第72回トニー賞において最多10部門を受賞した『The Band’s Visit(バンズ・ヴィジット)』で音響サウンドを務めた原田海に独占インタビュー!舞台上にミュージシャンが存在し、クセの強い英語を喋るといった独特の舞台の音をどのようにまとめ上げていったのかを解説してもらうとともに、舞台や音楽、日本への愛についても語ってもらった。
――トニー賞のミュージカル音響デザイン部門での初受賞、おめでとうございます!授賞式でご自身の名前が呼ばれた時のお気持ちを教えてください。
ありがとうございます!私にとって非常に素晴らしい瞬間でした。正直、興奮しすぎてあまり覚えていないんですよ。ご存知の通り、この部門は3年ぶりにトニー賞に復活した部門であり、その年にノミネートされたことを非常に光栄に思っています。2012年に『Follies』でノミネートされた時も興奮しましたが、今回この『バンズ・ヴィジット』で受賞できたことが本当に、本当に嬉しいです。また自分の成し遂げたことだけでなく、作品自体を非常に誇りに思います。ステージに上って、自分が何を喋ったのか覚えていないんですよ!いまだに記憶がぼやけています(笑)。
――10部門を受賞した作品に関わったご感想は?
非常に誇りに思っています。『バンズ・ヴィジット』は、人が人であることをシンプルに描く、スペシャルで美しいミュージカルであり、派手な楽曲や煌びやかなダンスナンバーに頼っていません。異なる文化を持った二つのグループの人生が交わる一瞬をただ描いているだけなのです。アメリカ、そして世界の他の地域の社会的そして政治的緊張が高まり対立構造が深まっている今、非常に異なる二つのグループが音楽の力を通じて、それぞれが抱える問題を共有し、一つになることができるというストーリーを描くことに意義があると感じています。
音楽家として、また音楽家の両親を持つ息子として、この作品に携わる話を頂いた時、非常に強い興味を抱き、絶対にやらなければいけないと思いました。大変なこともありましたが、受賞した今、すべての苦労が報われました。
――プロデューサーのオリン・ウルフはあなたの受賞について「音響は劇場での親密さを保つために不可欠であり、それを手掛けた原田海さんが受賞してくれたことを非常に嬉しく思う」と語っていましたね。オフブロードウェイからブロードウェイの劇場に移った時の課題は何でしたか?
私はオフブロードウェイ(Atlantic Theater)のプロダクションに関与していませんでしたが、人づてにこの作品と課題については聞いていたので、ブロードウェイでの公演に先立って音楽部門、特にディーン・シェアナウ、アンドレア・グロディと一緒に何度もミーティングを行い、オフブロードウェイの段階からあった課題を踏まえながら、作品のデザインをしっかり作り上げるようにしました。
私は音響デザインを考える際、すべての音が調和することを常に目標としています。『バンズ・ヴィジット』は舞台上にミュージシャンがいるので、俳優の声を自然に届け、様々な楽器の音を一つの音色にまとめるだけでなく、彼らミュージシャンのことを考慮しなければならないという点が他の作品以上のチャレンジでした。観客がサウンドシステムを使っていることに気づくことなく、すべての音が自然に聞こえるようにすることで、作品の親密さを生み出し、舞台と観客が繋がり、感情移入できるのです。
さらに、この作品はアクセントにクセのある英語での会話が多いので、観客自身が舞台上で、人々のやり取りを聞いているように感じられる点を重視することで全員が同意しました。舞台上のキャラクターが英語に苦戦する時、観客も同じく苦戦するようにしているのです。私は、観客が会話を聞き取るために実際に少し前かがみになることを悪いことだとは思っていません。先ほど言った通り、このようにすることで観客と舞台に一体感をもたらすことができるのです。
――『バンズ・ヴィジット』が多くの部門で受賞した理由と業界へのインパクトについてどうお考えですか?
典型的なブロードウェイらしい、派手でスペクタクルな作品でなくてもトニー賞が受賞できることを示せたと思います。幸運なことに数年前、ブロードウェイで『Fun Home』の音響デザインをしましたが、それも同じようなタイプのミュージカルだと思います。派手でなく、深く、人間の普遍的な問題をテーマにした非常に共感できる会話ベースの作品です。
――音響デザインの観点から『バンズ・ヴィジット』の特別な点は何だと思われますか?
作品がとても美しく構成されているので、音響デザインが物語や音楽から何かを損なってしまわないように気をつけました。そのため、ナチュラリズムが一番重要でした。数多くのスピーカーを適切な場所に設置し、観客全員に聞こえるように心がけた一方で、強調しすぎないようにも気を配りました。また、ステージ上で演奏される楽器の位置や向きも重要でしたので、私たちは新しい音源定位システムを使用し、位置を測定しました。
さらに、劇場の生の音響に少し手を加える場面もありました。ブロードウェイのバリモア劇場は非常に音が通る劇場ですが、何回か音量を大きくするよう手を加えているシーンもあります。特にこの作品に関しては、音楽やセリフを聞き取れるだけでなく、それらのないシーンにも注力する必要がありました。私はアソシエイトのジョシュ・ミリカンと音景(コオロギ、鳥、虫、風の音)を組み合わせて一日の時間帯を表現しました。
――原田さんの音響デザイナーというお仕事についてご説明いただけますか?
