30代の演出家三名が戦後日本を象徴する戯曲三作を演出する新国立劇場の「かさなる視点-日本戯曲の力-」シリーズ。その第三弾として5月10日(水)より『マリアの首 -幻に長崎を想う曲-』が小劇場 THE PITにて上演される。
終戦後の長崎で、三人の女性の生き様を軸に、神との対話と平和への祈りを描いた本作。演出に挑む小川絵梨子に作品のこと、そして自身のこれまでとこれからについてじっくり聞いた。
正直に戯曲と向き合っていく
――『マリアの首』、最初に読んだ時の正直な印象は「難しい・・・」でした。
確かに難しい戯曲ですよね。私も一番最初に読んだ時は「おぉ・・・」と思いました(笑)。今はまだみんなでいろいろと探りながら立ち稽古をしている状況ですが(注:取材時)、私自身、ずっとカトリックの学校に通っていたこともあり“マリア” という言葉を聞いた時に、頭の中に具体的なイメージが浮かぶんです。ですから、難しい・・・とは感じつつ、魅かれるところたくさんあります。
――芯となる女性3人のキャスティング、ぴったりだと思いました。
ありがとうございます!鈴木杏さんとは『星ノ数ホド』、伊勢佳世さんとはイキウメの作品や『令嬢ジュリー』でご一緒させていただきました。もうおひとりの峯村リエさんとは初めて組ませていただくのですが、女性が軸になる作品ということもあって、ご出演いただく役者さんにはかなりこだわりました。
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――小川さんといえば、翻訳者でもあり演出家でもある・・・海外作品に特に強いという印象をお持ちの方も多いと思うのですが。
自分としては海外作品に強いこだわりがあるわけではないのですが、やはりこれまでの仕事から、そういう分野が得意だという色が付いているところはあると思います。今回の『マリアの首』に関しては、戯曲の選定で悩んでいた時に、芸術監督の宮田慶子さんからのご提案を受けて決めたということもあり、自分では選ばないテイストの作品を演出することが、ひとつの挑戦になるのだとも思っています。
――田中千禾夫さんが1950年代に書かれたこの戯曲には、詩的と思える台詞もたくさん出てきます。
そこが本当に難しいところで、今、試行錯誤しています。現時点では、詩的な部分をあえて論理的に詰めていく方向で作っていて、詩やポエムとして謳い上げる感じにはしていないんです。ご覧になって、それが“詩”とはお気づきにならない方もいらっしゃるかもしれません。一方で、その演出によって、戯曲に描かれた世界の広がりがきちんと伝わるのかという迷いもあり・・・もう少し悩みながら、さらに深めていきたいです。
――小川さんの演出作品に出演された俳優さんにお話をうかがうと“自由”という単語が良く出てくるように感じるのですが、そこは意識なさっていますか?
自由というか、役者さんに任せている部分も大きいというか。作品を作っていく上で、とにかく役者さんに動いてもらう、やってもらう・・・みたいなことはあります。稽古場で役者さんに気づかされることも多いですし、そこからまた世界が広がっていくことが楽しいので、役者さんからは遠慮なく“貰う”ようにしています。それを役者さんの側では“自由”という優しい言葉に置き換えて語ってくれているのかもしれませんね(笑)。
――『マリアの首』に描かれていること・・・特に原爆に関しては、今の時代に直截的に重なる部分が多いからこそ、表現として難しくなる気もします。
まず、嘘をつかないことが大事なのかな、と思っています。この戯曲に描かれた時代の空気感を大切にしながら、そこに無理矢理大きな意味をつけないようにするというか。ものを作る時は不安になりがちなので、つい大きいところに行ってしまいそうになるんですよ・・・今回の作品で言えば“戦争反対”とか。その気持ちに勿論嘘はないのですが、ただ“これを現代にやる意義はこういうことですよ!”と、こちらから意味づけをするのは違う気がするんです。
作品を作るのは怖いことだし、不安も大きいのですが、だからと言ってカッコつけたり、嘘をつくことはせず、正直に戯曲と向き合っていかなければ、と思いますね。
――その小川さんの感覚が、逆に現代性を生み出すのかもしれませんね。
お客さまと私で、戦争や平和に対する感覚や思いはさほど変わらないのでは・・・と思っています。なので、今の私が面白いと思える『マリアの首』をお見せすることがベストではないかと。と言いつつ、まだ稽古場ではいろいろ悩んでいる状況ですが(笑)。
次期芸術監督として挑戦したいこと
――ここからは小川さんご自身についてもうかがわせてください。ずっと聖心に通われ、大学では心理学を学ばれていた中、どうしてこの道を?
