日本の演劇界に偉大な足跡を残した菊田一夫氏の業績を永く伝えるとともに、演劇の発展の一助として、大衆演劇の舞台で優れた業績を示した芸術家を表彰する「菊田一夫演劇賞」。第49回となる2023年度の授賞式が6月6日に東京都内で行われ、大賞を受賞した「ラグタイム」の出演者の石丸幹二、井上芳雄、安蘭けい、そして演劇賞を受賞した柿澤勇人、宮澤エマ、三浦宏規、ウォーリー木下、特別賞を受賞した前田美波里が登壇した。
差別や偏見に満ちた世界を変えるべく奮闘した人々の物語
まず最初に、今回の「ラグタイム」の大賞受賞の理由について、肌の色が異なる人物が登場する作品を演技や衣裳、ダンス、技術で演劇的な要素をミックスして、それぞれが背負う文化や境遇を見事に表現し、厚みのあるドラマを作り上げたこと、そして分断の深刻さやそれを乗り越える希望という現代に通じるテーマをエンターテインメントとして描いたことだと、山口宏子選考委員から説明がなされた。
また、演劇賞については異なるタイプの作品で力を発揮した人を選出。特別賞の前田は、キャリア60年の経歴の中で多くの作品に出演し、観客を魅了する日本のミュージカル界の宝であることが選考理由となったという。
「ラグタイム」を代表し、この日は石丸、井上、安蘭が出席。石丸は、「この作品にかける私たちの想いは、特に人種の問題をどう乗り越えるか。それから難解な音楽をみんなでどう歌い切るか。そんな課題が山積している状態で稽古が始まったのですが、演出の藤田(俊太郎)さん、スタッフの皆さまも知恵、アイディア、新たな解釈を踏まえながら稽古場でどんどん練り上がって、受賞対象になるような形まで仕上がってまいりました」と稽古を振り返る。
一方、井上も初めての黒人役に苦戦したことを明かす。最終的に、試行錯誤の末に決めた黒人をイメージしたカツラを被らずに本番を行うことになった。「表現できないんじゃないかという不安もありました」と言うものの「(実際に上演してみたら)僕たちには記号はいらないんだなと思いました。生きた人間として、その作品に相応しい上演形態を探っていければ、必ずお客さまに届くという自信と勇気をもらいました。この作品が日本でも世界でもさらに愛され続けることを望みます」と想いを寄せた。
そして、安蘭は「演出家、演者、色々なスタッフさんみんなの力でこの作品を作り上げて、素晴らしいものにできたんだと思います。そして、この作品を愛してくださったお客さまがたくさんいらっしゃったんだなと嬉しく思っています」と語った。
また、「のだめカンタービレ」「赤と黒」「千と千尋の神隠し」という3作品の演技に対して受賞した三浦は「いずれの作品も日本初演だったり、新作公演です。なので、一から全員でものづくりをするという経験ができて、初演ものは大変なことが多いですが、全員で力を合わせてどの作品もまっすぐ作っていったものなので、その作品たちで受賞できたことが嬉しく思っています」と受賞を喜んだ。そして、「僕は、死ぬその日まで舞台に立ちたいという夢があるんです。その場をいただけるように、その場を作っていけるように、これからも精進していきたいと思っております」と力を込めた。
第49回菊田一夫演劇賞の受賞者コメントは以下。
■菊田一夫演劇大賞
「ラグタイム」上演関係者一同(「ラグタイム」の高い舞台成果に対して)
石丸幹二さん
この作品は、特に人種の問題をどう乗り越えるか。それから難解な音楽をみんなでどう歌い切るか。そんな課題が山積している状態で稽古が始まったのですが、演出の藤田俊太郎さん、スタッフの皆さまも知恵、アイディア、新たな解釈を踏まえながら稽古場でどんどん練り上がって、受賞対象になるような形まで仕上がってまいりました。私、個人的には四半世紀前にニューヨークで見て衝撃を受けまして。その時の衝撃は、音楽の素晴らしさ。そこに心を打たれました。いつか日本でこの作品ができる日がきたらいいなと淡い思いがあったのですが、時を経て上演できたことを嬉しく思っています。このメンバーに支えられてきました。
井上芳雄さん
先ほどいただいた(大賞の)賞金の金額にちょっとボーッとなったところはありましたが、これからどういうふうに分けるか楽屋で話し合いたいと思います(笑)。この作品を日本で上演するのはたくさんの課題があったと思います。それをみんなの力で乗り越えて、結果、アジア人だからこそできる表現でお客さまにお届けできたことを誇りに思っていますので、この賞をいただけて嬉しいです。僕が演じたコールハウスという役は黒人の男性ですが、僕は黒人の男性を演じるのが初めてで、でも、それには時代が変わっているので、人種の表現も今までにない道を探そうということで、みんなで試行錯誤したんですが、チラシの段階ではカツラをかぶっていました。