ミュージカルにおける音響デザイナーには、劇場内にいるすべての観客に対して、快適な音を提供できる環境を保証する責任があります。つまり、観客がどの席にいても、あらゆる言葉や音楽を聞き取ることができるようにすることです。物理学と音響学的に、劇場内のどの座席でもまったく同じように聞こえるようにすることはほぼ不可能ですが、できる限り近づけることが重要なのです。一見シンプルに見えますが、これを達成するには巧妙さを要し、対処すべき課題があります。どんなブロードウェイの舞台でも、音響デザイナーは、ショーで使用するすべての音響機器の種類、数量、および設置場所を選定する責任があります。
最も重要なのは劇場内でのスピーカーの設置場所で、物理的にスペースの問題があったり作品の審美性に関わるため、他のデザイナーとの交渉がしばしば必要になります。また、アプリケーション、マイクの種類、そしてその間にあるすべての機材も選定します。異なる声や音楽を様々なスピーカーシステムで操作してバランスを取り、すべての音ができる限り良く聞こえるようにすることを、稽古中やプレビュー中に行っています。
――そのように音を管理するというお仕事の中で、作曲家や監督とはどのように連携を取られているのですか?
美術デザイナーのスコット・パスクと一緒に舞台上のセットにスピーカーを組み込み、キャストが必要な音を聞き取ることができるのかを確認しました。照明デザイナーのタイラー・マイコロウともスピーカーのプロセニアムへの設置に関して相談しました。衣装デザイナーのサラ・ローとは舞台上のミュージシャンの衣装や帽子にうまくマイクを忍ばせ、色々な場面で役者の演技の邪魔にならない、かつ必要な音をしっかりと拾えるかをミュージシャンと確認しました。演出家のデヴィッド・クローマーとは、舞台の様々なシーンにある異なった環境を作り出すためのサウンドスケープについてたくさん話し合いました。
また、ショーにはかなりの数の効果音が使われますので、それらがしっかり伝わるようにすることも重要でした。例えば、ラジオが流れているシーンであれば、実際に音を出しているのは舞台に設置したスピーカーであっても、観客たちにはラジオから音が流れているように聞こえるようにするといったことです。音楽部門とも常にコミュニケーションを取っていました。編曲に関しては私の仕事ではありませんが、理想的な音響のために作曲家や編曲家と話し合ったりもします。
また、サウンドオペレーターのエリザベス・コールマンに、私たちが描こうとしている音響デザインイメージを指示することも私の仕事です。音源を調整し、それを毎公演で維持するのは彼女の責任ですが、俳優やミュージシャンといった人間の生の音を扱うため、ショーによって多少のバラツキが生じます。リズ(エリザベス・コールマン)には、音の変化に素早く反応し、稽古中に設定したフレームワークの中に収まるように調整することが求められます。幸運にも、私は毎公演で非常に丁寧に仕事をしてくれる素晴らしいスタッフに恵まれています。
――経歴について教えてください。どのようにして音響デザイナーになられたのですか?
私の両親は二人ともクラシックミュージシャンであり、母はバイオリニストで音楽教師、父はチェリスト(東京カルテットの創設メンバー)で同じく教師だったので、音楽は常に家族の中にありました。コネチカット州(ニューヨーク近郊)に住んでいた子供の頃、約10年間ピアノを習っていましたが、早い段階からプロのミュージシャンにはなりたくないと思っていました。私はいつもテクノロジーと機械が好きで、レコーディングエンジニアと多くの時間を過ごしたので、大きくなったらクラシック音楽のレコーディングエンジニアになるかもしれないと思っていました。また、中学校で演劇の裏方の仕事、照明の吊り方や舞台製作、そして演劇の音響の存在を知って、ピンときたんです。
演劇の音響デザイナーには二つの明確なカテゴリーがあります。一つは、芝居における構図や音景に集中する人。そしてもう一つは、ミュージカルにおいて効果音もやりつつ、音楽や声の音量を調整する人。私は音楽、物理学、テクノロジー、そして心理学のコンビネーションを要する二つ目の仕事に魅了されました。イェール大学で2年間勉強した後、ニューヨークに移り、オフブロードウェイ、そしてその後はブロードウェイの音響デザイナー、トニー・メオラの元で働き始めました。アシスタントやアソシエイトとして長年学んだ後、自ら作品をデザインするようになったんです。
――ブロードウェイに日系アメリカ人コミュニティはありますか?
私の父(原田禎夫)は20歳の時にジュリアード音楽大学に通うために日本からやって来ているので、私自身はハーフです。日系アメリカ人とは、アメリカに住んでいた二代目、三代目、四代目の日本人のことを意味しています。私自身は幼かった頃、日本側の親戚によく会っていたため、日本に対して非常に愛着があります。私の日本語は完璧ではありませんが、日本で生活しても十分なコミュニケーションはできます。
あなたの質問にきちんと答えられるか分かりませんが、私は数年前に『Allegiance』で働くことができて幸運でしたし、最近では『Soft Power』(中国・米国の経験についての舞台)もあり、これらのショーに出演する日系アメリカ人もいます。劇場で働いている第一世代の日本人の友達もたくさんいますよ。キーボードプログラマーのヒロ・イイダ、バイオリニストのトモコ・アカボシ、プロデューサーのマイ・カトウ、舞台監督のサオリ・ヨコオ。よくみんなでご飯を食べに行っています!
――日本に行ったことはおありですか?
もちろん、何度もあります!父方の家族は全員東京近郊に住んでいて、祖母は2月に100歳になったばかりです。本当は頻繁に日本へ行きたいのですが、今は1年半から2年に1回という程度です。日本には、1年ほど前に劇団四季の『ウィキッド』で仕事をした際に知り合った友達もいますよ。もちろん、日本の美味しいご飯やショッピングも大好きです!
写真1枚目:Photo by Dia Dipasupil/Getty Images for Tony Awards Productions
写真2枚目:Photo by Mike Coppola/Getty Images for Tony Awards Productions