ロンドン、ハンブルク、タリン。三国をまたぎ、陰惨な猟奇殺人事件の捜査が、やがて悪夢のような不条理劇へと変貌していく――。
2025年12月、新国立劇場 小劇場にて上演される『スリー・キングダムス Three Kingdoms』で、演出家・上村聡史と初タッグを組み、主人公の刑事「イグネイシアス」を演じるのが伊礼彼方だ 。
冷静な刑事が、人知を超えた「悪」に触れ、徐々に精神の均衡を失っていく難役。伊礼さん自身も「個人的にすごく大きなチャレンジ」と語るこの役へ、どのように向き合っているのか。役を生きる上での「格闘」について、深くお話を伺った。
6日間で全シーン踏破!? 上村聡史の演出マジックと稽古場の熱量
――伊礼さんにとって、初めての上村聡史さん演出作品への参加となりますが、お稽古の手応えについて教えてください。
(インタビュー当時)台本を一巡したところなんですが、6日で全場面を一通りあたるという恐ろしい上村マジックを経験しました(笑)。「先輩たちはみんな台本を覚えてくるだろうな」と思ったから、俺も・・・と思ったんですが、ほぼ全シーン出ているので流石に最後の方のシーンまで一気に覚えきるのは無理で(笑)。まだ感情と台詞が繋がってないからなかなか大変でしたけど、頑張りましたね。
――さっそく二巡目に入って、その日にやるお稽古シーンが予定よりも増えたと制作スタッフさんから伺いました(一巡目を観て「これはもっといける!」と踏んだそう)。
本当にびっくりです。「皆さん、二巡目でこのレベルに達するんだ!」という驚きが。稽古序盤で、すでに佳境というか、みんなの集中が高まっている終盤のテンションのような空気を感じています。

「これは演劇でしかできない」戯曲との出会いと逆算の役作り
――今回の戯曲『スリー・キングダムス』は、ミステリーから始まりつつ、演劇でしか表現できない不条理な領域に入っていく面白い本だと感じました。伊礼さんは最初に読まれた時、どんな風に受け取られましたか?
最初は正直、難しかったですよ。地名とか、名前とか、まずそこを理解するのが大変でしたけど、内容そのものは自分の好きな方向性のものだったので、読み始めたら一瞬でした。イグネイシアスが抱えている問題に直面していくとどんどんのめり込んでいく自分がいて、小説を読んでいるみたいな感覚で非常に面白かったです。
でも、分からないところはほんと分かんなくて!三巡目ぐらいした時に、初めて気づくこともありました。僕が演じるイグネイシアスは、イギリス人の刑事で、ある猟奇的な殺人事件を捜査していくんですが、事件を追っていく先で出会ったドイツ人刑事のシュテッフェン(演:伊達暁)と出会うんですね。その三巡したあたりで、僕は二人の関係性に辿り着けたんです。「ここの繋がりが、演劇的にずっとポイントとなっているんだ・・・!」って。
僕は、台本を読む時に逆算しながら読むことが多いんですよ。自分の立っている姿とか、勝手に美術とかもイメージしたり、先に先にと考察し始めたりして。演出家を差し置いて(笑)。小説だと描写が多いけれど、演劇の台本には台詞とト書きしかないから、今回は「そこの描写がもっとほしい!」ってなっています。気になる要素が台詞の中にたくさん盛り込まれているので、知りたくなるんですよ。もっと欲しい、情報がもっと欲しい!で、気がついたら、海外で上演された時の批評とかをネットで探して読み漁って、2時間ぐらい経っていました(笑)。
――お稽古が一巡して、イグネイシアスという役への印象に変化は?
考察していたことが近かったということもありましたし、「うわ、そっちだったんだ!」と思うこともあったり。僕の悪い癖で、芝居をする時にどうしても役の感情や心情ばかりを追いかけてしまうんですが、上村さんの意見を聞くと「ここはちょっとボケていいんだ」「突っ込んでいいんだ」みたいな抜きどころが発見できまして。いい緩急がつくので、非常におもしろくやらせていただいています。
――重厚な作品ですが、稽古場の雰囲気はいかがですか?
上村さんとは打ち解け始めた気がするんですけど、先輩二人が緊張感の源なんですよこれが!伊達さんと浅野さん(浅野雅博さん/チャーリー役)がしゃべらんのです(笑)。粛々とやってらっしゃる。それを見たら、若い子たちはピシッとしますよ。だから僕はそこをちょっとほぐす役目。僕もやること多いので休憩中も台本と向き合っている状態が長いんですが、横目で見ると空気が重たい!だから、休憩の最後の5分ぐらいはちょっと和ませにいったりとか。
先輩方は、舞台ではびっくりするほど弾けるんです。職人なんですよ。みんな手練れですごいから、台本(のやり取り)で十分コミュニケーション取れる。だから正直、この座組は黙っていても成立するんです。
ただ、やっぱり明るさも必要なんですよ。僕も、初めて新国立劇場の稽古場に来た時は若かったんです、20代後半、30代前半ぐらいだったかな。ベテラン勢とご一緒したんですけど、稽古場に入った瞬間の空気が重たくて!その時はやっぱり何も言えなかったけど、もうちょっと軽くしようよ、と(笑)。作品も重たいし、新国立劇場っていう格式高いところでやる演劇だけど、稽古場は笑顔溢れるようにしたいな、なんて思いながら頑張ってはいるんですけどね。なんせ、僕自身が結構追い込まれておりまして。

