4人組ダンスパフォーマンスグループs**t kingz(シットキングス/通称:シッキン)の持田将史(shoji)と小栗基裕(Oguri)による舞台『My friend Jekyll(マイ フレンド ジキル)』が、2021年4月21日(水)より再演される。初演は2019年6月。それまで“無言芝居”を行ってきたシッキンの二人にとって、本作は大きな挑戦となった。
二人の本格的な俳優へのチャレンジを支えたのは、読売演劇大賞 優秀演出家賞を3回受賞している瀬戸山美咲。怪奇小説「ジキルとハイド」を“友情”という視点で捉え、朗読とダンスパフォーマンス、そして生演奏で新たな表現として追求した。
本作を経て、shojiは持田将史として『半沢直樹』(TBS系)でドラマデビュー、Oguriは上演こそ叶わなかったがブロードウェイ・ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー Season3』でベルナルド役をオーディションで勝ち取るなど、表現者としての可能性を広げてきた。
2年の時を経て、満を持しての再演。“朗読の読み手”と“パフォーマー”と、役割をそれぞれ入れ替えた2パターンの公演が用意されるなど、多角的な楽しみ方が用意されている本作について、shoji、Oguri、瀬戸山に初演を振り返りながら、その変化を語ってもらった。
――2019年に2日間だけ上演された『マイ フレンド ジキル』でしたが、これまで“無言芝居”を行ってきたshojiさんとOguriさんにとっては挑戦の詰まった作品でしたよね。
Oguri:初演の時は、ただただ緊張していた記憶しかなくて(笑)。振り返ると、稽古中からずっと緊張してたんですよ。その正体は「上手くやろう」「この人はちゃんと“芝居”ができると思われないといけない」という変なプレッシャーで。今考えると、そんなプレッシャーを感じる必要はなかったんですけど、「上手に読む」ことをすごく意識しちゃっていたんですよね。
(2年前の)映像を観て、「上手くやることを意識しすぎだぞお前!」って思いました(笑)。当時なりに自分の感情を動かそうと必死だったんですけど、今見るとまだまだ弱かった。朗読に関しては、特に。だから、今回は登場人物が「今、何をどう考えてるのか」をもっと意識して演じたいと思っています。もちろん、上手にやれたら最高なんですけど、そこを一番の目的に置くのは絶対にやめようと思っています。
shoji:初演の時は、僕ら二人は声を発して何かを表現すること自体が初めてでした。このチャレンジを一緒にしてくださったのが、瀬戸山さんで本当に良かったなと。基本的なことから、当時できるMAXのところまで瀬戸山さんに引っ張っていただいたと思います。
僕も当時は朗読することに99%頭を持っていかれていたので、ダンスにかける時間よりも朗読にかける時間の方が圧倒的に多かったです。だから、ダンスでももっと深いアプローチができたんじゃないかという反省があったので、今回は、前回以上にダンスでも、朗読でも、しっかりと成長した姿を見せられるようにしたいです。
瀬戸山:お二人がおっしゃったように、1時間以上、一人がずっと喋り続けるって、初めてやるにはハードルが高いことにチャレンジしていたんですよね(笑)。前回、朗読は半年ぐらい稽古を重ねたんですけど「まず自分の声やテンポを見つける」ようなところからスタートしたので。今回はより内容に踏み込んだ作品づくりができたという実感はあります。
当時は未知のものを作っているという感覚が強かったです。ダンスと朗読、さらに生演奏を組み合わせた作品はあまり観たことがなく、私自身もここまでダンスを取り入れた作品をやらせていただくのはなかったので、それぞれが持つパワーがどういうものなのか、探りながら形にしていく状態でした。今は、その力を分かった上で取り組めているので、今回はもっとダンスの力を上手く見せられるようにしたいなと思っています。
――前回の公演が終わった時に、またやりたいという構想がすでにあったんでしょうか?
