昭和21年、戦後日本の各地で、戦争で離ればなれになった肉親や知人の消息を尋ねるラジオ番組の“尋ね人”に耳を澄ませる人々がいた。その番組を作っている脚本班分室に、記憶をなくした男がやってきて「ラジオで私を探してください」と言う・・・・・・。
10年前に書かれた井上ひさしの戯曲『私はだれでしょう』を、盟友・栗山民也が再びこまつ座で演出する。今回は、“尋ね人”放送にひたむきに取り組む女性・川北京子を演じる朝海ひかるに話を聞いた。
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歌と踊りがあるから、深く伝わる
――間もなく本番ですが、稽古を始める前と今とでは心境の変化はありますか?
はい。最初に台本を読んだ時は、井上ひさし先生の言葉の世界に惹き込まれました。稽古が始まり、川北京子という役を演じながらこの物語の世界に入ると、当時生きていた人の声や普段の生活の音まで聞こえてくるようです。
――生活をのぞき見しているような感覚は、井上ひさしさんの作品の特徴でもありますね。
そうなんです。確固たる作品のテーマがありつつ、その時に生きていた人間の温かさや愛情や悲しみや苦しみが飾る事なく伝わってきます。そのナマの感覚がリアルに感じられることが魅力ですね。これまで井上先生の作品を観劇した時も、客席にいながらどなたかの家をのぞき見ているような気持ちでした。さらに歌も踊りもあって、「まさかこのキャラクターが歌うし踊るなんて!?」と驚きました。でも歌や踊りがあることで登場人物の思いがとても深く伝わってくるんです。
――『私はだれでしょう』でも歌や踊りがたくさんあるそうですね。
ピアノのアタックで入ってくる曲が多いんですよ。いきなりパーンと強い音で始まる。稽古の初めは気持ちが追いつかなくて、急に曲が始まってもなかなか歌えなかったんですけれど、稽古を重ねるたびに芝居と歌の切り替えがスムーズになってきて、面白いです。今作の音楽は、アメリカの原曲が多いのも特徴的ですね。アメリカが日本に入ってきた戦後の話なので、モンペを穿いているところにリチャード・ロジャースの歌や昔ながらのミュージカル曲や映画音楽が流れます。井上先生が大好きだった曲をたくさん使っているので、井上先生の世界観が音楽によって彩られているんです。
もちろん、井上先生と交流の深かった宇野誠一郎先生の曲も何曲かあり、いろいろな種類の音楽が聴けることも楽しんでいただけると思います。なかでも、舞台上の楽しさをお客様に伝える曲があって、歌っていてゾクっとするぐらい素敵なんです。井上先生の作品では、お客様に向かって芝居をすることはあまりないけれど、今回はお客様とコミュニケーションする場面があるので楽しみです。お客様としてはドキっとするんじゃないかな。
また「ぶつかって行くだけ」という歌をみんなで歌うシーンでは、自分の背中に戦後を生きてきた何百万、何千万の方がいるつもりで、一市民代表として歌わせていただいている気持ちです。どんな状況でも絶対に負けないという気持ちを持つ事ができる歌なので、すごく苦しいんですけれど、震えがくるほどに心強いです。きっとお客様にストレートに伝わると思います。お客様には、戦後を描いた作品だと堅苦しく考えずに、人々が一生懸命戦って、生きて、今の日本があるんだと感じていただけたら嬉しいですね。
舞台に立つ原動力は、「好きだから」
――朝海さん演じる京子は“尋ね人”番組を率いるリーダーですね。ご自身と似ている女性ですか?
似ても似つかないですよ。京子さんは不器用で真面目で固くて、ひとつの事に突き進む女性。私も昔はもう少し頑なで突き進む性格だったので、京子さんの気持ちもわからなくはないです。京子さんがラジオの“尋ね人”に命を懸けているようすは、宝塚にいた時の自分の姿と重なるかな。当時の自分には宝塚だけでしたから・・・・・・それ以外は食べる事くらい(笑)
宝塚でトップを務めさせていただいた時は、「この作品の良し悪しは先頭に立って私が責任を取る」という思いでずっとやっていたので、リーダーとしての責任は感じていました。そういった経験を探しては、時代も境遇も違うけれど、京子さんに結び付けて演じています。京子さんの時代は今ほど女性の権利がなかったとは思いますが、私達が知らないだけで、戦っていた女性は絶対にいたと思うんです。井上先生の作品は、表には出てこなくても頑張っている人達にスポットライトを当てているので、彼らの生きた感覚をお客様に感じていただけたらと思います。
――京子さんの原動力は過去の体験が元になっていることが作中に描かれていますが、朝海さんにとって舞台に臨む原動力はなんですか?
やはり好きだからですね。好きだから、“このお芝居をもっとよく皆さんに届けたい”という思いがエネルギーです。舞台って、自分ではない人間として生きられるというキラキラしたものが、上演の数時間だけライブで伝わることが魅力。そこでのお客様とのコミュニケーションや、拍手といったお客様からいただくエネルギーはとても大きいもので、終わった時の爽快感と心地よい疲れをまた感じたくて、次へ次へと追い求めてしまうのかな。今後もどんな役にでも臨んで、もっともっと貪欲に挑戦していきたいですね。
笑いの絶えない稽古場です
――今回、共演経験があるのは吉田栄作さんだけなんですね。
そうなんです。前回『ローマの休日』でご一緒させていただいて、その時も「兄貴!」という感じの頼りがいのある方。今回もみんなをまとめて引っ張ってくださっています。
ほかのみなさんは初共演なので、最初は緊張していたんですけれど、すぐ打ち解けて楽しく過ごしています。作品の中で同僚役を演じる枝元萌さんと八幡みゆきさんとは、稽古場から3人で帰りながら「きっと同僚3人でこうやって帰ってたんだろうねー」なんて話しています。また、10年前の初演にも出演されていた大鷹明良さんが、お芝居の役どころと同じようにボソボソっといろんな事を教えてくださったりするんです。
――稽古場のみなさんの関係は、舞台上での関係と似ているんですね!
