鈴木裕美、4人の俳優と「辿り着けるところへ」舞台『絢爛とか爛漫とか』顔合わせレポート

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2019年夏、約4週間に渡り、4人芝居ロングラン公演として上演される舞台『絢爛とか爛漫とか』。繰り返し上演されているこの戯曲の、初演の演出を手掛けた鈴木裕美のもと、安西慎太郎、鈴木勝大、川原一馬、加治将樹が集った。本番に向け日々稽古が進んでいるが、座組が産声を上げる最初の日――顔合わせ日を取材した。交わされていた言葉の中から、作品の輪郭を追う。

顔合わせでは、主要なスタッフと、俳優が一同に会す。その中には、脚本の飯島早苗の姿もあった。演出の鈴木裕美と脚本の飯島は、大学在学時代に「自転車キンクリート」を結成。まだ女性の台頭が少なかった頃の演劇界で、共に切磋琢磨した仲だ。しかも、総合プロデューサー・渡辺ミキは二人の3年先輩の同窓ということで、女学校時代を思い出させるような華やいだ雰囲気がクリエイター陣を包む。

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飯島曰く、本作は「自分のことを“かしこい”と思っている、青くさいお馬鹿さんたちがただただしゃべっているだけの話」。何か大きな事件が起きるわけではないけれど、昭和初期という時代に生きていた若者たちの、等身大の姿が描かれている。また、男性キャストによる「モダンボーイ版」から派生し、女性キャストだけの「モダンガール版」も誕生。外に向けた公演としてだけではなく、演劇指導の場でもよく使われている戯曲だという。

若者たちは、しょうもない会話には、いつの時代になっても色褪せないおもしろさがある。コミカルとかシリアスとか、ひと括りにはできない妙。非常に台詞量が多いが、俳優が魅力的であればあるほど物語としての魅力も増す、不思議な力を感じる戯曲だ。入手するのが難しいかもしれないが、観劇前でも観劇後でも「文字」としてこの本を読むことができたら、また作品の見え方が変わるかもしれない。

顔合わせでは、鈴木裕美から「すごくおもしろそうなメンツで、もう一回この作品ができることが、とても嬉しいです。この本は、特に難しい本ではありません。読んだとおりです。いろいろなやり方があるので皆さん迷うこともあるかもしれませんが、とにかく読んだまま、どう生き生きと人物を作っていくかが、稽古の中心になってくると思います」と声がかけられる。これまでの読み方にこだわるつもりは毛頭ない。「4人と私で、たどり着けるところへ」と指針を示していた。

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それを受け、安西は「この日をすごく楽しみにしていました。4人芝居ということで、プレッシャーもあるんですが、とにかく考えることをやめずに、皆さんと手をとりながら、戦っていけたらと思います」と挨拶。

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「台本を読めば読むほど、分からなくなってしまうところもあって・・・。皆さんのお芝居を観て、言葉をもらいながら、自分の中で少しずつ役を作っていけたらと思います」と切り出した鈴木勝大からは、すでに相当試行錯誤して、若干迷宮入りしている気配が感じられた。手にした台本は配られたばかりのはずだが、すでに相当使い込まれた状態。実際に稽古が始まり、彼がどんな答えを見せてくれるのか、楽しみだ。

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川原は「役の変態的な部分が、すごく僕に合っていると思うので(笑)。それを存分に醸し出しつつ、お馬鹿なところやかわいらしいところを、全面に見せられるようにがんばっていきたいと思います」と、加治は「4人芝居なので、いろんなものがバレると思います。だからこそ、最終的には4人が全裸でこれをやっても、楽しめるぐらいにできたらいいなと思っていますので、よろしくお願いいたします」と続いた。

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その後、初めての本読みが行われた。古賀大介(安西)、泉謙一郎(鈴木勝大)、加藤常吉(川原)、 諸岡一馬(加治)、4人の文士が春夏秋冬を通してああでもない、こうでもないとやるのは、他愛ないことばかりだが、本人たちにはとても重要なことなのだ。聞いていると、なるほどハマり役。まだまだ荒削りだが、うだうだした男が似合う安西、ちょっと一段違うところにいるような鈴木勝大に、風変わりが板についている川原と、豪胆さと突飛さの合せ技を持つ加治・・・4人のバランスは、思っていた以上にいい塩梅に感じられた。

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一度本読みを終えると、鈴木裕美と飯島から4人にいくつか注文が出されていた。小説家の話なので、言葉を大切にいてほしいということ。なぜその単語を選んだのか、ぼんやりとでも意識的であることを押さえておいてほしいということ。

例えば、「言ってない」ではなく、「言っていない」。「その後」は、「そのあと」なのか、「そのご」なのか。「刺青」は時代としては「しせい」と読むが、今上演する上では「いれずみ」と読まないと伝わらないのではないか・・・とか。イントネーションから読み方まで細かく調整され、古き良き時代の美しい日本語が少しずつ掘り出されていく。

鈴木裕美は言った。「本質とは関係ない、無駄話がリアルだといいな」。いつから登場したのか、“わちゃわちゃ”という表現がある。「今も昔も、人間関係から生まれるものを外から眺めるのはおもしろいもので、好きな人が多いと思うんですよ。そういう“わちゃわちゃ”が見世物になるといいなと思います」。

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また、鈴木裕美は「こちらでプランを立てるのは、ぶっちゃけ簡単なことなんだけど、あんまり言いたくないです。この台詞の時、誰のそばにいたいのか。このシーンでは、どの位置にいたいのか。皆さんがやったことを整理していきたいと思います」と告げた。俳優たちは、ああでもない、こうでもないと悩みながら、この戯曲と向き合っていくのだろう。

悩むことは人間の特権だ。同時に、決断するのは個人の自由である。この夏、何を観ようかと大いに悩んで、この作品を選ぶ人が多くいるといいなと思う。

舞台『絢爛とか爛漫とか』は、8月20日(火)から9月13日(金)まで東京・DDD青山クロスシアターにて上演される。

【公式HP】http://kenran.westage.jp

(取材・文・撮影/エンタステージ編集部 1号)

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この記事を書いた人

ひょんなことから演劇にハマり、いろんな方の芝居・演出を見たくてただだた客席に座り続けて〇年。年間250本ペースで観劇を続けていた結果、気がついたら「エンタステージ」に拾われていた成り上がり系編集部員です。舞台を作るすべての方にリスペクトを持って、いつまでも究極の観客であり続けたい。

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