shoji:そうですね。前回の本番が終わった時に、すでに再演をやろうという話が出ていました。
瀬戸山:うん、出てた。
Oguri:誰も完成形が見えていなかった作品、本番がどうなるかわからなかった感覚が、幕を開けたら「すごいものができた」という実感に変わったんです。公演期間が短かったこともあり、もっと多くの人に観ていたFだきたいという思いから、もう一回やりたいという思いを、演じる僕らも、瀬戸山さんも、スタッフ陣もみんな持っていました。コロナの影響で少し間は空きましたが、個人的には良いタイミングで再演を迎えられると思っています。
shoji:待ちに待った再演、という感じだよね。前回も全力でやらせて頂きましたけど、それでもまだ表現しきれなかったことがたくさんあったので。この空いた時間に得た成長を、しっかりとぶつけて全力で臨みたいです。
瀬戸山:この2年の間に、お二人が芝居の経験を重ねているのを観ていて、楽しみにしていました。実際、稽古初日に読んでもらっただけでも、すごく進化を感じました。私もがんばってついていかなければと気持ちを新たにしました。
――本作の経験は、shojiさんとOguriさん、そして瀬戸山さんの演出にどんな影響をもたらしましたか?
Oguri:声を発するお芝居をすることで新たな発見がいっぱいありましたし、何より気づきが多かったです。いつもは、シッキン4人で考えて、作っていくことをしてきたんですが、それを他の方に委ねるのも初めての経験だったので。瀬戸山さんとご一緒して、自分たちには見えてないものが、瀬戸山さんには見えている、それを言ってもらえることで気がつけることがたくさんあるんだと分かりました。
自分たちだけの作品づくりだったら、ちょっと曖昧なまま進んでいたようなことも、瀬戸山さんがちゃんと言葉にしてツッコんでくれることで「やっぱり、見える人には見えているんだ」と分かり、隅々まで徹底的に作り込むことの大切さに気づけたんですよね。言ってもらったことをパッと理解できなくても、それを考えることによって、新しいアプローチの仕方が見つかる。それも自分の中では発見で。いろんな可能性が出てきたというか、「もっとこういうことをしてみたい」という未来が広がった気がしました。
shoji:同じ台本なんですけど、結構聞こえ方が違うんですよ。オグリはあの時こう読んでいたけど、「ここってどういう気持ちで読んでる?」とか、「俺はこう思ってるんだけど、果たしてこれは正しいのかな」とか話をしながら、互いの現在地について話をすることが今まで以上に多い気がして。シッキンの4人でやっている時は、一つの方向に向かってわ~っと勢いで進んでいく感じだったんですよ。でも、Oguriと二人だけでやってみて、今まで以上にお互いの弱いところも見せられるようになった気がしました。
ダンスだけだと、もう10年以上も一緒にやってきたので今さら弱さを見せる話をすることも少ないんですけど。芝居という、自分たちにとって大きなチャレンジの途中で、互いにたくさん不安を抱えているからこそ、こういう話を今できているのはすごくいいことだなと思いながらやっています。
瀬戸山:私は、今まで「言葉」にすごく頼っていたんだなと思いました。お二人と作品に取り組むことで、言葉ではない余白の部分でこんなにもいろんな表現ができるんだ、ということに気づきました。お客さんが想像する余地みたいなものが生まれるのが、すごくいいなと思ってます。きっと、お二人とご一緒した後にやった舞台にも影響があったと思います。
2年前は本当にゼロから立ち上げましたが、こうやってみんなで話したらちゃんと作れるんだなって実感がありました。これとこれやったらここに行けるみたいなのとは全然違う、ものづくりの面白さを今回も感じています。
――本作では、お二人が「朗読の語り手」と「パフォーマーの踊り手」の役割を入れ替えて、2パターンで上演されますが、同じ役をやるからこそ、見えた違いはありますか?
Oguri:降りてきた瞬間のshojiくんの、トントントントントンと仕上がっていく感じはやっぱりすごいです。めちゃくちゃビビットに世界が見えてくる瞬間が度々あるんですよ。外から見ていて、「今、この人は余計なこと考えずにそこにいるんだ」ということが分かるんです。それがコントロールせずにそうなっているっていうのが、またおもしろいんですけど。それがいつ訪れるか分からないっていうのも(笑)。
shoji:(爆笑)!
