ブラジル・サンパウロから空路で1時間、リンス郊外で広大なコーヒー農園を営む刈屋とその妻・妙子。一見、豪華で文化的な生活を送っているようにも見えるふたりだが、妙子にはある“傷”があった・・・1年前に運転手の若い男・百島と心中未遂を起こしたのだ。事件後、ブラジル育ちの啓子と結婚した百島は、変わらず刈屋に仕え、今日も二組の夫婦は同じ食卓についている。そんなねじれた日常の中、事態はジリジリと動き出す――。
本作が初の三島由紀夫作品出演となる安蘭けいに話を聞いた。
稽古が進むにつれ、新たな局面が見えた
――ここまで濃密な会話劇に出演なさるのは『幽霊』(‘14年)以来かと思います。最初に台本を読んだ時の感想からうかがえますか。
まず「難しいなぁ」というのが、台本を読んだ時の第一印象でした(笑)。三島由紀夫さんの作品ということもあり、台詞に使われている言葉や物語の内容を自分の中にきちんとイメージできるまで、少し時間はかかりましたね。
――その“難しい”という感覚がお稽古で変化していった。
そうなんです、それも180度ガラっと変わりました。最初の本読みに10日間くらい時間をかけたのですが、演出の谷(賢一)さんや、平田満さんをはじめとする共演者の方々と、戯曲を読み解いていくうちに、自分の中にあったいろいろなことがクリアになっていきました。確かに三島由紀夫さんの戯曲ではあるのだけれど、特別難しいことが書かれているわけではなく、すぐ隣にいるかもしれない“夫婦”の物語なんだな、って。そう思ったら難解だと変に構えることもなくなりましたね。
――とは言え、安蘭さんが演じる妙子は、なかなか本心を見せないところもあり、役どころとしては難しいキャラクターのような気もします。
まず、共感ポイントを探すのが難しい人ではありますよね(笑)。作品に描かれている時代も今とは違いますし、わたしがすぐに理解できる範疇の女性ではないというか。そんなこともあって、今の時点では役にどっぷり浸かるというより、彼女の心情や行動を想像しながらどう演じれば良いのか模索している感覚が強いです。妙子に対する“共感”の糸もすごく細いんですよ。
――ご自身と妙子を繋ぐその“糸”について、詳しくうかがいたいです。
妙子もわたし自身も自分でそう思いこんでいるだけかもしれないのですが“もっと自由に生きたいのに、それができない”と葛藤しているところは似ていると思います。妙子は夫である刈屋の寛大さに絡め取られて、息苦しさを感じながら生きている。わたしは・・・きっと理想がとても高いところにあるんでしょうね。どうしたら自分が納得できる高みに行けるのか、日々悩みながら壁と向き合っているところもあって。なかなか自分自身を解放しきれないという点が、わたしと彼女とを繋ぐ“細い糸”であり“共感ポイント”なのかもしれません。
――意外なお話でした!客席から拝見する安蘭さんはパーンとした華やかなイメージの方ですから。
そうなんですね(笑)。勿論、舞台に立っている時は変に悩んだりしませんが、ひとりでいる時は結構いろいろ考えちゃうんです・・・それも必ずしもポジティブではない方向に(笑)。自分が到達したいのにできないことがあると、時にそれを他者のせいにしたくなることもあるんですが(笑)、妙子もきっと同じなのだと思います。彼女の場合、その対象が夫の刈屋さんになるわけで。
自由にディスカッションできる稽古場
――平田満さん演じる妙子の夫・刈屋さん・・・あの「寛大さ」が逆に怖いな、と感じました。
ですよね(笑)。とても難しい役ですし、平田さんも懸命にお稽古していらっしゃいます。いろいろな意味で大変な役柄だとも思うのですが、平田さん、ぴったりハマっていらっしゃいますよ。ご自身は「こんな身分の高い役は初めて」なんてお笑いになっていますが、雰囲気や佇まいに堂々とした風格も見えますし、素敵だなあ、と思います。
――おふたりで解釈等についてお話されることも?
稽古中には良く話します。妙子が刈屋をどう見ているか、また刈屋が妙子をどう捉えているか、ふたりがその時何を感じているのかということは、共通の認識を持っていた方が良いと思いますし。
――お稽古場の雰囲気はどんな感じでしょう。
とても生産的な現場だと思います。ディスカッション的な時間もありますし、自分の出演場面ではないシーンに対して、共演者に対して印象を伝えたり・・・なんていうこともありますし。そういう流れがあると、ひとりで考え過ぎていた部分が解き放たれていくので、新しい発見も多いですよね。あとは、稽古が始まった頃、平田さんが「じゃあ、まずは皆で飲みますか」って音頭を取ってくださって(笑)、先輩自ら風通しの良い現場にしようと動いているのだな・・・と、そのお気持ちがとても嬉しかったです。そんなこともあって、皆、委縮することなく、自分の思いを伝えられる稽古場になっていると思いますよ。
――妙子を取り巻くもうひとりの男性・百島についてはいかがでしょうか。
妙子と運転手の百島は、物語が始まる1年前に心中未遂を起こしています。その時は、妙子も百島の若さや熱さに惹かれてそういう行動に走ったのだと思いますが、作品の後半で起きるあれこれに関しては、正直、誰でも良かったんじゃないかと・・・ただ妙子は道連れが欲しかっただけで。妙子にとって、刈屋の「寛大さ」の中で生かされている日常は、とてもつまらない、意味のないものだったのかもしれません。
――そう考えると、刈屋の「寛大さ」は、妙子に対するもっとも効果的な復讐だとも思えるのですが。
そうなんですよ、ある視点で見ると刈屋の底知れぬ怖さも浮かび上がってきますし、結局、妙子は彼の掌の上で暴れていただけなのかもしれない・・・とも思えますよね。それまでの経緯や立場を考えると、妙子からは絶対に彼に離婚を言い出せませんし。
いったん“三島作品”という冠を外して戯曲と向き合う
――戯曲を読んだ時から、演出や演じ手の解釈によって、さまざまなことが変わって見える作品だと、良い意味で震えました(笑)。ちなみに安蘭さんは、妙子のような迷路にハマったことはありますか。
当然、この作品と同じようなシチュエーションに陥ったことはありませんが(笑)、例えば、こちらが感情をぶつけた時に、相手がそれをすっとかわしたりすると、胸のモヤモヤは高まりますよね(笑)。
――そういう時って、その気持ちもちゃんとお相手に伝えます?
