1947年のパリ・モンマルトル。郵政省で働くデュティユルは、公務員として“普通の人生”を送っていた。そんな彼がある日突然、壁をするりと抜けられる“壁抜け男”になってしまう―。
東京・自由劇場で上演中の『壁抜け男』。『シェルブールの雨傘』等の作曲でも有名なミシェル・ルグランの美しい旋律があたたかく響く劇団四季のレパートリー作品だ。
本作でデュティユル役を演じる飯田洋輔に話を聞いた。
関連記事:実力派キャストが魅せる!劇団四季ミュージカル『壁抜け男』開幕レポート!
「今回は特に“テンポの良さ”を心掛けました」
――2年振りに飯田さんのデュティユルを拝見して、深化がすごいと感じました。
本当ですか?ありがとうございます!基本的に舞台上でやっていることは2年前と同じなのですが、回数を重ねるうちに肩の力が抜けて、より自由にあの空間に存在できるようになった気はします。演じていて“楽しい”と思える瞬間も増えてきました。
――今回は演出スーパーバイザーとして、佐野正幸さんがカンパニーに参加なさっています。
佐野さんはご自身が画家役を演じられた経験もありますので、作品のことを深く理解した状態で僕たちにも向き合ってくれました。今回は音楽も芝居も「テンポ良く」表現することをより強く求められ、その点はいつも胸に置いて歌ったり、演技をするように心がけています。また、佐野さんご自身が俳優としてのキャリアが長い方なので、仕草や身振りが客席からどう見えているのか、どうすれば意図した思いとリンクした動きになるのかという点についても、具体的なアドバイスをたくさんしてくださいました。
――ミシェル・ルグランの繊細なスコアに乗った歌詞が「台詞」として観客に届いてくるのも『壁抜け男』の魅力のひとつですよね。
その点に関しては、今回も徹底的にやりました。元々、劇団四季には「母音法」というメソッドがありますので、それを踏襲しつつ、楽譜の音階と、日本語のイントネーションとをいかに違和感なく融合させていくか・・・・・・これには苦心しましたね。多分、舞台上ではどこも自然な流れになっていると思うのですが、実は日本語歌詞ならではの工夫をしている箇所が無数にあるんです。これはね、追求し出すと大変なことになるんですよ(笑)。
――緻密な作業とお稽古の中で、佐野さんの存在は大きかったのでは?
それは本当にそうですね。佐野さんは歌い手としての先輩でもありますので、僕たちの生理を分かった上でお話してくれるんです。「これだと歌詞の語感がおかしくなっちゃうから、音に明暗を付けてみよう」とか「歌いにくいのは分かる。でも、もう少し工夫すればいけるはず」とか。俳優に共感しながら稽古を進めてくださるのはありがたかったです。
稽古時間に関しても、喉を酷使しないよう、声を出す時間のリミットをある程度決めて、残りの時間を動き中心の稽古や楽譜の解釈にあてるという方法を取っていただいたので、身体に負荷がかかり過ぎない状態で作品や役と向き合えたと思います。さすがに劇場に入ってからの稽古では、そこからさらにブラッシュアップできるよう、自分に追い込みもかけましたが。ただ、僕自身が高校生の時に観て以来、『壁抜け男』は大好きなミュージカルのひとつですので、どんな稽古も楽しいんです。そのツアー公演で佐野さんの画家も拝見しているんですよ。
突然やってきた大きなチャンス
――その頃からのご縁がこういう形で繋がっていくって奇跡みたいなことですね。
佐和(由梨)さんのM嬢も、有賀(光一)さんの新聞売りも、当時は客席で観ていましたので、その方たちと一緒に大好きな作品に参加できるなんて幸せですよね。18歳の時に初めて観劇して、音楽の素晴らしさに完全にハマってしまい、当時販売されていたビデオをすぐに買って、自宅で達郎(=弟・飯田達郎)とふたりで何度も何度も見ながら、歌詞も旋律も全部覚えたんです。
――そしてある時期、チャンスが。
そうなんです。東京藝大在学中より劇団に参加させてもらい、その後もいろいろな役をやらせていただいている中で、ある時、舞台の本番終わりに電話がかかって来たんですよ。
――電話の内容は?
劇団からで「デュティユル、やれるか?」って(笑)。本当に突然のことでしたし、当時は他の舞台に出演中で、その時期、特にちゃんと『壁抜け男』の勉強をしていたわけではない・・・・・・でも、歌詞は全部入っているし、旋律もほぼ大丈夫。やれるか?と問われて、すぐに「はい!」とは答えられないけど、チャンスがあるなら挑戦したい・・・・・・そんなぐるぐるした思いを抱えて、劇団に向かいました。
そこで「まずは2曲聞きたい」という演出家の意向もあり、初めて実際のスコアを手に取りました。18歳の時から、数え切れないくらいビデオを見ていましたので、音取りもスムーズに終わって「タイプを打つデュティユル」と「壁抜け男のソロ」の2曲を歌ったんです。
――結果は?
