【役者名鑑】第3回:新納慎也<前編>「Noと言える日本人!」芸能生活30周年の歩み

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エンタステージが「役者」さんの人生を深堀りする新企画「役者名鑑 on Youtube」。昨年Twitterで行っていた「#エンタステージ役者名鑑」を、新たな形で展開します。毎回、お誕生日を迎えた方を迎え、ロングインタビューと動画で「役者」という人生にスポットを当てて、アレコレお聞きしていきます。

第3回のゲストスピーカーとして登場してくださったのは、新納慎也(にいろしんや)さん。新納さんは1975年4月21日生まれ。16歳の時にスカウトされ、モデルとして芸能界入りをしました。

その後、「にこにこぷんがやってきた!」のうたのおにいさんなどを経験。そして、ストレートプレイ、ミュージカルと、舞台の世界へ。『ラ・カージュ・オ・フォール』や『スリル・ミー』などのほか、三谷幸喜作品の舞台や映像作品に欠かせない存在となっています。

芸能活動30周年という節目の年でもある今、ご自身を表すキーワードに「関西のおばちゃん」「気は狂っているけれど、常識人」「Noと言える日本人」の3つを挙げてくれた新納さん。“ミュージカル界の異端児”と言われることも多い新納さん。そんな新納さんご自身について、いろんな方面から語っていただきました。

目次

「服にしわが寄ってはいけない」と自分を否定されたモデルから表現者へ

――新納さんは、今年で芸能生活30周年ですよね。おめでとうございます!

ありがとうございます。長い!

――芸能界デビューのきっかけは、モデルさんでしたよね。きっかけは?

そうです。地元神戸の街中でスカウトされました。歩いていて?目立っちゃったかな?みたいな(笑)。

――もともと芸能界に興味あったんでしょうか?

いや、全然なかったです。僕、中学生の頃から丸坊主だったんですよ。当時住んでいた地域では、公立の中学男子は全員丸刈りという、今思えばものすごい人権を無視した掟があって。だから、小学校卒業したら全員丸刈りで過ごしていたんです。スカウトされたのは高校1年生の時だったんですが、その時は丸刈りがちょっといがぐり状態で。全然おしゃれじゃない、そんな人モデル目指してないですよね(笑)。

もちろん、そういう職業があることは知っていましたよ。でも、モデルさんになるような人は東京の、表参道あたりに住んでるものだと思っていたので(笑)。神戸のこんなところで、スカウトなんてあるの?みたいな感じでした。学校で部活もしていて忙しいって言ったんですけど、「バイト感覚でいいから!」って言われて。それがすべての始まりでした。実際バイトどころではなく、学業にも部活にも影響が出るぐらい忙しくて、うまく騙されましたね~(笑)。

――モデルのお仕事はおもしろかったですか?

いや、おもしろくなかったです。はっきり言って、モデルの仕事は嫌いでした。

人前に立つことが好きだったから、もしかしたら向いているかもと思って始めたんですが、当時のモデルって、とにかくマネキンであることを求められていたんですよ。今は違うと思うんですが。服が主役だから、こういう髪型、こういう体型になってほしい、ということが求められていた。個性は求められていなかったんです。

だから、もともと表現したい気質の僕にとっては、現実と抱いていたイメージのギャップが大きい世界でした。一生懸命やっていましたけどね。

――そこから、役者さんという表現の道に進むまでに何か転機はあったんですか?

何年かモデルを続けている間に、コレクションのメインモデルに選んでいただいたことがあったんです。メインモデルになると、そのショーのトップバッターとして登場するんですね。抽象的な衣裳を着て、抽象的なメイクをして。

僕ははりきって「この衣裳で、このメイクで、この照明で、この音楽なら、この表情でこのポーズでしょ!」と、リハーサルの時にやって見せたら、演出家の方に「NÎRO、服にシワが寄るから真っ直ぐ立って」って言われて。その瞬間「あ、違う」って思ったんです。

「服にシワが寄ってはいけない」というだけの理由で、僕の表現のすべてを否定されるんだったら、この仕事は違うなと思って。じゃあ、今自分の中にあるこの想いは、どういうことに向ければいいんだろう?と考えた時に、映画が好きだったことを思い出したんです。小さい頃、鍵っ子で親が帰ってくるまでずっと映画館にいたんですよ。そこから、表現の世界への憧れが生まれました。

恐怖の中でも役者を続けてきた原動力

――役者としての道を歩み始めて最初に掴んだものは何でしたか?