わたしは言う方ですね。真剣に付き合っているからこそ、ちゃんと向き合いたいと思っていろいろな感情を伝えているのに、ある一定の(精神的な)距離を越えようとすると、それを避ける人っているじゃないですか・・・あれは悲しいですね。何で付き合っているのか分からなくなってしまう。
――分かります!ギリギリのラインでバリアを張る人、いますよね。そういう意味では、妙子と刈屋の感情をぶつけ合わないモヤモヤに観客も心を掴まれるんじゃないかと。
確かに(笑)。同じ家に住んでいて夫婦でもあるのに、互いに本心・・・感情をぶつけ合わないふたりですよね。わたしはふたりが、決して交わらないように見えて、じつはお互い依存し合っている関係にも思えるんです。妙子にしてみたら、刈屋に自分ともっと向き合って欲しいという思いから浮気に走るわけですし。何とかして本気で彼に振り向いて欲しいんですよ。
――そんなある種の屈折を抱えた夫婦の前で、ほぼ本音に近い言葉を語り続ける啓子という存在も。
啓子さんはこの作品に出て来る人の中で、唯一まともな人なのかもしれません。わたしは自分が妙子を演じるので、どうしても妙子目線で考えてしまうのですが、百島と啓子夫妻は、刈屋と妙子の犠牲者だという気もします。
――もし、安蘭さんが男性だったら、刈屋、百島、そして使用人の大杉・・・どの役を演じてみたいですか。
刈屋・・・ですね。すごくやりがいがある役だと思うし、難しいからこそ魅かれるところはあります。
――ご自身の中でいろいろ掘り起こせそうな。
そうなんですよ。まさに今、刈屋役の平田さんがこれまでにないトライをたくさんされていて、セクシーな雰囲気もほとばしってます(笑)。ご自身は「僕、こんな(セクシーモードは)初めてだよー」っておっしゃっているんですが、この役には何気ないセクシーさや、男性の下心的な見え方が絶対に必要ですから。さらに、ラストシーンに向かっての情けなさやどうしようもなさ・・・もし自分が男性だったら、やってみたい役です(笑)。
――今回、台詞の語調も現代のものとは違いますし、量も多かったと思うのですが、台詞覚えはどういう方法で?
わたし、今、カフェでまったりするのにハマってまして、台詞もそこで覚えることが多いんです。
――雑音は大丈夫?
自宅だと逆に気になることが多すぎて、急に掃除をしだしたりしちゃうんですよ(笑)。だから、カフェのお気に入りの席で、台詞をノートに書き写しながら覚えるようにしています。今はノート1冊の半分くらい、妙子の台詞で埋まってますね(笑)。
お稽古もいよいよ佳境ですが、三島由紀夫さんが『白蟻の巣』で伝えたかったことが何なのかは、スタッフ・キャストのみんなで、すでに共有できたと思うんです。ですから今は、あえて「三島作品」という大きな看板をいったん外して、どこにでもいる・・・自分の周りにもきっといる人間たちのドラマとして捉え、その中で妙子として生きられるようお稽古している状態です。千穐楽のあとで、とてつもなく高いと思っていた壁を乗り越えていられるよう、進んでいきたいと思います。
対峙して話を聞くたびに“挑む人”だな、と思う。つねに自らの前に高い目標を設定して、それをクリアしようと懸命に作品や共演者と向き合う・・・それが彼女に対する変わらぬ印象だ。
女優・安蘭けいが今回“挑む”のは自身初となる三島由紀夫作品。時代背景も言葉遣いも考え方も、全てが現代と異なる世界観の中、普遍的ともいえる夫婦の物語を演じる。
持ち前の華やかさと気品とを活かし、細い絹糸のような情感をどう魅せていくのか・・・あの濃密な空間で、彼女の大きな挑戦をもうじき体感できると思うと楽しみでならない。
◆新国立劇場『白蟻の巣』
2017年3月2日(木)~19日(日) 新国立劇場 小劇場 THE PIT
東京公演千穐楽後に兵庫・豊橋での公演有り
(撮影/高橋将志)