ただ、舞台稽古になって衣装を着て、メイクもして、カツラをつけて稽古していたら、「いつもの髪の方がいい」と。みんなで話し合い、普段の僕に近い方がいいんじゃないかとなったのですが、カツラという記号があることで黒人の方を演じられるんだと安心材料にしてしまっていたところがあった。でも、僕たちには記号はいらないんだなと思いました。生きた人間として、その作品に相応しい上演形態を探っていければ、必ずお客さまに届くという自信と勇気をもらいました。
安蘭けいさん
改めて素晴らしい作品に出会えたんだと感謝しています。言いたいことは石丸さんと芳雄くんが言ってくださったので、私から述べることは何もありません。ただ、一つだけ言いたいのは、演出家、演者、色々なスタッフさんみんなの力でこの作品を作り上げて、素晴らしいものにできたんだと思います。そして、この作品を愛してくださったお客さまがたくさんいらっしゃったんだなと嬉しく思っています。とても大きな賞をいただき、素晴らしい賞金をいただき、それを本当にみんなでどうやって分けようかなって(笑)。それがこれからの課題かなと思います。
■菊田一夫演劇賞
柿澤勇人(「スクールオブロック」のデューイ・フィン役、「オデッサ」の青年役の演技に対して)
人間一生懸命、がむしゃらに誠実に頑張ればなんとかなっちゃうんだな、報われるんだなというのが正直な今の思いです。「スクール・オブ・ロック」ではギターを演奏するのが人生で初経験でしたし、オデッセでは標準語、鹿児島弁、英語という、ある意味3ヶ国語を操る通訳の役だったので、それもまた初経験でした。「スクール・オブ・ロック」は夜中まで残って練習していましたし、「オデッサ」では絶望の中、稽古に入っていました。
「スクール・オブ・ロック」の演出の鴻上(尚史)さんには「カッキー、あんあまり頑張り過ぎるなよ。根をつめるな」と言っていただきまして、救われました。ただ、稽古の途中で、鴻上さん自身が体調不良で稽古をお休みしまして、リモートでご自宅と繋いで稽古をするというシチュエーションもあり、頑張りすぎているのは鴻上さんじゃんと思いましたが(笑)。でも、これはまだまだ頑張らないといけないなと思いました。
「オデッサ」では、脚本・演出の三谷幸喜さんが、僕が絶望の中だったので気を遣ってくださって「柿澤さん、大丈夫。僕には見えてますから」という言葉をいただきまして、すごく救われました。ただ、終わった後に、「鹿児島弁と英語で芝居したことないのに、どうしてそういう設定を僕にあて書きでそうしたんですか?」と聞いたら、「見切り発車です。柿澤さんが喋れる確証はなかった」と。何も見えていなかったんだなと思いまして、恐ろしいな、鬼の三谷幸喜さんだなと思いました(笑)。
演劇をやっていると今後もそのような高い壁がやってくると思います。ただ、それでも諦めずに、一生懸命、誠実に、がむしゃらに精進してまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
宮澤エマ(「ラビット・ホール」のベッカ役、「オデッサ」の警部役の演技に対して)
2023年は初舞台から10年目の年でございまして、その年に初めての主演をやらせていただいてすごく嬉しかったです。恵まれたご縁と作品とカンパニーのおかげで今の私があるんだなとひしひしと感じる10年目でした。10年前の作品では柿澤くんと一緒でしたので、「オデッサ」の稽古中に「10年経ったけど、私たち演劇賞に全く縁がないね」と話をしていたら、二人でこういうふうに素晴らしい賞をこうしていただくことができたので嬉しく思っています。
この「ラビット・ホール」「オデッサ」という2つの作品は不思議と共通していることがありました。それは翻訳という問題が大きな課題としてあるということです。私は父がアメリカ人で、母が日本人で、両親のバイリンガルに育てたいという強い思いのもと教育を受けてきたのですが、この10年の間で英語の劇を日本語でやるというのはいかに課題があるかということを悔しく思う時もたくさんありました。今回の2作品に関しては、言いたいことを言って、この先、2度と呼ばれなかったとしても後悔のないようにやろうという思いで挑んだ作品でした。
