2019年8月31日(土)に東京・EX シアター六本木にて、ブロードウェイミュージカル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』が開幕した。本作は、日本で過去3回上演されており、2004年・2005年には三上博史、2007年・2008年・2009年には山本耕史、2012年には森山未來が主演を務めた。今回のヘドウィグとイツァークを演じるのは、浦井健治とアヴちゃん(女王蜂)。二人のタッグにより、7年ぶりの再演で新たなヘドウィグ&イツァークが誕生した。
物語は、ヘドウィグ(浦井)のバンド「アングリーインチ」によるライブシーンから始まる。観客はまるでライブハウスに来たような感覚に。上演しているEX シアター六本木も普段、音楽ライブが開催されている場所なので、音の振動が地面から伝わってくるロケーションはぴったり。生バンドのメンバーたちが、リアルタイムのバンドパフォーマンスで観客をあおる。ミュージシャン(Gt:DURAN、Ba:YUTARO、Dr:楠瀬タクヤ、Gt:大橋英之、Key:大塚茜)、イツァーク(アヴちゃん)、映像、そしてヘドウィグにあおられるまま、観客も声をあげたり、手拍子で盛り上がって良い。
このライブハウス、ステージ上奥のドアを隔てた隣では、トミーというロックスターの全米ライブツアーが行われていた。その脇の、冴えない会場でヘドウィグは自らの少年時代、ドイツからの渡米、股間にある手術ミスの名残「アングリーインチ(怒りの1インチ)」、そして最愛の元恋人トミーとの思い出について語り出す。まるで人生の走馬灯のように、丁寧に、大切に。
愛を求め、自分の“カタワレ=愛”を探し続けてきたヘドウィグ。その隣には今、新しい恋人イツァークがいる。しかしこの二人、恋人というには少し歪(いびつ)なバランスだ。演じる浦井とアヴちゃん・・・この二人が作り上げた関係性が、今回のヘドウィグから溢れる愛への哀しみと憧れを、色濃くしていた。
まずヘドウィグは、大きく盛った金髪のウィッグをかぶり、派手な衣装とメイクでステージに立つ。かつてロックスターを夢見る少年だった彼は、大人の男性ルーサーに見初められ、たった一人の肉親である母を置いて、性転換手術をしてドイツからアメリカへと渡ってきた。しかしルーサーは出て行った。その後、17歳のトミーに出会って自分のすべてを注ぎ込むが、股間に残った性転換手術ミスの肉塊「アングリーインチ」を見てトミーは逃げ出し、しかも盗んだヘドウィグの曲でスターダムにのし上がった。手酷く裏切られ、受け入れてもらえず生きてきたヘドウィグ。
奇抜なファッションと波乱万丈な過去。しかし演じる浦井は、時に声を荒げつつも、柔らかく語りかけてくる。裏切られ、捨てられる人生を振り返る中で、ヘドウィグがもらした言葉や表情の奥に、ぐっと飲み込んだ感情が見え隠れする。
「わたしのカタワレはルーサーじゃなかった・・・」
「わたしを愛してるならアングリーインチも愛してよ・・・」
受け入れられない人生を語る瞬間に、ふと浮かぶ寂しさや孤独。浦井はこんな繊細な表現をする俳優だっただろうか。愛を渇望するというより、愛への憧憬を大切に抱えているような。ヘドウィグはきっと優しい少年だったのだろう、と思える。
一方、イツァークはずっとヘドウィグの半歩後ろで仏頂面だ。不本意ながらもヘドウィグのパフォーマンスを邪魔しないように、飲み物を差し出したり、衣装を変えたり、コーラスを務めたり。恋人というより、まるでマネージャーのよう。イツァークはもともと、ヘドウィグが驚くほどカリスマ性のあるパフォーマーだったと語れる。派手なウィッグも女装も禁じられ、でもヘドウィグのそばにいるために、忠実にその約束を守り影に徹する。ヘドウィグを愛しているからこそ、ダンスの中でヘドウィグを抱きしめるイツァークの顔には慈しみが溢れていた。
しかし、ひとたびマイクを握れば圧倒的な輝きをストレートに放つ。ヘドウィグのコーラスをしながらも、水を得た魚のように生き生きと歌い、時にはヘドウィグと肩を並べようとする。公演前のインタビューでアヴちゃんが「浦井さんとタイマンはります(ハート)」と言っていたように、センターに立つヘドウィグを押しのけそうなほど力強く歌う。女王蜂・アヴちゃんの本領発揮だ。
けれどもそうなると我慢がならないのがヘドウィグ。「あたしより目立たないでよ!」とばかりに乱暴にイツァークを後ろへ追いやる。イツァークはある意味で、もう一人のヘドウィグだ。愛を求めて自分を殺し、相手の要求に従ってすべてを捧げる姿は、ルーサーと渡米のために性転換手術をしたり、トミーにむげに扱われてもアメリカ中を追い掛け回し、近くで演奏を続けるほど執着するヘドウィグのよう。また、ロックスターの才能に溢れるアーティストとしてのイツァークは、ヘドウィグの理想像とも言えるかもしれない。
似ているからこそ、ヘドウィグはイツァークに強くあたるのだろう。自分がされてきたようにイツァークを抑圧する。誰からも受け入れてもらえないヘドウィグは、誰かを受け入れることもうまくできない。そしてイツァークが輝けば輝くほど、ヘドウィグの孤独が深まっていく。
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』が初演された1997年は、性転換手術も、その股間の「アングリーインチ」も奇抜な存在だっただろう。けれども今は2019年。この数年は日本でも少しずつLGBTQが一般的に理解されるようになり、ドラァグクイーンの存在も知られてきた。そんな現代において、ヘドウィグは果たして、物語の中の特別な存在なのだろうか?