どういう職業を目指すにしても、両親には「大学には行ってほしい」と言われていたので、演劇科のある大学に進んだのが役者へのはじめの一歩かな。

僕、芸能生活30周年ですって言ってるけど、これはモデルにスカウトされてから30年が経ったということなんです。だから、役者としての歩みは大学生になってからだから、もう少し少ないの。さらに、仲間内で舞台をやったりもしていたから、役者としてのデビューがどこかというのは、ちょっと曖昧で。いわゆる商業ベースで、名前が出て、しっかりと報酬をいただいたのは『アラジン』という作品でした。

――その時のことはどのように記憶に残っていますか?

それまでいろんなことをやっていたので、満を持して舞台に立ったという華やかなものではなくて、プロになったんだ!みたいな実感はなかったんですけど・・・。気心知れた仲間内ではない集合体に入っていくということに対しては、緊張感がありましたね。これを仕事にしていくんだろうか、という疑問。というか、恐怖かな。こんなこと続けていけるんだろうかという、恐怖。

今もそうですけど、僕らの仕事って基本は「待つ」ことなんですよね。オーディションを受けたりはしますけど、基本的にはオファーを待つ身。なかなかこっちから能動的に動けない。だから、オファーが来なかったら何もないんですよ。収入もゼロ。だから、これを毎回繰り返すの?!という恐怖を抱きました。

――それでも続けてこられている原動力はどこにありますか?

・・・やっぱ好きなんでしょうね。僕、小さい頃から妄想癖があるんですよ。ごっこ遊びみたいなのことも好きだったし。“自分じゃないものになる”ことがすごく好きだったみたいで。プラス、人が好き。文化祭とか学園祭が大好きだったんですよ。みんなで集まって、みんなで何か作って、みんなでできたー!ってなるあの達成感。舞台って、そういう感覚が集約されたもので。

もちろん自分が役を演じることも楽しいんですが、舞台を楽しいものだと思い続けているのは、いろんなプロフェッショナルが集まって、みんなで一つのゴールに向かっていくことに魅了されているからなんでしょうね。きっとそれが、今の僕に至る原動力です。

――新納さんは、オーディションもたくさんご経験されてきましたよね。

はい、たくさん受けました。僕が駆け出しの頃って、ミュージカルを取り巻く環境が今と全然違っていたんですよ。今は未経験の子が突然大役を任される、みたいなことが普通にありますが、当時は役をいただけるのは芸能人や大手劇団にいた方、そういう人たちしか名前のある役はこない。それが当たり前の世界でした。

だから、僕みたいに無名の役者がミュージカルに出たいと思ったら、アンサンブルから入っていくしかなくて。もちろん、アンサンブルは全部オーディションです。僕もずっとアンサンブルを続けていました。でもある時・・・『エリザベート』という作品へ出演している時に、これが終わったらアンサンブルを辞めようと決意したんです。

アンサンブルって、2、3年先のオーディションの話がどんどん来るんですね。だから、オーディションを受けるのは簡単なんです。受かったら数年先の予定が埋まるから、ちょっと安心する。でも、これをどこかで断ち切らないといけないと思ったんです。僕がやりたいのは「アンサンブル」という職業ではなくて、役としてお芝居をすることだったから。

でも、アンサンブルの一人が「辞めます!」と言ったところで、「じゃあ役をどうぞ」とはならないのが当たり前で(笑)。仕事がなくなるのは覚悟の上で、アンサンブル辞めます宣言をして、ニューヨークへ勉強に行ったりしていました。

アンサンブル辞める!宣言 「ルパン三世」で掴み取った主役の座

――「役」への道はどのように開けたんですか?

それはもう、運が良かっただけなんですけど、「あるミュージカルで主役のオーディションがあるから受けなさい」と連絡をいただいたんです。それが『GODSPELL』という作品でした。

実は僕、『RENT』がすごく好きだったんです。『RENT』がまだオフ・ブロードウェイでやっていた頃で、初めて観て衝撃を受けました。道端で踊ったり、バンドやったりしていて、あんまりミュージカル大好き!という感じで育ってはいなかったんです。

でも『RENT』を観て「こういうミュージカルだったら自分もやりたい」と思って。それがいわゆるロックミュージカル。『GODSPELL』は『RENT』よりも古い作品なんですが、ジャンルはロックミュージカルだったので、「その主役?!絶対やりたい!」と思い、オーディションを受けました。

――そして見事、主演の座を射止めていらっしゃいますね。

そのオーディション、ちょっとおもしろいことがあってね。「自分の魅力と歌唱力が一番出る曲を歌ってください」という自由曲課題があったんです。5人ずつ部屋に呼ばれて歌ったんですけど、みんなウォォォォ♪って、朗々と歌い上げるミュージカルソングを披露していました。そんな中で、僕は「ルパン3世のテーマ」歌いました。「真っ赤な~バラを~♪」って(笑)。

――その曲を選択したワケは・・・?

