2015年9月19日(土)~27日(日)に、奈良県の曽爾村で、新作野外劇『トワイライト』を上演する大阪の劇団「維新派」。前編ではその歴史と演技スタイルについて触れたが、後編では彼らが描こうとしている世界と、観劇旅の楽しみとアドバイスについて書いていこう。
最新作『トワイライト』
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■「風景」が主役の舞台を通して、風景への眼差しを激変させる。
維新派の芝居が「風景と身体の関係を見せる」をコンセプトにしていることは前回のコラムでも触れたが、その世界を見せる時に、人間ドラマはほとんど描かれない。たとえば前作『透視図』では、一組の少年少女が主人公として据えられていたが、彼らはむしろ大阪という街の隠された現状や記憶を引き出すための媒体であり、舞台のバックにあるリアルな「大阪の風景」こそが真の主役・・・という作品だった。かように維新派が見せようとしているのは一貫して「風景」であり、さらにそこから一周回って、その風景を作り出した人間の歴史や営みそのものなのだ・・・なんて言うと難しそうに聞こえるけど、実は一番近い世界を挙げるとしたら、今NHKで放映中の『ブラタモリ』。一見何の変哲もない街の風景から、そこに隠された意外な歴史や都市形成の秘密を探り出すというスタイルは、維新派と非常に共通している。
『透視図』(2014年)
作・演出の松本は、維新派の芝居を観ることで「風景を見る未知の眼差しが生まれてほしい」と語る。『ブラタモリ』を見た後は、街の高低差や過去をしのぶ痕跡が途端に気になりだすのと同じように、維新派を観た後は、普段何気なく眺めていた風景の見方が多少なりとも変化する。古代から近代までの様々な時代の姿を重ねてみたり、ビル群が作り出す稜線に造形美を感じたり、将来的にはなくなる風景かもしれないと想像したり…。そんな維新派フィルターで改めて街を眺めると、途端に“風景”というものが非常に刺激的で、愛しいものに思えてくるだろう。維新派の舞台は、ただ非日常な世界を見せるだけではない。芝居を通して観客の都市論や風景感覚に大きな揺さぶりを与え、それを日常へと持ち帰ってもらい、より豊かな風景の見方を育むためのものだ、と言えるのではないだろうか。
■公演地まで旅をすることが、観劇体験をより豊かにする。
ここまで読んで維新派に興味を持たれた方は、早速新作『トワイライト』を観てみたいと思うだろう。今回の会場は大阪・名古屋からは2時間~2時間半かかり、正直行くのに多少手間がかかる。しかし芝居のためにわざわざ小旅行に出かけること自体も、維新派を体験する上で大事な要素なのだ。それまで知らなかった土地に足を運んでいろんな刺激を受け、感受性が普段よりはるかに敏感になった所で維新派の芝居を観ると、より「風景」の受け取り方がビビッドになる。さらに公演直後の風景への眼差しは、前章でも触れたように観劇前とは明らかに変化しているはずなので、家までの移動距離が長い分、様々な風景の余韻をより深く楽しめる…というわけなのだ。むしろ「旅行のついでに維新派を観に来てくれたらいい」とまで、松本雄吉は言い放っている。
維新派をより楽しむために訪れたい屋台村。ライブも開催されている。
とはいえ、野外劇自体を初めて観るという方には、いくつか注意事項を。まず屋外空間は意外と冷える。特に今回の会場は山奥なので、平地とは昼夜の寒暖差が激しいはずだ。秋に着るような上着と膝掛けぐらいは持参した方がいいだろう。また雨が降っても公演は決行されるが、客席で傘を差すのは周りの迷惑となるので、レインコートなどを持参しておこう。さらに維新派野外劇の会場には、ほぼ毎回無国籍風の屋台村が併設されるが「屋台村目当てで行く」という人もいるほど愉快な空間なので、最低でも上演前後30分ぐらいは余裕が持てるスケジュールを組むのがオススメ。特に曽爾村は、秋にはススキ野原が広がることで有名な高原などの見所が多く、朝には一面の雲海を見られる確率も高いそうなので、できれば泊まりがけで行ってみたいところだ。
維新派を観ることを、多くの人は観劇というよりも「体験」と呼ぶ。上演スタイルも作品も、すべてが従来の演劇からは規格外な彼らの世界には、そちらの言い方の方が確かにふさわしいだろう。下手したら自分の風景論どころか、人生観すら揺るがしかねない未曾有(みぞう)の世界が、奈良の山奥であなたが体験しに来るのを待っている。
≪維新派新作野外劇『トワイライト』≫
2015年9月19日(土)~27日(日) 奈良・曽爾村健民運動場
詳細は維新派ホームページ(https://ishinha.com/SP2015/)にてご確認を!
宣伝用動画はこちらから!
撮影/井上嘉和