花組芝居が寺山ワールドに挑戦した作品、実験浄瑠璃劇『毛皮のマリー』。寺山修司生誕80周年の2015年に上演された本作が、CSチャンネル衛星劇場にて2016年3月13日(日)に放送される。これに先駆け、同劇団の主宰であり脚本・演出を手掛けた加納幸和にインタビュー。作品の裏に隠された寺山の家族関係や、上演当時のエピソードなどを大いに語ってもらった。
――『毛皮のマリー』を浄瑠璃でやることになったきっかけはなんだったのでしょう?
寺山修司さんの義理の弟の森崎偏陸(現在は寺山姓)さんと30年以上のお付き合いなんですけども、彼が「寺山さんの作品が時代を超えて残るために、例えば歌舞伎の役者さんが代々に受け継いでいくみたいな、そんなことができないか」とおっしゃったのがきっかけですね。花組芝居は義太夫の芝居を何本か作っていたので「義太夫を入れてできないか」という相談を受けて、「やれないことはないんですけど・・・」って。最初は、やりやすいと言ってはなんですが、『青森県のせむし男』は浪曲が入りますので、これがいいんじゃないかと言ったんです。ですが、偏陸さんご自身は寺山さんの作品の中でも『毛皮のマリー』を一番気に入ってらしたので、これをぜひということでした。それから取り掛かったんですが、寺山さんってト書きも面白いんですよ。それが幸いで、面白いト書きを義太夫の浄瑠璃風に書くことで作品を仕上げたんです。『毛皮のマリー』の世界は無国籍な雰囲気なので、義太夫以外の音楽として西欧のアレンジも考えたんですが、もしも、歌舞伎でおやりになる事になった時、扱いやすいように歌舞伎の下座音楽を使うことにしました。
――浄瑠璃でやることに対する劇団の方たちの反応はいかがでしたか?
これがうっかりしたことに、義太夫が入っている芝居というのは何本か作っているんですが、何年も前だったんですよ。なので3分の1ぐらいが経験したことがないというのが明らかになって(笑)。困ったな~と思ったんですけど、歌舞伎を真似したテクニック的なことは現場で「ああやってこうやって・・・」ってやっていったので、もちろん他の劇団の俳優さんよりはすんなりやってくれたと思います。ただ、浄瑠璃に渡したり貰ったりする部分については、初めての人間は慣れるまでに少し時間がかかりましたね。一回でもやったことのある人間はすっとやるんですけど。
――『毛皮のマリー』は美輪明宏さんのバージョンがすごく有名ですが、そちらとの違いはいかがでしょう?
美輪さんは美輪さんの世界でお作りになっているので、こう言っていいのかわからないですけど、非常に綺麗です。我々も女形をやっていますけど、男の地のままやることが多いので、優雅にはならないんですよ。なので、1967年に上演された時の猥雑な感じをわざと強調しようと思いました。だから露骨なシーンもわざと入れる。隠さないようにして、見世物小屋というか、まがい物があふれている風にしたかったので、その辺は美輪さんがやられているものとは違うんじゃないでしょうか。
――今回放送されるのは菊組ですが、梅組とそれぞれ変えた部分はありますか?
実は変えていないんですよ、やることは同じ。以前、トリプルキャストをやったことがあって、その時は演出も変えたんです。ただ、それはそれで現場も大変なので…。僕は子供の頃から歌舞伎を観ていますが、古典の決まった演目にいろんな役者さんがお入りになると、型が違うということはありますけども、大概似たようなことをおやりになる。でも、俳優の肉体は違うので、違うものが見えてくる。
例えば、お父さんがやったものを息子さんがやっているということで、お父さんの舞台を見たことのある観客が息子さんの舞台を観て違う感想を持つ、といったことですね。これは舞台芸術を鑑賞することにおいて高級な行為だと僕は思っているので、それはちょっと習いたい。なので最近では複数キャストをやる場合、必ず演出も衣裳も同じにしています。照明さんに「3パターン作らなくちゃいけないじゃないか!」って怒られないように(笑)。やっていることは同じでも見えてくるものが違うということを、うちのお客様は楽しんでくれているようですね。こんな風に見えたとか、こっちが全然計算していない声があったり。
――その中で印象深かった感想はありましたか?
谷山は剽軽なイメージなんですが、「梅組のマリーの方が妖しかった、闇が見えた」というのがありましたね。菊組の場合は、秋葉(陽司)があんな感じですし、彼自身の演技もあって「“お母さん”のイメージが強かった」と言われましたね。欣也の方も、菊組は明らかに少年っぽい(美斉津)恵友を配置しましたし、梅組の方は背の高い、あまり少年には見えない丸川(敬之)を起用したので、特にそのせいで母子とは違うイメージになったのかもしれない。
――欣也とマリーの関係性はどのようなものでしょうか?
