1991年の初演以来、毎年のように上演され、私たちに多くのメッセージを伝え続ける『ミュージカル李香蘭』。日本人でありながら、中国人女優「李香蘭」として激動の時代を生き抜いたひとりの女性の半生を描く、浅利慶太氏によるオリジナル作品だ。
初日まで10日を切り、熱い稽古が繰り広げられる代々木のアトリエで、初演から本作のタイトルロールを演じ続ける野村玲子に話を聞いた。
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初演からひとつの役と向き合う
――初演から25年間、ひとりの女優さんがずっとタイトルロールを演じるというのはとても珍しく、大変・・・そして素敵なことだと思います。
25年と聞くと「ああ、もうそんなに時が流れたのか」と実感しますが、毎回出演者も変わりますし、そうなると役として演技的な交流も変わってきますよね。新たなメンバーとこの作品に向き合うたび、私も新鮮な気持ちになるんです。
『ミュージカル李香蘭』のモデルである山口淑子さんが亡くなって、今回が2回目の上演になります。山口先生がお元気だったころは、良く電話でもお話をして、勇気をいただいていたのですが、お亡くなりになってからは、なにか迷いのようなものが生じた時に、ふと心の中で「先生、私の香蘭、これで合っていますか?」と、問いかけることもあるんですよ。
――先日、お稽古場にお邪魔した時に、演出の浅利慶太さんは「今回の上演が一番深まっている」とおっしゃっていました。
この作品はオリジナルミュージカルということもあって、今回の上演では、今の時代や出演者によりフィットするよう、内容にも細かく手が加えられています。例えば、冒頭の裁判のシーンで、演出家が誰かに伝えたアドバイスによって全体の熱量がぐっと上がったり。それぞれの演技的な交流が変化していくのを目の当たりにして、私自身もこれまで味わったことのない感覚になることもあります。先日はこの場面だけで一時間以上稽古をして、より濃密なシーンが作り上げられました。香蘭としてその場にいても、恐怖の感情がこれまでとは違うレベルに育ちましたね。
――オーディションで出演が決まった若い俳優さんもたくさん参加されますね。
一番若い俳優で17歳・・・くらいじゃないかと思います。私も含め、出演者の中に、戦争を体験した人間がいない分、勉強することでそこは埋めていかなければいけませんし、演出家からは「皆、まだ勉強が足りない!」と檄が飛ぶこともあります。私の方から、積極的に(若手俳優たちに)アドバイスをしたり・・・ということはありませんが、何か聞かれたら、これまでの経験を踏まえて話す時間を持つことはあります。
この作品に「絶対に戦争を起こしてはいけない」というメッセージが流れているのは初演の時から変わっていませんので、今回もそのメッセージをカンパニー全員が胸に強く置いて、稽古に臨むようにしています。
――初演から拝見していますが『ミュージカル李香蘭』には、分かり易い悪役や敵役が出てこないのも魅力の一つだと思います。
そうなんですよね・・・誰もがきっと、良かれと思って行動した筈なのに、少しずつ歯車が狂って、世情が思いもよらぬ方向に動いてしまう・・・そうして戦争という悲劇が起こっていく。だからこそ、私たちも、今、自分たちがどういう状況に置かれているのかをしっかり見極める必要があるのだと思います。
――これまで多くの回数、本作にご出演なさっていますが、野村さんにとって特に心に残るエピソードがありましたらぜひ!
まずは初演の初日ですね。当時は今より20分程度上演時間も長く、オリジナル作品ということで、曲もどんどん変わり、振付も変化して、ギリギリの状態で稽古をして迎えた初日でしたので、何とか無事にやり終えた時のあの感覚・・・忘れられません。
また、中国公演をやらせていただいた時のことも強く心に残っています。あの時は、スタッフと出演者、総勢100人以上で現地に入ったのですが、まず「何が起きても淡々と・・・平常心で舞台を続けよう」と、全員が同じ思いで公演に臨みました。
――それはやはり、中国の観客の方たちの反応が予測できなかったということでしょうか?
そうです。作品としても、日本と中国の辛い時代のことを描いていますので、お客さまがどういうお気持ちで舞台を観てくださるのかがやってみないと分からない状態で。ですから、たとえ客席から何か物が飛んでくるような事態になっても、動揺せず普段通り演じなくては・・・と、ある種の覚悟もありました。
――結果は?
大きな拍手をいただきました。特に「チュイパ」の場面では泣いている方もいらして。舞台の上にいる私たちも感極まるところがありましたね。その後、中国国内の他の地域も40日くらいかけて回り、日本に帰って、凱旋公演で全国各地にうかがって・・・と、あれだけ長期間「李香蘭」という役に浸かったのも忘れられない経験です。
役の前では“透明”でありたい
――野村さんは、役とご自分を切り離して考えるタイプでしょうか?それとも、役にどっぷり浸かってしまうタイプ?