「ルパン三世のテーマ」が僕にとって気持ち良く声を出せる音域の楽曲だったということともう一つ、ロックミュージカルだから、リズムがあるものの方がいいと思ったから。

はっきり言って、みんなすごく上手だった。その中で、「ルパン三世のテーマ」を歌った僕はふざけてると思われたかもしれないんですけど、それが功を奏して役、それも主役の座を獲得することができたので、とても想い出深いです。今の僕があるのは、ルパン三世のおかげ(笑)。

――「役者」の道は、新納さんが思い描いていたものと近かったですか?

うーん、やっぱり違いましたね。もちろん夢を抱くだけじゃなくて、決して華やかなだけの世界ではないことは分かっていたんですけど。もっとすごく過酷だし、残酷。さっき話したように、「アンサンブル」と「プリンシパル」のラインもすごくはっきりしているし、扱いも思いっきり違うし。思い描いていたよりシビアな世界だということは、今も思っています。

それでも好きなんですよね、舞台上でお芝居をすることが。映像でのお芝居の楽しさも最近分かってきて、楽しいなと思ってやっているんですけど。だからといって完全シフトするには舞台の魅力は魔性すぎますね。だから、マネージャーにも「もちろん映像のお仕事もやります。でも、舞台はやめません」って言ってるんです。舞台はやり続けたい。スケジュールの都合で本数は減るかもしれないですけど、やめることはない。舞台というフィールドを持ち続けたいって思っています。

実は転職サイトで職探し「腹をくくった」瞬間

――一生のお仕事ですね。

でもね、実はこの30年、毎日のようにやめてやる~!って思っているんですよ。年齢を重ねれば重ねるほど、こんな不安定な仕事はもうやめて、いわゆる安定した職業につきたい!って。

――そうなんですか?!

転職サイトで職探しをしたり、適正チェックを受けたり。コロナ禍の中でも真剣に考えていましたけど、その前にも40歳を超えたあたりでやめるのも手だなと思って。でもね、よく考えたら、WordもExcelもPowerPointもろくに使えない、社会人経験もない40過ぎのおっさんを誰が雇ってくれんねん!ということに、適性チェックの結果を見て気づいて。僕はこの仕事を続けていくしか食っていけないんだ・・・!って、腹をくくりました。でも、今でも転職サイトは見ます。スキあらばと思っています(笑)。

――役者を続ける中で、壁にぶち当たったことなどはありましたか?

アンサンブルからのボーダーラインを超えるのは、すごく勇気がいることでしたし、大変でしたね。いろんな運が味方してくれてたましたけど、自分として示していかなければいけないもの、切り捨てなければいけないものもたくさんあって、覚悟がいった瞬間でしたね。でも、その後はあんまり栄光も挫折もないんです。栄光もなければ、そんなに大きな挫折もない気がします。なんとなく、ふわっとここまで来ちゃいました(笑)。いや、実際は挫折を挫折と感じていないってだけなんでしょうけどね。栄光は・・・ないです(笑)。

――先ほどおっしゃっていた「恐怖」の中でも、ご自分を保ってこられた秘訣は・・・?

全然保ててないですよ~。メンタルはアップダウンしてます(笑)。でも、安定している方ではあるかも。他の役者さんを見ていると。その方が役者として魅力があるのかなと思うぐらい、メンタルのアップダウンがすごい方もいるので。そういう方に比べると、僕はだいたいいつも同じテンションでいられる人間かなと思いますが。そういう中でも浮き沈みはあるし、「仕事がない!」とか、「忙しすぎる!」とか、「今やってるのいやだ!」とか、「できない!」とか、そういうプチ錯乱は、結構自分の中でよく起こっています(笑)。

――お芝居だけでなく、新納さんが発信されているものからは前向きな明るさを感じます。

それは、嬉しい。SNSは、自分はこういう人だ、こういう考えを持った人ですって伝えられる場だと思うんですけど、だからといって、自分の不満を放出する場ではないと思うんですね。見て嫌な気持ちにさせることになるのはどうかなと思うし。特に僕はエンターテインメントを作る世界の人間なので、こんなバカがいるよって思ってもらえていたら。でも僕にも、枕を濡らす夜もありますよ(笑)。

新納慎也を表す3つのキーワード「関西のおばちゃん」「気は狂っているけれど、常識人」「Noと言える日本人」

――役者・新納慎也ができるまでを振り返っていただきましたが、今の新納さんを3つのキーワードで表すと?