10代の頃から観客としていろいろな劇場に通って、学校ではずっと演劇部だったんです。大学に入ってからは、早稲田や慶応の演劇サークルの見学にも行ってはみたのですが、知らない男の人たちの中で演劇をやるということに勇気が出なくて。そんなこともあり、大学では心理学の勉強の方が面白かったんですね。
友人が交換留学生として勉強していたニューヨークに遊びに行った時に、演劇を学べる学校がたくさんあることに驚いたんです。小学校の頃から大学までずっと同じ学校に通って、友人もほぼ同じで・・・という環境にいたのですが、そこから飛び出すような気持ちでアメリカに行きました。あとはもう・・・運・・・運しかなかったような気もします。
――1度目の渡米から帰国なさって、2度目は文化庁の新進芸術家海外派遣制度でふたたびニューヨークへ。拠点を日本に移されてからは、劇団等に所属せずさまざまな作品を演出なさいます。小川さんの経歴を最初に拝見した時は本当に驚きました。古い体質がまだ残る日本の演劇界で、劇団等のバックアップがなく、こんなにも活躍している女性のクリエイターがいるのだと。
本当に運が良かったんだと思います。ニューヨークにいた時に、日本の演劇関係者の方たちに付いて、よく通訳のバイトをしていたんですね。向こうで公演するカンパニーや演出家も多かったので。その頃、会う方会う方皆さんに「どうしたら(仕事として)演出をできるようになりますか?」って聞いていたんです。で、聞かれた方も「え?・・・うん・・・ねえ・・・」みたいな感じで(笑)。
――(笑)そこは人それぞれですし。
そうなんですよね(笑)。当時はどうスタートすれば日本で演出が出来るようになるのか・・・演出家としての仕事が成立するのか、まったく分からなかったんですね。私、自分から人脈を作ろうとか、コネクションを広げようとか、そういうことを一切しないで・・・と言うか、出来ずにいましたし。運良く日本でお仕事をいただけるようになって、そこにいらした方たちが、スタッフさんも役者さんもプロデューサーさんも、皆さん、いい方たちばかりで。仕事をしていいんだよ、という“許可”をいただけたような気がしたんです。
――次期の新国立劇場芸術監督(演劇部門)にも決まっています。
自分は幸運が重なって、ここまでやってきたんだ・・・という感覚が強い分、次の世代で演出家になりたい、演出をやっていきたいという人たちに対して、劇団等に所属していなくても、演出ができるよう道を作ることが、私のひとつの使命だとも思っています。このことに関しては、演劇部門の芸術監督をやらせていただくにあたり、絶対に挑戦していきたいんです。
学生時代に夢中で観た野田秀樹と三谷幸喜
――先ほど、10代の頃から劇場に通われていたというお話がありましたが、観客としてはどういう舞台を良くご覧になっていたのでしょう。
10代の頃から好きでずっと追いかけていたのはNODA MAP/野田地図・・・野田秀樹さんの舞台ですね。初めて生で観たのは『罪と罰』だったと思います。あとは、三谷幸喜さんの作品が大好きで、場合によっては複数回観る・・・みたいな感じでした。ミュージカルも好きで・・・四季の会にも入っていましたし。
――かなり意外なお答えでした。
学生の頃は、劇場で配られるアンケートに感想を書いたりもしていたので、以前は自宅にDMが普通に届いていたんです。で、ある時、自分が演出する作品の先行予約の案内がプレイガイドから郵便で届いて「・・・これ、私が演出する舞台だ!」・・・って(笑)。
あと、私、基本的にミーハーなので、まだこの世界で仕事をする前から観客として大好きだった人たちには認識されたくないという思いもあって。
――以前から好きだったということを?
いや、自分の存在自体を。
――それはどういう・・・?
例えば、憧れていた人に「あ、お名前、聞いたことありますよ」なんて言われたら、消えたくなっちゃう・・・。同じ世界(演劇界)の人同士として語り合うなんて、そんな・・・もう・・・大変です。
――いつまでも観客と舞台上の人という関係性でいたいという感覚。
そうなんです。10代の頃のキラキラした思いを胸に抱いたまま、ずっと客席から観ていたいんです。私、地元のカフェに良く行くんですけど、そこに大好きな俳優さんも良くいらっしゃるんですね。そんなに広いカフェではないので、たまたまその“神”と遭遇した時は「ご挨拶するべきなのか、さり気なく気付かない振りをすべきなのか」ってひとしきり悩みます。
――でも、もう小川さんのことをご存知ない演劇関係者の方が少ないと思うのですが。
そんなことはないです!でも、この前“神”の方から「こんにちは」って声をかけてくださったんです!それはそれで、とてつもなく嬉しかったのですが、また別の日にお見かけした時には「“神”は台本を読んでいらっしゃるし、こちらからご挨拶したら鬱陶しいかも・・・」って、別のカフェに行こうとしたり・・・(笑)。これが、仕事の現場でご一緒した方なら何の躊躇もなくご挨拶できるんですけど、昔から大好きで・・・でも、オフィシャルな場ではご挨拶したことなくって・・・ってなると、本当にどうしていいのか悩むんです。
――この流れでお伝えするのはちょっと変かもしれないですが・・・フリーで作品を生み出そうとしている人たちにとって、小川さんは希望の星だと思います。
いや、もう本当にありがとうございます!そう、言い続けていただけるように、まずは『マリアの首』を頑張ります!
初めて小川絵梨子に対峙したのは昨年末。主演俳優との対談インタビューの席だったのだが、彼女はほぼ素顔、そして寝癖の付いたヘアスタイルでスタジオに現れ、鏡さえ見ることなくカメラの前に立った。
劇団などに所属せず、翻訳者として、そして演出家としてさまざまな素晴らしい仕事を重ね、30代にして新国立劇場・演劇部門の次期芸術監督に決定。この経歴から、どこまで完璧な自己プロデュースをした人物がやってくるかと肩に力を入れていた分、先の取材ではいろいろな意味で打ちのめされた・・・本当に輝いている人は、外見で武装などしなくとも、内側から自らをきっちり照らせるのだと。
小川はほとんど“運”でここまできたと自らのこれまでを語る。が、それは違うと私は思う。作品や俳優に対してつねに正直でありたい、嘘を絶対につきたくないという強い信念と、時にしつこいとまで評される濃密な稽古、そこから生み出される鮮やかな作品たち・・・もし彼女に”運”の良さがあったとすれば、それはすべて小川自身の実力と人柄とで切り拓き、獲得したものだ。
そんな彼女が新たに挑む戦後日本の戯曲がどういう形で甦るのか・・・初日の幕が開くのを楽しみに待ちたい。
◆『マリアの首 -幻に長崎を想う曲-』
2017年5月10日(水)~5月28日(日)
新国立劇場 小劇場 THE PIT
(撮影/エンタステージ編集部)