これは稽古が始まる前後に聞いたんですけど、欣也が寺山さんで、マリーが(寺山さんの)お母さんのはつさん、そして紋白が九條今日子さん、それぞれモデルになっているそうです。はつさんは病気で旦那さんを亡くされて、母一人で寺山さんをお育てになられて。それで出稼ぎに行く時に親戚の家に預けて、そこが映画館だったんです。寺山さんは非常に饒舌な方だったんですけど、はつさんが「修ちゃん!」って言うとピタッと黙ったっていうんですよ。それは晩年まで続いたそうで、『毛皮のマリー』ではその関係が描かれています。そう思うとすごく腑に落ちるんです。実際には寺山さんが九條さんに惚れてアプローチしたわけですけど、はつさんからしてみたら「持って行かれる」イメージがあって、だから「戻っておいで!」というセリフは完全にはつさんと寺山さんの関係なんですよ。
――寺山さんの作品の魅力とはなんでしょう?
もちろんあの時代とくっついて寺山さんは活動なさったんですけど、残された作品はとても普遍的なんですよ。時代とくっついてはいるんですけど、あまり直接的なものではないんじゃないかな。ちょっと距離をおいているんですね。だから、嘘で固めてはいるんだけれども、その向こう側に当時が見えるとか具体的なものが見えるという風に作っていらっしゃったんだと思います。
――ご自身で出演もされていますが、演出との両立についてはいかがですか?
今回はダブルでやったので片方の紋白、(堀越)涼に全部やってもらって、あとから僕が入るというパターンでした。シングルの場合は、立ち稽古が始まると演出席に座ったまま、自分のセリフを言って、相手役に右行け、左行け、という風にやるんです。それで固まってきたらようやく演技エリアの中へ入るので、いわゆる代役はつけません。代役にもダメ出ししたくなっちゃうんで(笑)。
――演出しながら役作りをするという感覚もあるんですか?
そうですね。僕は演出をするときに動いてやって見せるタイプなので、ダブルキャストの片方に真似して動いてもらった時に「こうやって見えるのか、じゃあこうしようかな」みたいな発見は自分でやるだけ以上にありますね。
――『毛皮のマリー』を初めて見る方への作品を楽しむヒントを教えてください。
なんだろう…大雑把に言うと、束縛する側とされる側の話だと思って頂ければ。ドラマ的には「束縛したい、されたくない」という葛藤の話なんです。あとは、「見ちゃいけない世界が観られる」かな(笑)。初演とか、3年ほど前に森崎編陸さんが演出した時は全裸が当たり前に登場する舞台だったんです。でも僕らの場合は女性のお客さんも多いし、今やると引かれると思うので、「出すなら偽物にしよう」と、それも本物っぽくない偽物然としたものにしました。
――今後、浄瑠璃でやってみたい作品はありますか?
『毛皮のマリー』もそうですけど、現代劇をやりたいという願望はあります。来年の30周年で、義太夫ものの作品は取り上げようかなとは思っています。なかなか浄瑠璃という表現は、和服文化の前提で書かれているので、洋服になった場合に三味線音楽に合わせて動くと言うのがちょっと困ったことになっちゃうんですよね。古典表現を現代でやる上での大きな壁がそこなんですが、いつかどうにかしたいと思っています。
『毛皮のマリー』という作品のイメージから、空間や装置は最初に設定して、そこに浄瑠璃を乗せる。しかも下座音楽ですから、音だけ聞くと完全に歌舞伎なんですよ。でも作っていて、ある時期から全然歌舞伎っぽく感じなくなって、いろんな可能性が見えてきたかもしれないと思いましたね。
「定式」という単語が歌舞伎の世界にあるんですけど、装置も衣裳も定式どおり、そして浄瑠璃も定式どおりの音楽を基本にしながら、少しずつアレンジするというのが歌舞伎のバリエーションなんです。けれど、花組版の『毛皮のマリー』では、まずビジュアル面の定式を取っぱらっちゃって、音楽だけは定式どおりにやる。それがやりようによってはしっくりくるんだな、と。だから可能性として「洋服でもいけるか」というのがあるんだけど…いやぁ、難しいだろうなぁ(笑)。
◆プロフィール
加納幸和(かのう・ゆきかず)
87年、花組芝居を旗揚げ。劇団のほとんどの作品の脚本・演出を手がけ、自ら女形として出演。俳優としても、映像、舞台に幅広く活躍。歌舞伎の豊富な知識を生かし、カルチャースクールの講師も勤める。今年3月には音楽劇『悪名~The Badboys Return!』に出演予定。花組芝居次回公演として、花組ヌーベル『恐怖時代』(7月@下北沢ザ・スズナリ)、本公演『桐一葉』(10月@あうるすぽっと)が控える。
◆放送情報
花組芝居 実験浄瑠璃劇『毛皮のマリー』菊組キャストver.
CSチャンネル衛星劇場 3月13日(日)午後4:15~/3月25日(金)午前7:30~
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