日本で初上演されてから今年で28年。ミュージカルの金字塔として不動の人気を誇る『レ・ミゼラブル』が東京・帝国劇場で公演中だ。新演出版としては2回目の上演となる今回もその熱気は凄まじい。終盤を迎えた東京公演の様子をお伝えしよう。
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この日のジャン・バルジャンは本作が日本での舞台デビューとなるヤン・ジュンモ。母国・韓国では『オペラ座の怪人』や『ジキル&ハイド』などのミュージカルで主役を演じていた事もあり、その実力は折り紙つきだ。飢えた妹の子のためにパンを1つ盗み、19年間牢獄に繋がれたバルジャン役を時に激しく、時に繊細に演じ切っている。特に一幕で、人間に蹴られ続け、誰に対しても激しく牙をむく野犬の様になったバルジャンが司教(中西勝之)と出会い、“神”の存在を信じて新たな人生を歩もうと決意する「独白」までの流れは圧巻の一言。司教もバルジャンに対し、慈愛と共にある種の厳しさを感じさせる演技で、“神”の代理としての立場を明確に表していた。
旧演出と新演出で最も変わった点の一つが一幕の工場での場面とファンテーヌ(知念里奈)の人物造形だろう。工場では誰もが苦しい生活の鬱憤を抱え、自らのネガティブな感情を弱者にぶつけることでガス抜きをしようとしている。その中で必死に生き、別れた子・コゼットのために送金を続けるファンテーヌ。旧演出では可憐でか弱い存在として表現されることが多かったファンテーヌだが、新演出では自らの意志をしっかり持ち、運命と戦う女性として描かれている。そのため彼女が歌う「夢破れて」は、単なるメモリーソングではなく、一人で必死に生きる女性の”リアル“な叫びとして観客の胸に強く響く。ファンテーヌが娼婦に身を落とした後の最初の客が、彼女に執着していた工場長という設定は今回からか。
吉原光夫はジャン・バルジャンを演じている時の慈しみや愛情深さを封印し、神と法の下(もと)に生きる警部・ジャベールを好演。砦の中で学生に囚われ、バルジャンに助けられた後で革命に散ったアンジョルラス(野島直人)や少年・ガブローシュ(興名本陸)の骸(むくろ)を目の当たりにし、下水道でバルジャンを見逃すという一連の流れの中で、自らの正義や信念が崩れて行く様を見事に体現している。バルジャンの「独白」とジャベールの「自殺」のメロディーが同じという構成=二人は表裏一体であるという事が彼の姿から非常に鮮明に伝わってきた。
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旧演出版からの出演となる笹本玲奈は、やさぐれた生活の中でマリウスに“光”を求めるエポニーヌ役を新たな切り口で見せ、テナルディエ夫妻(駒田一、森公美子)はシリアスな色調の中、観客に一息つかせるコミカルな芝居と“生”への執着という、バルジャンとは真逆の生き方をビビッドに表現。その芸達者振りは今回も健在だ。
新演出版として初の上演となった2013年版と比べ、今回は全体的に照明が落とされているように感じた。これはフランス革命から10年以上が経ち、王政が復活した社会の暗さを現しているのだろうか。その暗さの中、“神”の存在の象徴としてさまざまな場面で、明るく照らされる一筋のスポットはより神々しい。
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終盤、年老いたバルジャンが司教に託された銀の燭台に灯をともし、自らの死と向き合う場面は今回も静かに胸に迫る。自分と同じ人生=他者から慈しみや庇護を受けられずに堕ちて行ったファンテーヌを最初に救う事が出来ず、彼女への贖罪の思いを胸に、愛情を注いで育ててきた娘・コゼット(清水彩花)をマリウス(田村良太)に託し、“神”と向き合いながら天に召されるバルジャンの表情は柔らかい。“生かされた”人生…それを全うした一人の男の生涯は、天から迎えにきたファンテーヌと愛する人を守って死んだエポニーヌに導かれ幕を閉じるのだ。
『レ・ミゼラブル』の登場人物たちは皆必死に生き、自分以外の誰かを思って死んでいく。だからこそ、彼らの未来と希望を一身に受けて新たな人生を歩もうとするマリウスとコゼットの姿が観客には輝いて見える。上演時間約3時間の中で、ここまで人が生きるということ、そして誰かを愛することを深く描いた作品が他にあるだろうか。ミュージカル『レ・ミゼラブル』には私たちが日々を生きるための指針が無数に散りばめられている。
(キャストは編集部観劇時のもの)
ミュージカル『レ・ミゼラブル』は東京・帝国劇場にて2015年6月1日(日)まで上演。東京公演終了後は名古屋・福岡・大阪・富山・静岡の各地で公演が行われる。
写真提供/東宝演劇部