―狂言劇場特別版―能『鷹姫』狂言『楢山節考』が、2018年6月22日(金)から6月24日(日)にかけて東京・世田谷パブリックシアターにて上演された。古典芸能という枠にとどまらず、「“舞台芸術=パフォーミングアーツ”としての能・狂言」というコンセプトに基づき2004年にスタートした「狂言劇場」の特別版となる今回、主演目には能の演目が登場した。
出演者には、野村万作、野村萬斎、野村裕基、大槻文蔵、片山九郎右衛門、観世喜正、大槻裕一、万作の会ほか、幅広い世代が集結した。
本作は、6月30日(土)・7月1日(日)に後半の3公演を控えている。前半公演を終え、出演者であり、芸術監督の野村萬斎が、心境や本作の魅力について語った。以下、コメントを紹介。
◆野村萬斎(芸術監督)
60年前の作品「楢山節考」と50年前の作品「鷹姫」が、衰えることなく受け入れられたことに感謝しています。普遍的な題材を、伝統ある洗練された手法を用いて、劇場空間の中で磨き上げることができた感覚があり、作品のもつ光を皆さんに感じていただけたことに喜びを感じています。
「姥捨山伝説」を土台にした狂言『楢山節考』では、主人公の老婆“おりん”が世代交代のために自ら死を選ぶ、W・B・イェイツの「鷹の井戸」が原作である能『鷹姫』では、“老人”、若き王子“空賦麟”、泉を守る魔性の“鷹姫”が永遠の命を得ることができる泉の水を求め争うも、先に死ねば雪に埋もれて地に還り、永遠の命を求めてもやがて岩になる。
人間も所詮は地球の一つ、宇宙の一つ、森羅万象の一つ、一要素でしかないというその感覚を、今日改めて感じました。また87歳(野村万作)から18歳(野村裕基)までの世代が関わっていることにより、多重性を見出していただければと思います。
改めて能と狂言は表裏一体だと感じましたし、「生きる」ことと「死ぬ」ことにストレートにぶつかる作品を、能・狂言それぞれの表現でお見せできて感慨深いです。抽象的な表現を用いていますが、だからこそ人間の本質や普遍的なテーマを、お客様に届けることができるということに改めて自信を持つことができました。
ぜひ、多くのお客様に舞台芸術(パフォーミングアーツ)としての能・狂言をお楽しみいただけますと幸いです。劇場でお待ちしております。
狂言劇場特別版能『鷹姫』・狂言『楢山節考』は、6月30日(土)・7月1日(日)に東京・世田谷パブリックシアターにて。
(撮影/政川慎治)