「関西のおばちゃん」「気は狂っているけれど、常識人」「Noと言える日本人」。こんな感じかな。

僕ね、よく友達とか、後輩に「新納慎也の魅力って何?」って聞くんです。自分で自分のことがよく分からないんです。いろんな作品のオファーをいただく度に、「なんで僕を呼んでくれたんだろう?」「いっぱいいる役者の中で僕の何をいいと思ってくれたんだろう?」って不思議に思うんです。周りの人にそれを言うと「何言ってるの?」って返されるんですが(笑)。

例えば、歌が素晴らしい!とか、ものすごくかっこいい!とか、ものすごく芝居が上手い!とか、みんないろんな武器を持っていると思うんですけど、僕は自分の武器が何なのか、未だによく分からなくて。友達に聞くのも、誰かに自分の武器をちゃんと説明してほしいから。

そうすると、だいたい一発目に「関西のおばちゃんでしょ?」って言われる(笑)。でもこれは、最近自分でも気づいてきました。歳を重ねてどんどんおっさんになっていくんだろうなあって想像していたんですけど、(実際は)おばちゃん化が止まらない!みたいな今です(笑)。土足で人の心にズカズカ入っていく感じとか、距離感が近いとか、飴ちゃんあげるとか。すぐ世話やくし。そういうところがおばちゃんっぽいんでしょうね(笑)。

それから、いろんなところでよく「ミュージカル界の異端児」って書かれていたんです。でも、僕としてはまったく異端なことはしていないつもりなんですよ。すごく真面目に仕事に取り組んでいると思うし、至って常識人。でも、周りからすると僕の生き方や考え方や発言は信じられないことが多いみたいで。やっぱり変わってるみたいです(笑)。

でも、お客さんにダイブ!とかもしないし、突然キレて物投げたりもしないし、稽古場をむちゃくちゃにして帰ることもないし、楽屋に閉じこもって出てこない!みたいなこともないです。すごく常識人です。だから「気は狂っているけれど、常識人」。

「Noと言える日本人」は、気が狂っていると言われる部分の一つかもしれないんですけど 、日本人の「Noと言えない」気質がよく分からなくて。わりと小さい頃からはっきりとものを言うんです。イヤなものはイヤ。おかしいことはおかしい。間違っていることは間違ってる。

舞台には個性豊かな人が多く集まっているんですけど、でも、日本人独特の事なかれ主義を感じることもあります。特に海外の演出家が来ると、イエスマンでしかなくなってしまう。白いものも「あなたが黒って言うなら!」みたいな感じになってしまう。でも僕は「海外の感覚ではそうかもしれないけど、日本ではそれはおかしいことだよ」とハッキリ言います。

海外の演出家にだけではなく、普段からわりと「今あなたが言ってること間違ってる」「なんでごめんなさいを言えないの?」とか、言っちゃうんです。思ったこと全部を口にするから痛い目にもあうんですけど、忖度もしないし、媚びない。あんまり裏表がないです。だからって嫌いな人に面と向かっていきなり「嫌い!」とは言わないですけどね(笑)。そういう意味で、僕は「Noと言える日本人」なんだと思います。

――それが、今の新納さんが放つ唯一無二の魅力なんですね。

魅力になっているのか分からないんですが、仲間も僕のそういう部分を好いてくれているし、周りもそういう人が多い気がします。僕の周りはきっと、気は狂っているけど常識人の集まり(笑)。ファンの人もそうかも。僕を応援してくれている方々もすごく常識的。出待ち禁止って言われたら、人っ子一人待ってないし。こっそり待っていたり、離れたところで待ってるという人もいない。

SNSで僕が何か言われたりしても、下手に反撃せず、シンと黙っていてくれる。「こんなものは2、3日すれば収まるのだ・・・」みたいな。すごくありがたい。結局僕がいい人しか好きじゃないから、周りもいい人しかいないのかも(笑)。

新納慎也さんの今後の出演作品

ミュージカル『スリル・ミー』

2021年5月16日(日) ウインクあいち大ホール
2021年5月21日(金)~5月23日(日) サンケイホールブリーゼ

【原作・音楽・脚本】STEPHEN DOLGINOFF
【演出】栗山民也

シス・カンパニー公演『日本の歴史』

2021年7月6日(火)~7月18日(日) 新国立劇場中劇場
2021年7月23日(金・祝)~7月30日(金) 梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
【作・演出】三谷幸喜

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

2022年1月スタート 阿野全成役
【脚本】三谷幸喜

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この記事を書いた人

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