最近、やっと少し、役と自分とを切り離して考えられるようになりました(笑)。以前は全然ダメで、役に入り込んで・・・吸い取られちゃう感じで。
――となると『エビータ』のエヴァ役の時は、普段もちょっと強くなったり。
確かにそういうところもありましたね(笑)。『夢から醒めた夢』のマコをやっている時は、どこか存在感を消してみたり(笑)。形から入るわけではないのですが、演じる役によって、私服のテイストが変わったこともありました。
――ロングラン作品だといろいろ影響もありそうですね。
『オペラ座の怪人』のクリスティーヌのような役をずっと演じていて、普段からあまりにも(役に)自らを捧げすぎてしまうと、自分がエンプティになってしまうんです。ある時、大先輩でもある日下(武史)さんから「そうやって、身をそぐように役と向き合っていると、いつか破綻してしまうよ」と言われ、その言葉が胸に刺さりました。役と自分との距離は本当に人それぞれだと思いますが、今はなるべく、役の前で“透明”な状態でいられればと思っています・・・どっぷり浸かりすぎるのではなく。
――「李香蘭」と『エビータ』の「エヴァ・ペロン」がほぼ同じ年代に生まれていると知って驚きました。
私もそのことを知った時は驚きました!ちょうど『エビータ』をやっていた時に、山口淑子さんの自叙伝が刊行されたんです。その時はまだこのご本が基になって、オリジナルミュージカルが創られ、自分がそれに出演するなんて思いもかけていなかったので、後になって不思議なご縁を感じました。
――これまで多くの作品でいろいろな役を演じていらっしゃいますが、特にご自身の転機となった役や作品はなんでしょう?
すべて・・・ではあるのですが、やはり『李香蘭』は私にとって本当に大切な作品です。あとは『エビータ』のエヴァも・・・。エヴァからは、信じた道を突き進む思いの強さや信念の大切さを教えられたような気がします。ストレートプレイでは『オンディーヌ』・・・でしょうか。それまで、アヌイ作品には何作か出ていたんですが、ジロドゥ作品のオンデォーヌ役を自分が演じる日が来るとは予想していなくて。『オンディーヌ』で私が演じるとしたら、きっとベルタの方だろうと何となく思っていたんですね。ですから、オンディーヌ役を勉強することになった時は自分が一番びっくりしてしまって(笑)。『ユタと不思議ななかまたち』の小夜子や『赤毛のアン』も大好きです。アンでは尊敬する日下(武史)さんと“親友”になれました。
――『キャッツ』のシラバブや、『コーラスライン』のディアナもとても印象的でした。
『キャッツ』の初演時のキャストは特に個性的でしたね(笑)。『コーラスライン』に出演した時は、オーディションからとても大変だったんです。ダンサーとしてラインに並ばなければいけないのに、ダンスをみっちりやってきた人が少なかったこともあって「Sクラス特訓」と言われる特別クラスが開催されたり。でも、そのお陰で身体を動かしたり、ダンスをすることが、とても楽しくなりました。
――そうやってたくさんの役や作品と向き合う中で、野村さんがほっとリフレッシュできるのはどんな時間でしょうか。
アロマやお香といった香りが好きなので、お気に入りのものを集めてそれを部屋で使ったり・・・あ、あと、植物が大好きです。特に室内の観葉植物にはこだわりもあって、家の中はジャングルみたいに緑の葉が生い茂ってます(笑)。それとお酒かな・・・特にワインが好きですね。リフレッシュ法になるか分かりませんが、食べたいものを食べたい時に美味しいお酒と共にいただくのは幸せな時間です。
――ありがとうございます。あと少しで2016年版『ミュージカル李香蘭』の幕が開きます。
この作品で描かれているのは実際に起こった歴史の“事実”です。ですから、私たち出演者も余計なことをするのではなく、台本に書かれていることを淡々と誠実に演じることが大切なのだと思っています。『ミュージカル李香蘭』のメッセージでもある平和への強い思いをお客さまにお届けできるよう、カンパニー全員でひたむきに頑張ってまいりますので、劇場でその思いを受け取っていただければ幸いです。
本番まで10日を切った代々木のアトリエ。決して最先端の設備が整っているわけではないこの場所で『ミュージカル李香蘭』のカンパニーは、熱く、濃密な稽古を重ね、皆が汗を流しながら、あの時代・・・そして作品と向き合っていた。
初演からタイトルロールを務める野村玲子。作品や役柄について語る時は、真っ直ぐな瞳で凛としているのだが、少しプライベートな方向に問いかけがいくと、どこか照れたような、・・・少しだけ困ったような表情で答えを探す・・・その様子がなんともチャーミングだ。
“役の前では透明でありたい”そう語る彼女が、また新たな気持ちで挑む“今”の李香蘭の姿を、今年もしっかり目に焼き付けたいと思う。
◆『ミュージカル李香蘭』(企画・構成・演出 浅利慶太)
2016年9月3日(土)~9月11日(日)
自由劇場(東京・浜松町)
(撮影/上村由紀子)