Oguri:それがとても人間的なんです。普通に生きていても、めちゃくちゃ考えながら話す時もあれば、熱くなって一気に話す時もある。そういうのがそのまま出てくるのが、いいなって思いますね。あのスイッチの入り方は、俺はもっとめちゃくちゃ深くまでいかないとたぶん到達できない。きっと今までの人生での、いろんな経験があってできることなんだと思いますが、単純にすげえなって思いますね。
shoji:Oguriは、俺の中では常に人智を超えた成長速度を持つ人です。朗読ももちろんそうだし、ダンスもそうだし。Oguriが朗読をする時、僕は踊る立場で同じ舞台に立つんですけど、すごく引っ張られている感覚が強くなるんですよ。今回の稽古でも。また新たな能力をゲットしたな、本当に成長する速度がすごいなって思います。ダンスも元々めちゃめちゃ上手いのに、まだまだ超えてくみたいな感覚を一緒にいて感じるので怖いですね。負けたくないなと思うので・・・怖いです(笑)。
瀬戸山:二人は本当にタイプが違います。朗読もそうですけど、ダンスも。以前、シッキンがアニメのダンス振付をやっていらっしゃいましたが、私、あれを観て誰が誰だか分かったんですよ。それぐらい違う。
Oguriさんは、舞台上にいる立ち姿から美しいなと思うんです。「ここはこうだ」と考え抜いた上で、まず形を整えて、その中身をどんどん燃やしているみたいな印象。今回は、初演よりもだいぶ人間的な表現が深まっていると思います。感情は整えるだけでは伝えきれないものがあるので。そういう部分がさらに進化していっていますね。
shojiさんは、感情の生き物・・・。人、というか、生き物(笑)。パッションの人だなと思っているんですけど、開くのが上手いです。開く勇気がある、と言いますか。ただ、開きすぎちゃってだだ漏れているところもある(笑)。表現の形を保つ、キワキワを攻めたいんですよね。ぎりぎり、そこに見たことのない表情とかが生まれるので。
そして、ずっと一緒にやってきたという信頼関係が生む力がやっぱりすごいです。チームっていいなって思います。お二人が持っているものをどれだけ見せられるか。違うからおもしろい、どちらのバージョンも、前回以上に違うものになる気がしています。
――ちなみに、タイトルにも「フレンド」とつくように「ジキルとハイド」という作品の中で“友情”に着眼したのは?
瀬戸山:もともと原作は「アタスン」という友人の目線で書かれているんですが、映画や舞台になった時、アタスンの存在は全然前に出てこないんですよね。でも私は、原作では友達への想いが強く描かれているように感じて。19世紀末のイギリスでは、同性愛は禁止されていましたが、「ジキルとハイド」はジキルとアタスンの同性愛の物語だという読み解き方もあると言われています。だからこそ、二人の関係性に着眼してやってみようと思いました。そしてそれには、shoji さんとOguriさんとやれるということも大きかったです。10年以上一緒に活動してきた人しか表現できないような関係の話だなと思ったので。
――お二人は、この解釈をどのように感じて演じていらっしゃいますか?
shoji:ジキルやハイドの持つ猟奇性を描くより、人間の持つ弱さや、弱いからこそ守りたい、愛したい・・・そういう自然的な感情にフォーカスされていたので、二人で演じる意味がすごくある作品だなと思いました。原作を読んだ上で瀬戸山さんの台本を拝見した時も、今やっていても、すごく楽しいです。
Oguri:人間ってすごく愚かじゃないですか。はたから見たら何やってるの?って思うような。良くも悪くも愛おしくも感じる存在だし、この話はそんな人間のほんの一部を切り取ったにすぎないのかなと。恐ろしい話ではあるけども意外とどこにでも溢れていることかもしれない。それをちょっと脚色したのが、この「ジキルとハイド」という物語なのではと思います
それを、瀬戸山さんはより人間らしく切り取ってくれたんだなと。思いが強すぎるが故に予想外のことをしてしまったり、そういうことが連続してかみ合わずに物事が進んでしまう。でも、人間ってそうだよな、自分にもそういうとこあるよなって思います。はっと我に返った時、自分のこととして考えたりするんですよね。
――2年前と同じ台本を向き合ってみて、大きく変化したことはありましたか?
