12月11日(日)、四季劇場[秋]にて初日を迎える劇団四季の新作ミュージカル『ノートルダムの鐘』。9日(金)、10日(土)のプレビュー公演を前に、同劇場で各役候補者による最終舞台稽古が行われ、報道陣にその全貌が公開された。本ゲネプロの模様を、撮り下ろしの舞台写真とともにお伝えしたい。
なお、本文には物語の展開や演出についての表記も含まれているため、その点をご留意いただければ幸いである。
(C)Disney
舞台は1482年のパリ。この地に建つノートルダム大聖堂で鐘つき役を務める青年・カジモド。彼は生まれつき身体に負荷を背負い、大聖堂の塔で孤独に生きている。そんな彼を支配するのは大助祭のフロローだ。フロローはある事情からカジモドを育てたのだが、彼を一人前の人間として扱ってはいない。
年に一度の“道化の祭り”の日、カジモドは楽しそうな外の空気に堪えられず、街に出掛けて美しいジプシーの娘・エスメラルダと出会う。同じく祭りの場でエスメラルダに強く魅かれるフロローと大聖堂の警備隊長・フィーバス。祭りのムードが最高潮に達した時、ジプシーの親玉・クロパンの声掛けで“もっとも醜い仮装をした者”としてカジモドが選ばれてしまう。
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衆人の前で吊るされ、トマトをぶつけられるカジモド。そんな彼をエスメラルダが助け、ふたりはカジモドが住む塔へと昇る。一方、フロローは自らの内に芽生えたエスメラルダへの想いと、聖職者という身分に挟まれ苦悩していた―。
シンメトリーな舞台装置。上手、下手ともに3体の石像が置かれ、舞台上部には7つの鐘、そして舞台奥の上段には8人×2組のクワイア(聖歌隊)が常に控えている。
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この日、カジモドを演じた飯田達郎は、純粋な心で一途にエスメラルダを想い、次第に自らの内にある炎を燃やしていくさまを繊細に魅せる。エスメラルダとともに塔に昇り、初めて他者と心が触れ合った瞬間の笑顔には強く心を打たれた。11月の会見では、高音をしっかり出すのが課題と語っていた飯田だが、カジモドの感情とスコアとをしっかりリンクさせ、心に響く歌声を聴かせた。
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映画版とミュージカル作品とで、もっとも違いが出たのがフロローの造形だろう。本作では、なぜフロローがあそこまでエスメラルダに執着するのかが、彼の過去を描くことで、より明確に示される。芝清道は、聖職者としての顔と、無意識に青年期のトラウマに縛られる男性の顔とを緻密な演技で表現。本キャラクターを完全な悪役として演じるのではなく、権力を握りながらも内に弱さをたたえた人間として構築したことがしっかり伝わってきた。
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エスメラルダ役の岡村美南は、しなやかなダンスと伸びやかな歌声で鮮やかにヒロインを務める。“強さ”をストレートに押し出すのではなく、芯の強さとして見せる造形が魅力的だ。彼女もカジモドと同じく、孤独な魂を抱え、ひとりで生きてきたのだと、岡村の演技を見て改めて実感した。
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本作『ノートルダムの鐘』を観劇し、非常に“演劇的要素”が強いミュージカルだと感じた。11月の稽古場公開の際に、演出のスコット・シュワルツ氏が語った通り、派手な仕掛けやショー的要素で見せるのではなく、そこで起こる人間ドラマが深く、丁寧に描かれているさまが心に刺さる。
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その“演劇的要素”を支える大きな要因のひとつが、男性8名、女性4名のアンサンブルの存在である。彼らはコロスとしてナレーションを担当しながら、カジモドの心の中にいる友だち=石像のガーゴイルやジプシー、パリの街の人々、国王、売春宿のマダムなど、その場その場で多くの役を演じ分ける。“個”ではない場面で、彼らが修道服のような灰色の衣裳をまとうのも興味深い。
ぎゅっと締まったアクトスペースで丁寧に積み上げられる濃密な人間ドラマ。ここまで繊細に人の心を描いたミュージカル作品に出会えたことに感謝したい。
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アラン・メンケンが紡ぐ美しく力強い音楽と、俳優の力を信じ、深く物語を掘り下げるスコット・シュワルツの演出、そして過酷なオーディションを勝ち抜き、厳しい稽古を経て舞台に立つ俳優たちの素晴らしい化学反応をぜひ劇場で体感して欲しい。
劇団四季ミュージカル『ノートルダムの鐘』は12月9日(金)、10日(土)のプレビュー公演を経て、11日(日)より四季劇場[秋]にて2017年6月25日(日)まで上演される。
(取材・文/上村由紀子)