しようとしてくださって。こちらがコンセプトやアイデアを説明すると、すぐにそれらに基づいたプランを練っていただいたりして・・・世代間のギャップは感じませんでした。
彼女にはすでにたくさんのキャリアがありますが、生地や素材の話をすると目に光が宿るんです。彼女の演劇や作品に対する情熱が伝わりました。
――演出家のマックスさんから見て、ジュリアさんはどんなデザイナーですか?
マックス:ドラマツルギー(社会学的観察法)に基づきながらも、非常に刺激的なセットを作る方ですね。
完成された美しさを目指すだけではなく、演出の意図をどう見せるか、その核心部分まできっちり考えてくれる。その上で、とても詩的な美術を作り上げるデザイナーだと思います。
――日本の演劇についてどのような印象をお持ちですか?
マックス:それほど日本の演劇を観ているわけではないので、的確に答えられるかわかりませんが・・・。
ヨーロッパには、それこそ日本の伝統芸能もコンテンポラリーな作品もやって来ます。
イギリスで日本の演劇を観た限り、個人的な印象としてですが、日本にもイギリスにもたくさんの演劇手法があって、伝統を取り入れながら作っているところは似ています。どちらの国の演劇も、そう大きく変わらないのかもしれません。
――初めて日本で芝居を作ることになるわけですが、ヨーロッパで製作する場合との違いは感じますか?
ジュリア:オファーをもらったときにまず感じたのは、「ドイツ人である私とイギリス人のマックスが、日本人の女優さんたちと芝居を作って日本で上演する」、そのコンビネーションだけですごく面白いということ。
ただ、日本の観客がどういう感じなのかは気になりました。コンセプトを考えるときに「観客がどんな人たちか」は重要な問題です。日本人のお客様に見せるというのはやはり、ドイツ人やイギリス人に見せるのとは違いますからね。
例えば、「セットにテーブルを使いたい」と思ったとき、この「テーブル」は私にとってどういう意味を持つのか、マックスや女優さんたちやエミさんにとっては何なのか?観客にとってはどうだろう?これを使うことで同じ物語が伝わるのか?それが悩みどころでもあり興味深いところです。
観客に伝わらないと意味がありません。観ている人には、作品と繋がり、作品の一部になっていただきたいし、想像力を刺激して考えてもらう必要がある。そうすれば、さっきマックスが言ったように、舞台が終わった後も、劇場で体験した「何か」が残るはずだから。
マックス:以前ネパールで演出した作品に、ある王が身分を隠すシーンがあったんですが、ご飯(ライス)の食べ方で彼が王族だとバレてしまうというくだりで、現地の俳優が「胸元からスプーンを取り出して食べるべきだ」と言ったんです。私にはその理由がわからなくて、「なんでシャツの胸ポケットから出したスプーンで食べると王様なの?それってヘンじゃないか?」と思いました。私だっていつもスプーンでライスを食べてますから(笑)。
で、いざ本番を迎えてみると、そのシーンでネパールの観客は「あ、あの人が王様だ!」ってすぐに気付いたんです(笑)。ネパールの文化では、上流階級の人しかスプーンでライスを食べないそうで。
あるものは普遍的・世界共通だけど、文化に根付く独特な行動もある。だからこそ、作品づくりの段階ではその国の文化を大事にしなければいけません。日本ではどう見えるのか・どんな意味を持つのか・どうすれば効果的に伝わるのかを、チームでよく話し合うことが不可欠です。チームがきちんと機能すれば、国や言葉が違ってもうまくいくと信じています。
――中谷美紀さんと神野三鈴さん、お二人の印象をお聞かせください。
マックス:去年、ワークショップを一週間おこないましたが、二人とも素晴らしい女優さんです。
二人は全く違うタイプで、異なるエネルギーを持っています。考え方も身体の動き方も違う。それでいてお互いに尊敬し、刺激しあう関係。すごく良いのは、どちらも一緒に仕事するのを楽しんでいること。
彼女たちも私も、この作品に挑戦することを非常に楽しみにしています。
ジュリア:中谷さんは映像、神野さんは舞台をメインに活動していますが、そんな二人が一緒になったときにどういうハーモニーが生まれるのかに関心がありますね。
彼女たち自身にも社会的立場や私生活があると思います。本作のテーマは現代女性の生き方にも通じるものなので、二人が女王を演じる中で、マックスと共に、自分の中にあるフェミニンなものや演技をどうやって引き出すのかにも興味をそそられます。
――『メアリー・ステュアート』の見どころは?
マックス:登場人物たちとの強い結びつきを感じてほしいですね。
非凡な二人の女性に出会って恋をしてほしい。彼女たちと共に、喜びや苦しみを感じてほしい。メアリーとエリザベスは、我々を含めた古今東西の人々と同じように喜び、苦しみ、自分の弱さを恥じている。女王である彼女たちと私たちは同じなのだと感じてもらいたいです。
ジュリア:今回の戯曲は何百年も昔のお話ですが、人々が抱える問題は今と同じです。歳を取ること、自分の人生を見つめること、成功するとはどういうことか、下してきた決断は正しかったのか――。テーマは人間的で普遍的なものです。
二人の女王は全然違うタイプなんですが、私自身、女性として、自分の内面全てが彼女たちに投影されているように思われます。観客も、彼女たちが直面する問題は自分の問題であり、二人が発する言葉も自分自身の言葉であるということに気づくのではないでしょうか。
――では最後に・・・ジュリアさんは、同じ女性として、メアリー・ステュアートとエリザベス1世、どちらの生き方に共感されますか?
ジュリア:二人を見ていると、「あぁ自分でよかった」とは思いますけど(笑)。
メアリーは今の私と同じ年(44歳)なんですよね。メアリーの考えや生き方には、「そうよ、あなたが正しいわ!」って思うことも多いんですが、「間違ってる」と思うことも「かわいそう」だと感じることもある。
エリザベスの人生のほうが困難だと思います。罪悪感を抱えて生き続けなければならないから。
一方、メアリーは自分の人生を思うように生きたと思うし、その死にも意味がある。この作品でメアリーの死をどう描くかはこれから話し合われると思いますが、とても楽しみですね。
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ちなみに、メアリー役の中谷美紀は自分をエリザベス的だといい、エリザベス役の神野三鈴は自分をメアリーに近いと感じているという。
戯曲『メアリー・ステュアート』では、常にお互いの存在が「鏡に映った自分」のように対を為す。
本作上演の際には、出演する女優の素顔やパブリックイメージとは真逆の配役になっているのも定例であり、今回も見どころのひとつとなりそうだ。