いま私たちはとても贅沢な時間を過ごしているのかもしれない―――。物語が進むにつれ高まる予感は終盤、確信へと変わった。静かな興奮と充足感に満ちた劇体験をもたらすPatch stage EX『熱海殺人事件』が8月21(金)~23(日)、大阪・インディペンデントシアター1stで上演された。劇作家・つかこうへいが25歳だった1974年、当時最年少で岸田國士戯曲賞に輝いた初期の代表作。演出は山浦徹(化石オートバイ)。熱を帯びた脚本に現代性を加味した演出、さらに100席にも満たない小空間に放たれる若い役者たちの熱情が作品の世界観と見事に合致。反骨とセンチメンタルが交互に押し寄せる破天荒な“つかワールド”へと観客を誘い、幾度となく劇場は笑いと涙に包まれた。
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舞台は東京警視庁の取調室、登場人物は4人。30代の部長刑事・木村伝兵衛(三好大貴)、彼と恋仲にある婦人警官・片桐ハナ子(立花明依)、そして富山から上京してきた20代の新任刑事・熊田留吉(村川勁剛)の3人が、熱海殺人事件の犯人で19歳の工員・大山金太郎(松井勇歩)を前に、事件の真相を“企てていく”ストーリー。冒頭、チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」が大音量で流れる中登場した木村は早速、中途半端な犯行時刻にイラつき、新聞に載る被害者の写真を美人に差し替えることを検討し、証拠の指紋は汚れとばかりに拭い去る。自らの美意識に叶う事件へとイチからでっち上げようというのだ。協力的な婦人警官を横目にあきれる犯人の大山と新任刑事の熊田。しかし、そんな彼らも次第に木村の有無を言わさぬ激情に飲み込まれていく……。
木村伝兵衛役の三好大貴はのっけから大声で自らの美学をまくし立てる。台詞回しが明瞭で、その息遣いや狂気をたたえた眼差しまでもが舞台後方からでも見て取れる。本作を通じて、改めて作品の魅力に気づかされたという人も少なくなかっただろう。劇場のキャパにも助けられ、作品と観客とをつなぐストーリーテラー役を見事にこなした。
また、熊田留吉を演じた村川勁剛は、ファンなら最初それが彼だと気づかないほどの変貌ぶり。イケメンキャラは影をひそめ田舎刑事として、前半では木村に反発し、後半では徐々に心情を反転させる。常識とは別の感情に揺さぶられる難役にも果敢に挑戦した。紅一点の立花明依は経験値の高さから硬軟自在に演じ分け、婦人警官と被害者の二役を好演。作品に安定感をもたらしていた。
そして、懐メロを口ずさみ、客席を練り歩くコミカルな登場シーンで場を沸かせた犯人役の松井勇歩。前半はツッコミ役に徹するが、後半では文字通り主役を担う。終盤、スポットライトの下で再現される犯行の一部始終。「海が見たいといったのさ…」。劇中で幾度となく語られた言葉は、真相が明かされた今となっては、また別の響きを伴い胸に迫る。役の心情を丁寧に積み上げ、激情をほとばしらせた松井のリアルな佇まいに、客席にいた誰もが息を呑み見入っていた。
冗談みたいな台詞の応酬に、冗談みたいな社会の悪質性が差し込まれる。国家や権力に対する不信、いわれなき差別や格差への反発。たった数行の台詞にも、そこだけ夕陽を背にしたように作家の怒りがシルエットとなり浮かび上がる。その鮮やかさにはっとなる。とりわけ、物語の結末で木村伝兵衛に語らせた台詞が鮮烈だ。それは、どんな環境にあっても人間としての矜持を忘れてはいけないことを教えてくれる。ふいに、かつてつかが著書の中で語った言葉が思い出された。
「作家の才能はなにがなんでもハッピーエンドにする力だと思うんだ。現実はいまなかなかそれをさせてくれない。でもそういう現実に抗い、少しでも事件を起こそうとしている人間がオレの芝居を見て、思いとどまったというようなことになればいいと思うんだ」。(『つかこうへいの新世界』メディア―ト出版より)
今日この日、この瞬間、観客は確かに作家の思いを共有していた。今もてる力を出し切り作品を語り継ぐ“大役”を果たしたPatchメンバーたち。会話劇に磨きをかけ、次回はいよいよ12月に迫った森ノ宮ピロティホールデビュー作『幽悲伝』に照準を合わせる。
(取材・文/石橋法子)