人種差別の影が色濃く残る1950年代のテネシー州・メンフィス。クラブの歌姫、フェリシアに魅かれた冴えない白人青年のヒューイは、レコード売り場でブラックミュージックを流したことをきっかけにラジオDJとなる。歌手としての成功を夢見ていたフェリシアもヒューイの番組に出演し、ふたりはスターダムへの階段を昇ろうとするのだがーー。
2010年のトニー賞で作品賞他を受賞し、2015年の日本初演の際には、大きなムーヴメントを巻き起こしたミュージカル『メンフィス』がこの冬再演される。本作で“歌姫”フェリシアをふたたび演じる濱田めぐみに話を聞いた。
初演の稽古場で起きた“奇跡”
――『メンフィス』約3年振りの再演ですね。
前回は日本初演ということで、作品を作り上げていくのが本当に大変でした。ただその分、カンパニー全員が良い方向に転化しようとするエネルギーも凄くて、初日の幕が開いてからも舞台上の熱量がどんどん高まっていくのが分かりました。いろいろなことを経ての再演ですから、とても感慨深いですね。
――今回も振付・共同演出を担当なさるジェフリー・ページさんからは、初演のお稽古中に濱田さんが”奇跡“を起こしたと伺っています。
『メンフィス』は1950年代のテネシー州が舞台で、物語には白人とアフリカ系の対立や人種差別の問題も含まれています。日本で暮らしていると、そういう感覚を頭で理解していても、なかなか心の深い部分に落とし込んで考える機会がないと思うんです。そんな下地もあって、初演の稽古では私も含めた全体が、なんとなく“しっかり落とし込んでいない”状態で作品を作っていた時期もありました。そんな中、ジェフリーさんが自身の体験を基にお話をしてくれたんですが、その内容がかなりシビアなもので、ツラさから泣いてしまうキャストもいたんです。でも、その勇気あるお話の後から、稽古場の空気は大きく変わったと思います。
――濱田さんご自身も変わった?
変わりましたね。ジェフリーさんといろいろな話をする中で何かが大きくリンクしたというか……50年代にアフリカ系の女性としてアメリカに生きるフェリシアの魂が、自分の深い場所にスパン!と落ちて、さらに宿ったような感覚でしょうか。
――これまで濱田さんが演じてきた役……例えば『アイーダ』や『カルメン』のタイトルロール、『ウィキッド』のエルファバなども、何かを背負い、誰かのために戦うキャラクターでした。それらと比べてもフェリシアは大変でしたか。
舞台って集団芸術じゃないですか。ここが素晴らしくも難しいところで、フェリシアの該当場面で言えば、そこにいる全員がそれぞれの役のエネルギーをフルで出していかないと、それが表現に現れちゃうんです。そのちょっとした違和感を私が受け取ってしまった時に、フェリシアとしてその場で反応することができなくなることもありました。芝居ってどちらか一方が準備をしていてもダメなんですよね。そういう熱量のやり取りがなかなか上手くハマらずに難しいと思うことはありましたが、ジェフリーさんの真摯なお話の後から、いろいろなことが大きく変わっていったと思います。
――今回の再演では新しいキャストの方も参加されます。
これから進めていくことでもありますが、初演の時に作ったものや作品に対しての共通認識をまた新しいメンバーで共有することが大事なのかな、と思っています。みんなが同じ線の上に立てた時から本当の稽古がスタートする感覚。スチール撮影の時に新しいキャストの方たちと、準備をきちんとした上で、目いっぱい楽しんでいけたらいいね、と話しました。
――『メンフィス』は近い時代を描いた『ドリームガールズ』や『ヘアスプレー』とはまた違うテイストですよね。
特に『メンフィス』に関しては、人種問題が根底にありつつ、人間が持つ”善と悪“とがキーポイントになっていると思います。つまり、同じ出来事でも視点を変えると”善“になったり”悪“になったりするという。アフリカ系のフェリシアから見たら『ヘアスプレー』はキラキラした夢の世界。『メンフィス』で描かれるのはもっと底の部分で生きる人たちのドラマですね。
アフリカ系の人たちは、白人が当たり前のように手にしているものを自分たちで勝ち取っていかなければいけない。でも、相手にはその勝負の土俵にさえ乗せてもらえないんです。
「一般の社会に放り出されたら野たれ死んでしまうかも(笑)」
――ヒューイ役の山本耕史さんとも久し振りの共演です。
耕史さんは天才だと思います。どんな球を投げても絶対に拾ってくれるし、彼が投げる球は常に正確で、フェリシアとして存在し、芝居をするのが良い意味でとても楽なんです。初演の時も頼ってついていきました(笑)。彼があの帽子をかぶってそこにいるだけで「あ、ヒューイだ!」って自然に思えちゃうんですよ。
――ヒューイのような男性をどう思いますか?