「頂く側」への挑戦――“動かされる”役としての“合わせ鏡”の解釈
――冷静なイグネイシアスがだんだんと脆くなっていく変化は大きな見どころですが、今、どのように役と格闘されていますか?
イグネイシアスはドイツに留学していた過去があるんですが、その時にある不祥事を起こしていたんです。その過去との対話、人の言葉、人の表情を通して過去に追い詰められていく感覚が難しくて。一見、何も問題もない男が見えないところに抱えている闇。すべてが表裏一体になって、自分を侵す毒となる。でも、最初からそれを意識しすぎてしまうと意味深になりすぎてしまいますし。
稽古に入って大きな発見だったのは、イグネイシアスは、その“不祥事”が常に念頭にあって、すべての物事はその過去に関係するある人物を通してしか見えていない、ということでした。イグネイシアスの中にはたくさんのフックがあって、そのフックが増えていけばいくほど、過去が明確に現れてくる。透明人間がだんだん実体化していくような感じです。
ありがたいことに、早めに物語を一巡できたことによって、粗削りなりにその感覚を持って旅をすることができました。最終的な状態に行きついたからこそ、「最初の場面ではどうすればいいのか」が逆算で見えてきた。上村さんと話しながら、次は匙加減と格闘していきます。
――その格闘の中で、特に大事にしたいと考えている解釈はありますか?
物語の大きな節目となるシーンで、イグネイシアスがシュテッフェンに「あんた、顔変わった?(中略)突然年寄りになった」という台詞があるんですけど。どうにかこうにか、イグネイシアスの表情を、その言葉どおりおじいちゃんにできないかなって・・・。「(相手を見ていたら)気づいたら自分もそうなっている」というような、合わせ鏡のように「自分を見ている」発言にならないかなと思っています。
――それはすごくおもしろい演劇的表現ですね・・・!
この前、プロデューサーさんが「伊礼さんが崩壊していく表情が非常に面白い」という言葉をくださって、非常に励みになりました。僕、いわゆる主軸になる役にドラマを与えて変化させていく役どころをやることが多かったんですよね。この作品においては、伊達さんが演じるシュテッフェン役のような役。
今回は逆の立場です。「頂く側」。自分の経験から、どう頂けばいいかはよく分かるし、未来も見えるわけです。伊達さんはものすごく与えてくださる方です。しかも毎回違う表情で。それがすごく面白いです。
――確かに、伊礼さんは「変化させる側」の役のイメージが強かったので、今回「頂く側」の役柄というのは意外でした。
嫌いじゃないんですよ、こういう追い詰められて崩壊していく役。ミュージカル『アンナ・カレーニナ』でやったのが、そういう役でしたね。「今後もやっていきたい」「改めてこういう芝居がしたかったな」という想いが、数年も前から募っていたんです。特に「言葉」に集中して演じてみたかった。この数年、音楽のない世界で芝居をしたいという想いもあり、そういう意味でも今回は僕にとって非常にありがたいチャレンジをさせていただいています。
今回「頂く側」をやってみて、「頂く側」って、「人の台詞でしか動けないんだ」というのをしみじみ感じまして。これがすごく難しい。「変化させる側」から見ていた時は、「なんでこの人動かないんだろうな?」って疑問に思ったことが何回かあったんですが、動けないんだってことが分かった。動きようがないんです。
最終的には自分で動かす技量が必要とされるんですけど、それまでは動かされていかなきゃいけない。こうしたいという想いがあるのに動けない自分がいる。でも、そこに嘘をついてしまうと、自己中心的な芝居になってしまう。だから、今は「待つ」ようにしています。今回の、特にこのイグネイシアスという役は、そういう瞬間がとても多いです。すべてに動かされる人生。
でも、人生ってこうしてできているのかなと思いました。僕自身は、自ら決断して動かしていくものだと思っていたんですけど、もしかしたら人生ってもっと大きな、宇宙のエネルギーみたいなものに動かされているのかもしれない。この役をやってみて、なんか納得せざるを得ないなって思いました。

