2014年11月8日、東京・日比谷の帝国劇場でミュージカル『モーツァルト!』が初日の幕を開けた。2002年の初演時から主役のヴォルフガングを演じ続けてきた井上芳雄にとって、今回の出演がファイナルとなる。
“ミュージカル界のプリンス”井上芳雄が、今、演劇界にとってどんな存在なのか…彼の足跡を辿りながら考えてみたいと思う。
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『エリザベート』での鮮烈なデビュー そして『モーツァルト!』へ
井上芳雄が私たちの前に颯爽と現れたのは2000年。それまで宝塚歌劇団で上演されてきたウィーンミュージカル『エリザベート』の帝国劇場公演で、彼は皇太子・ルドルフを熱演し、その華麗な歌声と舞台映えするルックスで多くのミュージカルファンを魅了した。当時のミュージカル界のメインストリームは劇団四季か宝塚の出身、もしくは音楽・映像畑からの参戦組で占められており、芸大在学中の20歳の新人がいきなり帝国劇場でプリンシバルの一人として出演するのは極めて稀。福岡で中学生の頃からミュージカルの舞台に立つことを夢見てレッスンに通っていた一人の青年の夢が帝国劇場で叶ったのである。
そこから井上の快進撃は続く。ストレートプレイ2作品とミュージカルショーへの参加を経て、2002年には『エリザベート』と同じ作詞・作曲・演出家が組んだ『モーツァルト!』に主役・ヴォルフガング役での出演が決定(中川晃教とのWキャスト)。井上はデビューから一年余りで大劇場の舞台で主演を務めるという大きな挑戦をする事になる。
ミュージカル『モーツァルト!』は稀代の作曲家・モーツァルトの生涯と、彼を取り巻く父親や姉、妻とその家族、音楽仲間や権力者との葛藤を描いた作品で、劇中にはヴォルフガング(=アマデウス・モーツァルト)の分身ともいえるアマデ(台詞は一切なく、子役が演じる)が登場する。
初めてこの作品を帝国劇場で観た時、中川晃教が演じるヴォルフと井上芳雄が演じるヴォルフの歴然とした違いに体中の血が躍った事を今でも思い出す。つまり、中川ヴォルフは以前のように曲が書けなくなってからも自らを“天才”だと信じている役作りで、一方の井上ヴォルフは自分がもう“天才”ではなくなってしまった事を自覚している役作りだったのだ。劇中のメインテーマともいえるナンバー「僕こそミュージック」は同じ曲でありながら“このままの僕を愛して欲しい”という歌詞がそれぞれ異なった意味合いで響き、「これぞWキャスト!」と、その醍醐味を味あわせてくれた。
ちなみに2010年から井上とWキャストとして同役を担当しているのは山崎育三郎。若さとキラキラしたエネルギーに溢れたヴォルフガングを伸び伸びと演じている。これも成熟した井上ヴォルフとは一味違う役作りだ。
ミュージカルとストレートプレイの世界を繋ぐ
井上芳雄の大きな魅力の一つが“演じる役柄の幅広さ”と“出演する作品の多彩さ”なのは誰もが認める所だろう。『ミー&マイガール』のビルや『ウエディング・シンガー』のロビーは底抜けに明るく、『マリーアントワネット』のフェルゼン、『ミス・サイゴン』のクリス、『シェルブールの雨傘』のギイは世情と愛情の狭間で苦しむ青年。『二都物語』のシドニーは愛する人達のために自らが犠牲となる男性で、『三銃士』のダルタニャンは仲間たちと共に冒険の旅に出るエネルギーに満ちた若者。更に『ルドルフ・ザ・ラスト・キス』では宮本亜門(2008年)、デヴィッド・ルヴォー(2012年)という異なる演出家のもとで、2回に渡ってタイトルロールのルドルフ役を演じている。
井上が活動の場とするのはミュージカルの舞台だけではない。“日本語”にとことん拘ることで有名な劇作家・井上ひさし氏作の『ロマンス』『組曲虐殺』『水の手紙』『イーハトーボの劇列車』や、新国立劇場・小劇場の翻訳劇『負傷者16人』、蜷川幸雄・演出『ハムレット』『冬眠する熊に添い寝してごらん』など、ストレートプレイ(台詞劇)にも積極的に出演。
実は日本の演劇界において、大劇場のミュージカルと濃密なストレートプレイの両方で主役を張れる人材は非常に少ない。井上芳雄が今歩んでいるのは彼自身が切り拓いている全く新しく、そして険しい一本道なのである。
2015年3月に出演するストレートプレイの舞台『正しい教室』も気になります!
StarSとしての活動…更にその先へ
ミュージカルとストレートプレイの世界を繋ぐ存在となった井上が次に挑戦したのは音楽ユニットとしての活動だ。2013年に浦井健治、山崎育三郎と『StarS』を結成。「ミュージカル界をもっと盛り上げたい」という思いから井上の声掛けによって誕生したこのユニットは、2013年5月、東急シアターオーブを皮切りに行った五都市でのコンサートを連日満員にし、同年11月に日本武道館で開催されたコンサートも大成功に導いた。ちなみにミュージカル俳優が単独で日本武道館においてコンサートを行ったのは『StarS』が初である。
近年、ドラマやバラエティ番組への出演も増えている井上。映像でもその存在感にキレのあるトークをプラスして場を沸かせているが、やはり彼の本領が観られるのは“舞台”なのだと私は思う。映像やステージ上で軽やかな姿を見せているが、井上芳雄は自分が“天才”でないことを知っている。だからこそ常に新しい挑戦を続け、ミュージカルとストレートプレイの間を自在に行き来することで、これからも演劇界に新風を吹き込んでいくのだろう。その華やかに見えながら実は孤独な戦いの様は、彼が演じるヴォルフガングとぴったり重なっているように私には思える。
2015年1月15日、大阪・梅田芸術劇場での舞台が彼にとって最後の『モーツァルト!』出演となる。この日が“ミュージカル界のプリンス”井上芳雄の第二章スタートの日となることを心から願い、デビュー作『エリザベート』への黄泉の帝王・トートでの帰還も含め、今後も華やかさと密やかな影を併せ持つ彼の姿を客席から見続けたいと思う。
写真提供:東宝演劇部