ほとんど変わらないですよ。普段の会話の中で、舞台上の関係性の土台を作っているような感じです。なので、役者同士で話し合うことはとても大事。でもあえて話そうとしているわけではなく、良い作品をつくりたいという思いで「ああでもない、こうでもない」と自然に会話がうまれます。やっぱりみんな、お芝居が大好きなんです。それぞれのやるべき事に集中しながらも楽しく取り組んでいるので、素敵な雰囲気の稽古場ですよ。いつも笑いが絶えないんです。
――演出の栗山民也さんは稽古場でどんな話をされますか?
時々、井上先生についてお話してくださいます。ダメ出しの最中に「きっと作者はこういう事を言いたかったんだよ」とか「井上さんはこういう状態でこの文章を書いたんだよ」とか、やはり井上先生の事を直に知っているからこその言葉。いつも「戯曲に全部書いてある」とおっしゃるので、迷った時にはもう一度台本を読んで「見落としているト書きはないだろうか?」と基本に立ち戻ると、ヒントをいただけますね。
また、栗山さんとも「10年前に描かれた作品が今の時代にもフィットするのはすごいですね」とお話したんです。実は今の時代にぴったり合っていて、古くない。井上先生の作品はどれも、いつの時代にも共感することがあるんですよね。私は井上先生の事は存じあげないですけれど、栗山さんからお話を伺いながら、「こんな方だったんだろうなあ」と想像を膨らませています。
――井上さんの作品に込めた思いが、舞台に強く反映されているんですね。
はい。井上先生が作品を描いた状況や思いを汲んだ演出になっていると思います。
さらに栗山さん自身は、言葉を大事にする演出をされます。声の出し方や高さについて、とても繊細なことを要求されるんです。なによりも人間がそこに立って生きている、ということを重要視されているので、人が生きるナマの感覚がお客様にも伝わると思います。
「私はだれでしょう」という問い
――宝塚時代は舞台だけだった・・・と仰っていましたが、今は息抜きなどどうされているんですか?
そこがまだ不器用さが取りきれてなくて・・・・・・稽古が始まると、もうその舞台の事しか考えられないんですよ。家で髪の毛を乾かしながら台詞をブツブツ呟いたりしていますね(笑)公演が終わって休みがあるとやっと何も考えない時間ができるので、友人からは「ONとOFFの顔が全然違う」と言われます。たぶん、宝塚でずっと公演と稽古が続いてたまに何もしない休みがあったので、そういうサイクルになってしまったのかもしれないです。
――ひとつの舞台に長時間取り組むというのは、すごく集中力が鍛えられる環境ですね。
なのに、集中力がないんですよ・・・・・・!だから「私ってダメだなあ」と思いながらも、自分に対して「頑張りなさい!」と叱咤激励するんですけど、なかなかできない(笑)でも京子さんに負けていられないから、自分も頑張ろうと日々反省しています。京子さんの台詞にはたくさん突き刺さってくる言葉があるし、この舞台を機に自分が人間として成長できたらいいな。と思っています。
――「私はだれであるべきでしょう」という問いかけも、劇中でとてもグサッとくる台詞ですね。
本当に胸に刺さるんです。その台詞が発せられるシーンでは、たいへん深いものを感じます。皆様にもその言葉を持って帰って、いろいろと考えていただきたいですね。「私はだれであるべきしょう」・・・・・・それはずっとずっと考え続けられる問いだと思います。
◆朝海ひかるプロフィール
元雪組トップスター。91年から06年、宝塚歌劇団に在団。02年雪組トップスターに就任。06年『ベルサイユのばら』主演(オスカル役)。同年、宝塚歌劇団を退団。退団後もミュージカル・ストレートプレイ・映像等で活動。主な作品は、テレビ『派遣のオスカル』(NHK)『螻蛄』(スカパー!)。舞台、『蜘蛛女のキス』(演出:荻田浩一)、『ローマの休日』(演出:マキノノゾミ)、『エリザベート』(演出:小池修一郎)、『しみじみ日本・乃木大将』(演出:蜷川幸雄)、『幽霊』(演出:鵜山仁)、『おもひでぽろぽろ』『アドルフに告ぐ』『國語元年』(演出:栗山民也)など。
◆こまつ座公演『私はだれでしょう』
2017年3月5日(日)~3月26日(日) 東京・紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
3月30日(金) 山形・川西町フレンドリープラザ
4月8日(土) 千葉・市川市文化会館 大ホール
作/井上ひさし 演出/栗山民也
出演/朝海ひかる 枝元萌 大鷹明良 尾上寛之 平埜生成 八幡みゆき 吉田栄作 朴勝哲(ピアノ奏者)
(撮影/エンタステージ編集部)