私、凄く分かるんです。それはヒューイに共感できるということではなく、こういう表現者が実際に存在するということが。というか、役者を含む表現者ってどこか欠落していないとできない仕事なんですよ。だって、自分以外の人間の人生を生きて、1回の舞台で大量の台詞を覚え、千穐楽の後にはそれをすべて忘れてまた次の違う人生を生きるんですから。そんなのちょっと普通じゃないでしょ(笑)?
――ご自身も“普通でない”部分があると自覚していると。
それは勿論!もし、明日から一般の社会で生きていきなさいって放り出されたら、途方に暮れて野たれ死んでしまうかもしれないです(笑)。とは言え、劇団四季で舞台に立つ前は普通に書店やレストランでアルバイトもしましたけど。そういう時は一生懸命、スイッチを普通の人モードに切り替えていたんでしょうね。今はもう……無理だと思います(笑)。
――その必要もまったくないですし(笑)。『メンフィス』の音楽についてはどうでしょう。
好きですね。どこかノスタルジックな部分を刺激しながら、すっと自分の中に入ってくるテイストが『RENT』と近いような気もします。移動中の車で聴いていても気持ちが良いんですよ。
新たな作品でオリジナルキャストを担う
――そして、来年は『メリー・ポピンズ』のタイトルロールも控えています!ディズニー作品のオリジナルキャストを担われるのは『ライオンキング』『アイーダ』に続いて3作目ですね。
ありがとうございます!自分でもまさかこんなに素晴らしい機会をいただけるとは思っていませんでした。オーディションは驚くくらい長期に渡りましたし、他舞台の稽古や本番を務めながらということもあり、なかなかのハードモードでした。やっといろいろなことがオープンになり、私自身もほっとしています(笑)。
――オーディションで特に印象に残ったエピソードがありましたらぜひ!
それはもうあり過ぎて(笑)。早朝、誰もいない稽古場でスタッフの方が回す機材を前に歌ったこともありました。そのスタッフの方と「こんなに朝早いけど……お互い頑張ろうね」と励まし合って、クッキーをもらったり(笑)。
――『メリー・ポピンズ』では歌だけでなくダンスシーンも多そうですね。
そこは今の自分の課題のひとつで、体を一から作り、鍛え直すところから始めています。その点で言えば、劇団四季の『クレイジー・フォー・ユー』ポリー役で、タップをガンガン踏んでいた頃の体に近づいてきている実感もありますよ。1週間のうちかなりの時間を体づくりのレッスンに使っています。
――今年は『フランケンシュタイン』にはじまり、『王家の紋章』『デスノート』そして『メンフィス』と、新作1本、再演3作品にご出演です。
そう考えると1年って早いですね(笑)。演じた役のどれもが思い出深いですが、中でも『フランケンシュタイン』のエヴァ役は共通点だったり、共感できる部分が自分の中にひとつもなく、ゼロから立ち上げていくのがなかなかしんどかったです。エヴァはお金のためなら人も平気で殺める、まったく良心の呵責がないという激しいキャラクターで、最後にもう一役演じていたエレンに戻れなかったら、精神的に追い詰められていたかもしれないです。
――デビュー20周年という大きな山を越え、来年も飛躍の年になりそうですね。
ああ、もう20年以上経ったんだなって思うとちょっとびっくりしますよね(笑)。以前から私の舞台を観てくださるお客さまから届くお手紙の苗字が変わっていたり、お子さんの写真が同封されていたりするのを見ると時の流れを感じます……一緒に歩んでくださっているんだなあ、って。『メンフィス』に続き『メリー・ポピンズ』も新しい挑戦だらけの作品になると思いますが、必死にぶつかっていきたいです。
舞台上とオフステージとでこれほど佇まいが違う人を他に知らない。インタビュー時の濱田めぐみはいつもオープンで「私、結構喋っちゃうから書くの難しいよね」と、明るい笑顔でポジティブに語る。
が、ひとたび舞台に立った彼女から発せられるオーラは凄まじい。他を圧倒する歌声と、役を徹底的に掘り下げた芝居。よく“素晴らしい歌唱力”と評される濱田だが、その根底には自らが演じるキャラクターに対する誰よりも深い理解が根付いている。
『メンフィス』のフェリシアはさまざまな差別の中、傷だらけになりながら光に向かって歩んでいく歌姫。抱えきれない哀しみをステージ上で歌に乗せ、エネルギーに昇華させていくその姿に、私たちは濱田めぐみその人が歩いてきた軌跡を重ね胸打たれるのだ。
◆ミュージカル『メンフィス』
2017年12月2日(土)~12月17日(日) 新国立劇場・中劇場
(撮影/エンタステージ編集部)