shoji:前回は「台本ってどうやって読むんですか?」というレベルから始まったもので、きっと瀬戸山さんに質問することも変わってきていると思います(笑)。
瀬戸山:前とはまったく違います!前回、私も夢中で見えていなかったところまで、すごく丁寧に読み込んでくださって、一つ一つの台詞が何故出てきているのか、話せている気がします。
Oguri:向き合い方が分かったのかも。前回は、台詞が書いてある本という感じで、それをどう読むか、みたいな感じだったんですけど、今は一行一行に「なんでこうなるんだ?」って、自分の中でその理由をちゃんと追える読み方ができているなという感覚があります。俳優の方たちはこれを当たり前のようにやっていらっしゃるんでしょうけど。
shoji:前回、「・・・」は「・・・」としか捉えられていなかったんですよね。でも今回は「なぜ“・・・”なのか」とか、「言葉が出てくるまでに間があるのは何故なんだろう」とか、少しずつですが自分たちなりに考えたものを表現できるようになってきたのかなと思います。
――台本への解釈の深まりって、ダンスにも影響あります?
Oguri:あると思います。例えば、「悲しい」という表現について、きっと今までは悲しく「見せる」ことを考えていたんですが、今は、踊っている時も頭の中に言葉出てきます。もちろん「見せる」ことを考えつつも、ちゃんとその感情になれているという感覚が少しずつ出てきているので、それを広げていかないと。ダンスへのヒントもたくさん得ていますね。
shoji:おもしろいことに俺は逆で、感情の生き物である俺は、悲しいと思ったら全身「悲しい」になっちゃうんですよ。
Oguri:そうだ、そういう生き物になっちゃうんだよね(笑)。
shoji:そう(笑)。でも、台詞のあるお芝居を経験してから、その中にもう少し丁寧にストーリーを織り込んだり、感情の中に理性を通すようになってきたかもしれない。その悲しみに至る流れとか、説明的な感情の流れを見せないと、いきなり「悲しい」生き物になられても過程が伝わりませんから。そういうことが、芝居をしていく中で少しずつダンスの表現にも還元され始めたような気がしています。
――再演では、一部新曲と新演出も含まれると聞きました。
瀬戸山:前回は、読み手と踊り手をきっちり分けて、読み手が踊る部分はワンポイントという感じだったんですけど、二人が一緒に踊ることで表現できることが広がるんじゃないかと思い、今回は二人のダンスシーンが増えています。・・・だから、読む方は大変ですよね。踊ってから、また読まないといけないから。
shoji:そうです。汗でビショビショのアタスンになってしまうかもしれない(笑)。
Oguri:ジキルは後ろに下がって汗拭けるけどね(笑)。
――いろんな面で、進化を感じられる再演となりそうですね。
Oguri:パワーアップをした作品になると思いますし、新しいものを作るぐらいの意気込みで、スタッフ一同やっています。こういう時期なので、なかなか生で何かを観る機会が減っているとは思うんですけど、来ていただけたら新しい世界を見せられると思っているので、楽しみにしていてほしいです。
shoji:“生きている”作品を見せられるんじゃないかなと思っています。朗読も日によってペースが毎日違ったり、それに合わせて音楽も生演奏なので朗読に合わせて変化したり、逆に僕たちが音楽に寄り添って朗読をし、なおかつそこにダンスを合わせていくという、毎回絶対に違うものになるんだろうなと。そのナマモノ感を味わいに来ていただけたらと思いますね。
瀬戸山:確かに、生きている作品かもしれない。今、コロナ禍でなかなか出かけたり、友達に会えたりできないから、いろんな感情が個人の中にたまっていると思うんです。そういうもやもやしたものに対して、生で何かを見ることはいい刺激になるんじゃないかなと。自分自身が泣かなくても、舞台上で泣いたり怒ったりしている人を観ることで、浄化される部分が人にはあると思うんです。内容的にも、ひとりで抱え込まずに人と分かち合うことの大切さを描いている作品だと思います。人とつながることで、人間は生きていることを感じられる。そんな作品をお届けできると思うので、お越しになれる方はぜひ劇場でご覧いただきたいです。