今回は、浦井演じるヘドウィグは、風変わりな人間ではない。誰にも理解されない「アングリーインチ」を抱えてはいるけれど、愛してもらうこと、受け入れてもらうことを夢見ている。そんな願いはきっと多くの人が少なからず持っているはずだ。
ヘドウィグの口にする叫びが自然なのは、浦井の誠実な語り口だけではない。及川眠子による耳馴染みのよい歌詞は、ヘドウィグの数奇な生い立ちよりも、一人の人間としての思いや、音楽のメロディそのものをそっと手渡してくれる。それは、及川がミュージカル『プリシラ』の訳詞や、ドラァグクイーンユニットのプロデュースを手がけていることにもよるのかもしれない。また福山桜子の翻訳・演出は、歌だけでなく微かな目線の移動や一言の台詞に深みを覗かせる俳優・浦井と、圧倒的なエネルギーを放つミュージシャン・アヴちゃんというまったく個性の方向性が違う二人を対比させていく。
ゲネプロ前に行われた会見では、浦井はアヴちゃんのことを「女王蜂のアヴちゃんというカリスマ性のある、僕にとってのパートナーが、これだけ色々なことにトライして、惜しげもなく色々ことを教えてくれて、一緒に作ってくれたことが宝物のようです」と語り、その隣でアヴちゃんは「浦井さんで良かったなと感じることがたくさんあった。きっと同じぐらい負けず嫌い。かつ、相反しているもの、だけれど相反しすぎていて、その距離も尊重しあっている。この二人をキャスティングした人、すごいね」と微笑んでいた。
この相反するニ人のタッグとカンパニーによって、ヘドウィグは「人生がうまくいかない」ともがき、“カタワレ=愛”を求め続ける一人の人間として浮かび上がる。格好は奇抜で、人生も波乱万丈だし、性別もはっきりとは分からないけれど、けして特別な人ではない。すぐそばにいるかもしれない見知った誰か、あるいはわたし。浦井演じるヘドウィグ
はとても身近な存在に感じられた。
性別?ファッション?成功?生き様?──もはやそんなことは関係ない。裏切られても捨てられても、ただカタワレを探している。欲しいのは愛だ。
ヘドウィグにとってカタワレがどんな姿をしているか、それが人なのかさえ、観る人によって解釈が分かれるかもしれない。ただ過去の恋人にもイツァークにも歪な思いを抱えるヘドウィグが、もしそんな自分を受け入れられたなら・・・そこに生まれるのは、何かしらの“愛”ではないだろうか。
ブロードウェイミュージカル「『HEDWIG AND THE ANGRY INCH ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は、以下の日程で上演。上演時間は、約1時間50分(休憩なし)を予定。
【東京公演】2019年8月31日(土)~9月8日(日)EXシアター六本木
【福岡公演】2019年9月11日(水)・9月12日(木) Zepp Fukuoka
【愛知公演】2019年9月14日(土)~9月16日(月・祝) Zepp Nagoya
【大阪公演】2019年9月20日(金)~9月23日(月・祝) Zepp Namba
【東京公演】2019年9月26日(木)~9月29日(日) Zepp Tokyo
(取材・文・撮影/河野桃子)