尾上右近、G2らが贈る希望と再生『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』開幕レポート

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2018年7月6日(金)より東京・紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAにて尾上右近主演の舞台『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル~スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ~』が開幕した。本作は演出のG2が「この戯曲を演出したい!」と願い、翻訳も自らおこなった、2012年ピューリッツァー賞戯曲部門賞の受賞作。主演の尾上は現代劇初出演となるが、脇を固めるのは篠井英介、南沢奈央、葛山信吾、鈴木壮麻、村川絵梨、そして陰山泰ら実力派俳優たち。

『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』舞台写真02

物語は、二つの話が同時進行する。一つは、エリオット(尾上)と歳上のいとこヤズミン(南沢)。役者を目指すエリオットは普通の青年だが、片足を引きずり、アラビア語の悪夢にうなされている。どちらもイラク戦争出征による後遺症だ。29歳のヤズミンは離婚調停中。仲の良い二人は互いを励まし合い、癌をわずらうエリオットの伯母を心配する日々だった。

もう一つの舞台は、インターネット上のとあるサイト。そこにはロサンゼルス、日本、フィラデルフィアなど、様々な場所から薬物中毒者がアクセスしてくる。彼らは薬物に手を出したことで、現実社会で周囲に心を開けず、いつまた自分が薬物に溺れるかもしれない恐怖に怯えている。「今日も薬物をやってないよ!」「よし、〇日目だね!」と励ましあっていた。ある日、そのサイトに新たな訪問者“ミネラルウォーター”がやってきたことで、不穏な雰囲気になっていく。そして、オンラインとオフラインの二つの物語は、とあることをきっかけに混じり合っていく・・・。

『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』舞台写真03

尾上は普段の歌舞伎とは違う、等身大の20代の青年を好演。悪態をついたり、癇癪を起こしたり、明るくひょうきんだったり、夢追う半ばだったりと、身近にいそうな好若者だ。しかし彼の抱える戦争の悪夢が、当時、現実のメディアで流れていた元アメリカ兵士がPTSDに苦しむ姿と重なる。短い戦地滞在から帰ってきても、もう普通の若者には戻れない。エリオットが優しく愛嬌のある人物だからこそ、彼の背負う闇がのしかかる。

エリオットを理解し、心配するヤズミン。南沢と尾上の落ち着いた雰囲気がどことなく似ているので、二人が血縁関係であること、信頼感で結ばれた長い付き合いである安心感が感じられる。

『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』舞台写真04

一方、サイトのシーンでは、舞台上は段差で仕切られ、低くなっている所がサイトにアクセスしてくる登場人物の空間となっている。会話の間に「ログオフ」「削除」の言葉や電子音が挟まれ、ネット上の文字のやりとりを音声で表現し、Web空間と生身の演劇という一見ミスマッチな世界をあらわし。画面上でのコミュニケーションに慣れた現代の人にとっては、目でタイムラインを追うように言葉が耳に入ってくる。現代劇ならではの設定と演出だ。

サイトの管理者は、篠井演じるハンドルネーム“俳句ママ”。性別を超えた包容力で薬物中毒たちにフォローの言葉を投げかけるが、現実の世界では不安定な面も見せ、人間の二面性を体現する。

『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』舞台写真05

サイトに集うのは、通称“あみだクジ(鈴木)”“オランウータン(村川)”“ミネラルウォーター(葛山)”。彼らのやりとりは、賑やかでコミカルで、繊細だ。お互いの歳も顔も知らないが、毎日顔を合わせる職場の人には言えないことを打ち明けられる関係。仕事のトラブル、出生の秘密、薬物に手を染めたきっかけ・・・。

それは例えば、友達や家族の前では笑いながら、部屋で一人「いのちの電話」にかけるような孤独。顔が見えないゆえに心を開くことができる環境。一般社会から疎外されても、誰かと繋がることを望む人々の、シェルターのような場所だ。「誰かと繋がりたい」、その願望は、同じ空間を共有する演劇を求める心にも近いかもしれない。

『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』舞台写真06

ピューリッツァー賞の審査基準は、アメリカの生活を描写していることだ。本作が戯曲賞を受賞した2012年は、前年の2011年にイラクからアメリカ軍が撤退している。生還した兵士のうち精神的な傷害を負った兵士は約50万人、自殺者は毎年250名以上と膨大な数だ。また、アメリカは世界第一位のコカイン消費国で、麻薬全体の愛好家数は世界の20~30パーセントを占めるというデータもある。そう考えると、作者のキアラ・アレグリア・ヒュディスが書いた登場人物たちの不安や問題は、おそらくアメリカの実感なのだろう。

日本の2012年を思い返すと、アメリカとの違いを実感するが、これは同じ時に起こっていた現実。日本ではイラク・アフガン戦争から帰還した自衛隊員は数十名だが、彼らのPTSDも話題になった。また、日本国内の薬物検挙数は2012年以降上昇している。私たちにとっても遠い話ではない。

『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』舞台写真07

人が薬物に手を出してしまうのは、些細なきっかけかもしれない。強くない彼らは、切ないほどに他者を求めている。G2の演出は、自分の弱さと向き合う勇気、直接人と繋がることの大切さを、丁寧に描く。しかし、薬物依存や戦争のPTSDを乗り越えることがゴールとはしない。その先にどう生きていくのかを、優しく見守る。

エリオットが何度も口にする「スプーン一杯の水(ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル)」のエピソードが明かされる時、客席の私たちは舞台上の彼らに心を重ねるだけでなく、自分が人生でやるべきことのヒントも受け取れるかもしれない。観る人の心にスプーン一杯の水が注がれたなら、その潤いは、確かな希望のひと匙になりえる。

(取材・文・撮影/河野桃子)

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