演出家から「じゃあ、やってみるか」と言われ、稽古に入ることになりました。
――すごいエピソードですね!デュティユルは語るように歌いますし、飯田さんが四季で演じていらした役柄の中でも珍しいキャラクターだと思いました。
そうなんですよ(笑)。特に唱法ということに関しては、大学で学んだこととは全く違う方法論でやっています。少しポップスの要素も取り入れていますし、おっしゃるように旋律を大切にしながら“台詞として歌う”ことが特に重要な作品ですから。
今回、僕は公演委員長もやらせていただいているんですが、全体を先頭に立って引っ張って行くというよりは、カンパニーの皆に支えられて、何とか役割を務めさせてもらっているという感覚です。舞台のラストで、デュティユルが他のキャストのコーラスに支えられて歌うのと非常に近いですね。
「オーケストラの方たちとも一緒に“芝居”をしています」
――今回、音楽も生演奏になっています。やはり録音したものとは違いますか?
僕の中では全然違いますね。常に演奏の方たちとセッションしながら舞台に立っている感じです。例えば、デュティユルが初めて“壁抜け男”になった時、ピアノの奏者からは全く僕の姿が見えないんです・・・・・・モニターも設置されていないですし。だからあの場面は、ピアノの方が舞台上の気配を感じ取って“第六感”で弾いてくださっているんですよ。そんなこともあって、劇場で稽古が始まった当初はなかなか呼吸が合わなかったのですが、今はもうバッチリです(笑)。ピアノ奏者の方も“芝居”してくれているんですよね。
――自由劇場の濃密な空間と生演奏とが相まって、舞台も客席も、とてもあたたかい空気で満たされていると感じました。飯田さんは本公演で基本シングルキャストとして舞台に立たれますが、喉や身体のケアはどうなさっていますか。
基本的には普段通りです。あまり神経質にならず、できる予防策を取りながら、普通に生活していますよ。これまで10年間劇団の舞台に立つ中で、どんな状況でもプロとしてクオリティを保てるよう、経験を積んできました。ロングラン作品に出演させていただいた経験も大きいですね。
――デュティユルはある日突然“壁抜け男”になりますが、もし飯田さんが突然女性になったとしたら、四季の作品でどの役を演じてみたいですか?
おお、そう来ますか(笑)。いや、女性だったらやってみたい役はいろいろあるんですけど、今は『ウィキッド』のエルファバが歌う「自由を求めて」を原曲のキーで歌えるよう練習をしているんですよ。一幕ラストでエルファバが空に飛び立つ時の「あーあーあー」を楽に出せるようになったら、自分の高音域が伸びるんじゃないかと思って。いつか、エルファバ役のオーディションに参加させて貰う勢いで頑張ってます(笑)。
あとはやはり、ディズニープリンセスに憧れますね。先日『リトルマーメイド』を観に行ったんですけど、小さな女の子たちがアリエルのグッズをたくさん持っていて、何だかほっこりしました。
――そして、舞台が続く中のリフレッシュと言えば、アレですよね?
ですね(笑)。一時期は体調のことも考えて、大好きなラーメンを控えていたのですが、最近また復活して、お気に入りのお店で幸せな時間を過ごしています。ラーメンに関しては、新規開拓というより、同じお店に長く通うタイプなんです(笑)。
――貴重な情報、ありがとうございます(笑)。『壁抜け男』千秋楽まで、パリの風を自由劇場に吹かせてください。
『壁抜け男』は普段、ミュージカルにあまりご縁がない大人の男性にも楽しんでいただける作品だと思います。フレンチミュージカルのお洒落さや、ミシェル・ルグランの繊細でありながら耳に残るスコア、少人数カンパニーと生演奏のコラボレーションなど見どころも満載ですし、観終った後に、胸に優しい気持ちが広がるミュージカルです。劇場で余韻を楽しみながら“人生”について、ひと時の思いを馳せていただければ幸いです。
マチネ終演後にインタビュー会場に現れた飯田洋輔。さっきまで繊細でどこか気弱とも思えるデュティユルを演じていたのが嘘のように“陽”のモードで語ってくれた。
10代の頃に観て衝撃を受けた作品で憧れの役を演じるという奇跡・・・・・・これは誰の身にも起きることではない。彼はたゆまぬ努力と実力とで幸運の女神の前髪を掴み、今も“壁抜け男”としてあの濃密な空間に立っているのだ。
人生はつらく大変なものだと感じて日々を生きる大人たちの心にこそ、本作のメッセージでもある「人生は素敵 人生は最高」というフレーズが、切ないメロディとともにがっしり刺さる。
ぜひ劇場で、少人数のカンパニーと生演奏とのコラボレーションで生まれる、大人のミュージカル作品を心ゆくまで体感して欲しい。
◆劇団四季ミュージカル『壁抜け男』
2016年11月13日(日)まで東京・自由劇場にて上演中
(撮影/高橋将志)