2011年、「舞台の女王」との共演
太宰治の小説『正義と微笑』の中に、こんな一節がある。
「ミルクを一口飲んだくらいの甘さを体内に感じて」
田代万里生の印象は、まさにこれだ。
関連記事:ミュージカル『CHESS』アービター役 田代万里生からメッセージ!
田代を初めて間近で見たのは、2011年、『ボニー&クライド』の製作発表記者会見だった。このミュージカルで描かれるボニーとクライドは、1930年代、アメリカに実在した2人組の強盗で、映画『ボニーとクライド/俺たちに明日はない』のモデルでもある。
実は取材前に、タイトルロールのクライドを田代が演じると聞いて、正直驚いた。というのも、相手の恋人・ボニー役が、当時、劇団四季を退団したばかりの元トップ女優・濱田めぐみだったからだ。
私は、俄然、田代に興味がわいた。もちろん予備知識として、田代がオペラ歌手の父と、ピアニストの母の間に生まれ、東京藝術大学音楽学部声楽科出身、『マルグリット』のアルマン役でミュージカルデビューし、『エリザベート』でルドルフ役を演じるなど、「期待の若手ミュージカル俳優」であることは知っていた。
「クラシック出身の高貴な歌い手」
「上品なキラキラした王子様役がぴったり」
イメージとしては、そんなところだろう。
だが、相手はあの濱田だ。「舞台の女王」と互角に渡りあえると判断された田代は、どれほどパワフルなのだろう? 豪然たる人物なのか?
左)ボニー役 濱田めぐみ、右)クライド役 田代万里生
2012年「ボニー&クライド」
演出:田尾下哲、撮影:渡部孝弘、写真提供:ホリプロ
ところが、私の予想は大きく外れたのである。劇中の衣装で登場した田代は、外見こそスタイリッシュなスーツに身を包んでいたので、一瞬「ずいぶんアグレッシブなんだな」という印象を受ける。しかし、田代がひとたび口を開くと、その声は軽く、明るく、ななめにかぶったハットから時折のぞく目は、あまりにも柔和だ。力強い濱田とは対照的に、穏やかで甘い。
しかし、その「甘さ」は、「上品な王子様」の持つ甘さとは違う。「王子様」の「甘さ」は、一歩間違えると「苦労知らずゆえの甘ったれ」になってしまうが、田代の甘さには、どこか確固たる芯があって、確かな何かに裏打ちされた軸から繰り出されるものだと感じられたのだ。
この「甘さ」は何だ?
スチール記者として、田代が朗々と話す様をカメラに収めながら私は考えた。
砂糖の甘さ。はちみつの甘さ。野菜の甘さ。
どれも違う。
次の瞬間、私の脳裏には『正義と微笑』の一節がよぎった。
そう、田代の甘さは「ミルクを一口飲んだくらいの甘さ」だ。さわやかに、なめらかに、のどごしよく、生物を育てる源だから、体内に含めばどこかほっとする。
おもしろい俳優だなあ、と思った。ミルクのような甘さを持ち合わせつつ、エネルギッシュな濱田をさりげなくサポートし、かつ対等だ。アンビバレンツな要素が内在しているのに、ものすごく自然に見える。
田代万里生のもつ“説得力”
その後も田代は、フランスのシャンソン歌手・エディット・ピアフをモデルにした『ピアフ』では、大竹しのぶ演じるピアフの恋人・イヴ・モンタン役を堂々と演じ、1920年代に実際に起きた殺人事件をモチーフにした『スリル・ミー』では、罪に手を染めていく同性愛者の大学生「私」に扮し、次々と快進撃を続けていく。そして2014年、『トゥモロー・モーニング』で演じた結婚を控えた青年ジョン役、金にうるさいごうつくばりの『スクルージ』の青年時代役に対し、菊田一夫演劇賞・演劇賞を受賞。こうして名実共に立派な「ミュージカル俳優」となる。続いて今年2015年には、キャストが刷新された『エリザベート』で、自らがかつて演じたルドルフ皇太子の父・フランツ・ヨーゼフ役を好演。新たな境地を開いた。
クライドしかり、「私」しかり、個人的に、田代は犯罪者を演じると、その長所がより一段と光る気がする。一見、ミルクのような甘い雰囲気から、犯罪とは程遠い印象を抱かせるのに、田代が転落するまでを演じるプロセスには、妙な説得力があるのだ。
そこには、「すべての人間には善と悪の二面性が備わっている」という定説が横たわっている。どんなに善良な人間でも犯罪に手をそめる可能性はあるし、つまり私たちは、だれもが罪とは常に隣りあわせなのだ。田代は、その二面性を体現するのが実にうまい証拠なのだろう。
関連記事:ミュージカル『CHESS』 アービター役の田代万里生にインタビュー!「アービターは“チェスそのもの”という存在」
もうじき、田代がチェスの世界大会の審判・アビーターに扮するミュージカル『CHESS』がやってくる。ABBAが書き下ろしたこのミュージカルは、米ソ冷戦時代を舞台に、チェス=人生をかけた者たちを描く。そこで田代は、彼らを冷酷に支配するキャラクターという、いままでの田代のイメージとは程遠い役に挑戦する。それでも私は思うのだ。アビーターになりきった舞台上の田代の、ミルクのような甘さは、きっともっと大胆に、ますます艶を帯びているはずだ、と。