ラストシーン、不条理かと思いきや意外とポップに着地する?
――そんなイグネイシアスが動かされて辿り着くラストシーンですが、台本を拝見して、最後のシーンがどうなるのか、全く想像ができませんでした。
僕もね、読み合わせをしている段階では、不条理だと思ったんですよ。もっと「え、え、え、どういうこと?」みたいな感じで終わるのかな?と思っていたら、意外と分かりやすいと思います。実際立ってやってみると、不条理というよりポップ。上村さんは、お客様みなさんが「納得して帰る」ように作っていると思います。字面からでは読めなかった。ちゃんと着地します。
――劇場で没頭し、すっきり帰れるのは気持ちがいいですね。
最近、いわゆる「情報」というものから離れたいという気持ちになっていることに気づきまして。この本の影響かもしれませんけど。でも、それがすごく心地よかったんです。今って、お風呂場にも携帯を持っていけば動画を見たりできるじゃないですか。要は身体、脳が休まる時間がない。SNSとか、世間と自分を切り離すことの重要性を、この作品をやりながら感じておりまして。
演劇を観る時も、スマホの電源も切って、全部シャットアウトしてその世界に入れるでしょう。幕が上がれば、いろいろ浴びて情報が入ってきますけど、脳みそは結構すっきりしているというか、心地がいいし、多幸感に包まれるじゃないですか。いつの時代も演劇がなくならないのって、そういうことなのかなと思ったりします。
演劇は贅沢ですよね。僕らも稽古期間を1ヶ月以上もらって、汗流しながらああだこうだ演出家と戦って。本当に心を削ってやっているんですけど、それがお客さんに届いた時の感動はひとしおですね。
――客席で「頂ける」のを楽しみにしています。
新国立劇場で上演される作品という時点で上質なものであることは約束されていますけれども、集まったキャスト、一人一人が本当に素晴らしい技量の持ち主で。職人技をここぞとばかりに見せてくれます。
すべての登場人物に見せ場があって、後半の内容に、前半のそのシーンが結構こう引き継がれていたりするのも面白いポイントであり、考察できたりする作りになっているので、観る度に発見のあるおもしろい戯曲だと思います。
そして、個人的にはすごく大きなチャレンジだと思っているので、伊礼ファンはこれ観なかったらマジで損すると思って(笑)。僕、2010年に出演した『今は亡きヘンリー・モス』(小川絵梨子演出)という作品のことを未だにずっと語ってるんですけど、多分この『スリー・キングダムス』も10年後も語っている気がする。『ヘンリー・モス』をご覧になっていなかった方が「再演してほしい!」って言ってくださるんですけど、「もう過去は戻ってこないのよ」と思うので。今の伊礼を知っているのであれば、上村さんの演出が好きなのであれば、ぜひ観に来ていただきたい。
演劇って、本当にその瞬間しか観られないものだと思うんです。この作品も、もう再演されないかもしれないし。今回は地方公演もないから、遠方の方は大変だと思います。でも、でもそれ以上に観てよかったと思ってもらえるものになるように、役者一人一人が熱を注ぎ込んでいます。稽古が始まってまだ2週間ぐらいなのに、僕の中ではもう佳境みたいなテンションです。今この時点でこのテンションってことは、本当に佳境になったらどうなるんだろう?本当に燃え尽きるんじゃないかなって思う。でも多分、そのぐらいエネルギーを注入しなきゃいけない作品になってはいますから。
もし、お時間があれば・・・っていうか、時間って「作るもの」ですから。生きるということは大きな宇宙のエネルギーにこう動かされていることかもしれませんけど、この作品を観るかどうかは、ご自身で決めることだから(笑)。12月2日(火)から12月14日(日)まで、1日一公演です。贅沢な時間にしていただきたいなと思います。よろしくお願いします。
(取材・文・撮影/エンタステージ編集部 1号)

あらすじ
刑事のイグネイシアスは、テムズ川に浮かんだ変死体の捜査を開始する。捜査を進めるうちに、被害者はいかがわしい動画に出演していたロシア語圏出身の女性であることが判明する。さらに、その犯行が、イッツ・ア・ビューティフル・デイの
名曲「ホワイト・バード」と同名の組織によるものであることを突きとめる。イグネイシアスは捜査のため、同僚のチャーリーと
ともに、ホワイト・バードが潜伏していると思われるドイツ、ハンブルクへと渡る。
ハンブルクで、現地の刑事シュテッフェンの協力のもと捜査を始める二人だったが、イグネイシアスがかつてドイツに留学し
ていた頃の出来事を調べ上げていたシュテッフェンにより、事態は思わぬ方向に進んでいくのであった。

『スリー・キングダムス Three Kingdoms』 公演情報
| 公演情報 | |
|---|---|
| タイトル | 『スリー・キングダムス Three Kingdoms』 |
| 公演期間・会場 | 2025年12月2日(火)~12月14日(日) 新国立劇場 中劇場 |
| スタッフ | 作:サイモン・スティーヴンス 翻訳:小田島創志 演出:上村聡史 芸術監督:小川絵梨子 主催:新国立劇場 |
| キャスト | 伊礼彼方、音月桂、夏子/ 佐藤祐基、竪山隼太、坂本慶介、森川由樹、鈴木勝大、八頭司悠友、近藤 隼/ 伊達 暁、浅野雅博 |
| チケット情報 | 【料金】 S席 8,800円/A席 6,600円/B席3,300円/Z席(当日)1,650円 |
| 公式サイト | https://www.nntt.jac.go.jp/play/threekingdoms/ |
| 公式SNS | 公式X(Twitter):@nntt_engeki |







