中山優馬、矢田悠祐らが戦争へ赴く若者演じる『The Silver Tassie 銀杯』開幕レポート

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会場に流れるアイルランド音楽。開演前から異国へと誘われた―。2018年11月9日(金)に、東京・世田谷パブリックシアターで舞台『The Silver Tassie 銀杯』が開幕した。出演は中山優馬、矢田悠祐、横田栄司ら。演出の森新太郎はこれまでもアイルランド戯曲の演出を手がけ、アイルランド留学経験もある。戦争をきっかけに、善悪では割り切れない人間の存在を浮き彫りにする本作のゲネプロの模様をレポートする。

物語の舞台は、第一次世界大戦中のアイルランド首都・ダブリン。フットボール選手でエースのハリー(中山)は、軍の休暇中に出場した試合でチームを優勝に導き、人々の中心にいた。手には銀杯=優勝カップと、美しい恋人のジェシー(安田聖愛)。ハリーを演じる中山は、明るい金髪で、英雄であることを享受するふてぶてしい若さもある。身につける軍服はまだ戦争で汚れていない。英勇的でもあるが、一人の未来明るい青年には似合わない“戦争”という被り物を着せられているようにも見える。

栄光の証“銀杯”を掲げるハリーを、友人のバーニー(矢田)は笑顔で讃える。端正な顔立ちで清潔感があり、英雄のハリーに嫉妬することもなく立ち振る舞う好青年のバーニー。周囲の人々が音楽をかき鳴らしてハリーのもたらした“銀杯”に歓喜するのに合わせ、伸びやかに歌い上げる矢田の声もまた、青年の若々しさを感じさせる。

『The Silver Tassie 銀杯』舞台写真_3

もう一人、旧家中で帰省しているのがテディ(横田)。同じ共同住宅に住む乱暴者で、奥さん(長野里美)に対して横暴に振る舞う。大きな声と体格、足場に安定感のある動きで、テディの粗野さは迫力を増す。ギリシャ悲劇やシェイクスピア劇など、数々の舞台に立ってきた横田の言葉は、詩的な言い回しのアイルランド戯曲を生々しく伝える。

『The Silver Tassie 銀杯』舞台写真_5

3人は、再び戦地へ行かなければならない。この出征が、彼らの人生を大きく変えていく・・・。当時イギリスの一部だったアイルランドでは、志願者らがイギリス軍に入隊して戦場へ赴いていた。ハリー、バーニー、テディらはフランスの戦地へと向かう。イギリスがすぐに勝利すると思われているこの戦争では、そこに加わるアイルランド兵達もどこか陽気で楽観的だ。しかし歴史では、イギリス軍は苦戦を強いられ、フランスの塹壕で悲惨な戦闘を過ごさなければいけなくなる。

『The Silver Tassie 銀杯』舞台写真_8

時間も場所も移り変わる4幕構成。時が立ち、戦争を経て、人々と関係は変化していく。ハリーも人生が大きく変わっていく一人だ。中山は、変化によるハリーの精神的な鬱屈をストレートに演じたかと思えば、時に繊細に複雑な感情を同時に感じさせる。足の角度や首の振り方などきっと研究して舞台に立っているのだろう。一つ一つの動きの向こうにハリーの葛藤を想像してしまう。

矢田演じるバーニーからは、人間の複雑さを感じる。英雄であるハリーの影に隠れているようで多くを語らないが、人間の誠実さと弱さ、熱意と残酷さが混ざる。もしやこの舞台は、バーニーの物語ではないかとまで思う。

『The Silver Tassie 銀杯』舞台写真_6

戦場には赴かない女性たち、ハリーの恋人のジェシーや、ハリーに恋する堅実なキリスト教徒のスージー(浦浜アリサ)も、戦争の影響を受ける。彼女たちの恋心もまた、若さの情熱がある。

ハリー、バーニー、ジェシー、スージー・・・4人の若者たちの放つ“若さ”は、物語の進行役とも言える二人の老人(山本亨、青山勝)と対照的だ。老人たちは陽気で、シニカルなジョークで笑ってばかり、争いからは一目散に逃げる。おしゃべりで陽気だけれど、南国のようなあっけらかんとした感じではなく、皮肉なジョークには哀愁がある。そんな二人の存在は、長年イギリスに抑圧されてきたアイルランド人を象徴しているのかもしれない。

『The Silver Tassie 銀杯』舞台写真_2

全編を通してこの物語は、市井のアイルランド人を明らかな善人としては描いていない。「ダブリン市民の欺瞞・不寛容・残酷さ」を描いたことを一つの理由に、ダブリンで予定されていた本作の初演(1928年)は拒否されている。

しかしこの作品を客席から観て、客観的な気持ちでいられるだろうか。舞台上で生きるのは、市民である。愛したり、笑ったり、ふざけたり、怒ったり心配したりする、ただの市民である。フットボールの試合で優勝しようが、戦争が起ころうが、人が生きるところには日常がある。日本の日常風景を振り返ってみても、そこには欺瞞も不寛容も残酷さもあるかもしれないが、誰かを好きな思いや、幸せになりたい気持ちに、正しさはあるのだろうか。

今作を情感豊かに彩るのは音楽だが、オーディションでは歌えることが大きな条件だったそうだ。ミュージカルのように歌い上げるのではなく、語るように言葉を届ける歌い方や、日常で歌われる様子からは、アイルランドの人々の生活が感じられる。

音楽に彩られてきたアイルランドと歌は、切っても切り離せない。アイルランドでは今も昔も町にメロディが溢れ、パブでは居合わせた人々が即興でセッションをすることがよく見られる。街を歩けばどこからか常に生の音楽が聞こえてきて、街が歌っているのかと思う。また、塹壕では兵士たちが息抜きに歌っていたそうだ。

『The Silver Tassie 銀杯』舞台写真_7

塹壕の戦士たちは人形が演じる。不思議なことに人形たちが歌うと、動かない顔がとても表情豊かに見える。明るい歌を歌う時に、人形の表情は悲しく見えたり、嬉しそうな言葉で盛り上がっていても、苦しそうに見えることも。無表情だからこそ想像力がかき立てられるのだ。そして舞台の上では、戦場にいるのは生身の人間ではなく、人形であることがそら恐ろしい。

国広和毅の音楽だけでなく、美術も衣裳も照明も、雄弁に『銀杯』の物語を語る。繊細かつ大胆な美術演出にハッとさせられる場面も多い。おそらく様々なシーンにそれぞれ緻密に作り上げられた意図があるだろう。しかし一見では知識や気づきが追いつかない。劇場を出て振り返り、「あれはああいう意味だったのかも」と考える楽しみもある。

『The Silver Tassie 銀杯』舞台写真_4

台詞の中には、キリスト教やアイルランドの歴史は盛り込まれており、宗教をネタにしたジョークなど日本人の会話とは違うノリがあるため、歴史背景を知るほどより深く楽しめるだろう。しかしそのまま受け入れて、ふざけあう彼らの会話を楽しめば、そこにはただ喜怒哀楽豊かな人間がいる。本作は“反戦劇”だろうけれど、そこにいる一般の人間の日常を描いている。その人間に視点を当てた結果、戦争そのものが浮き彫りになるのは皮肉だ。観終わった時に第一幕を思い返すと、その皮肉さとハリーが掲げた“銀杯”の輝きが、胸に刺さる。

『The Silver Tassie 銀杯』は、11月25日(日)まで東京・世田谷パブリックシアターにて上演。上演時間は、1幕:1時間15分、2幕1時間10分(休憩20分)の計2時間45分を予定。

(取材・文/河野桃子)
(撮影/細野晋司)

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