なので、こうして結果を残せたことはすごく嬉しいですし、逆に結果を残せなかったら私は干されるのかなという気持ちでやっていたので(笑)、今、とてもホッとしています。特に「オデッサ」は英語監修という名目のもと、三谷さんにたくさんのご意見をさせていただき、時にはガチンコすぎて本気で怒っている瞬間もあって。そのくらい真摯にまっすぐに現代の生きる日本語で上演してくれるということを大事にしてくれる現場だったのでこういう結果につながったのかなと思います。
「ラビット・ホール」は稽古が始まる何ヶ月か前から英語の台本を読ませていただき、これは現代の日本語、口語でやるべき作品だと強く感じたので、演出の藤田俊太郎さんをはじめ、プロデューサーさんに「ぜひとも言語を見直させていただきたい」と提案させていただきました。
もちろん俳優という枠組みを超えた提案であることは重々承知していたのですが、これをしなくてはこの作品に還元できないと思っていたので、失礼を承知で、誤訳であるとか、ここは日本語で絶対にこういう言い回しがいいと思うというところを勇気を持って発言させていただいたところ、すごく快く受け入れていただいただけでなく、どうしたらもっと良くなるか、初日ギリギリまでみんなで検討し続けて、試行錯誤し続けた毎日でした。
そういう2作品が賞をいただけることつながったことを心から嬉しく思っていますし、何よりも泣きながらインターナショナルスクールに転校して、「英語ばっかりの世界の学校に行きたくない」と泣き喚く私に「それでも行くのよ」と言って私のお尻を叩いて行かせた母、父、家族、みんなの支えがなければ今ここに立てていないと思います。この先も言葉を大切に皆さまの前でお芝居を真摯に伝えていけたらと思っています。
三浦宏規(「のだめカンタービレ」の千秋真一役、「赤と黒」のジュリアン・ソレル役、「千と千尋の神隠し」のハク役の演技に対して)
いずれの作品も日本初演だったり、新作公演です。なので、一から全員でものづくりをするという経験ができました。初演ものは大変なことが多いですが、全員で力を合わせてどの作品もまっすぐ作っていったものなので、その作品たちで受賞できたことが嬉しく思っています。各カンパニーの全ての皆さまに感謝したいと思っています。
私は、クラシックバレエを5歳から習っていて、クラシックバレエのダンサーになるのがずっと夢でした。ただ、怪我をしてしまって、どうしようかと思っていた14歳の時に演劇に出会って魅せられて、「俺はこの世界に進むんだ」と思い直し、「舞台が好きだ」と思って今までやってきました。家訓として母から「人が趣味でやるようなことを仕事にするのは、生半可な気持ちではできない。人並みの努力じゃできない」と言われていました。その母の教えを信じてきたからこそ、この場に立てているのだと思います。両親、家族にはすごく感謝しています。僕、1時から公演があって、パーティーには出席できないので(笑)、この場を借りてご挨拶させていただければと思っています。
それから最後に、僕の夢を言いたいと思います。僕は死ぬまで、死ぬその日まで舞台に立ちたいという夢があるんです。その場をいただけるように、その場を作っていけるように、これからも精進していきたいと思っております。
ウォーリー木下(「チャーリーとチョコレート工場」「町田くんの世界」の演出の成果に対して)
30年くらい前に関西の小劇場で劇団を旗揚げをして、当時は楽しいからやろうとただそれだけでした。うちの家訓は「楽しいからやれ」なんで、楽しいからやっていたんですが、さすがにこれは何もないなと20年目くらいに思って海外に行こうと。それで行ってみて、そこにも何もなかったんです。でも、そこでも楽しいからやろうと思って続けてきました。たくさんの人が助けてきてくれたおかげだと思っています。
今回受賞した2作品も最初にプロデューサーの方が「これをウォーリーと一緒にやろう」と言ってくれたことが大きいですし、そのあと集まってくださったスタッフ、キャストの皆さんが、楽しんでものづくりができる現場になったらいいなと思っていたら、僕より楽しんで作ってくれた作品です。今回、この2つの作品の共通点が一つだけあって、「好き」と言うことを肯定してくれる作品だということです。コロナ禍で『好き』という言葉の相反する不都合さ、辛さを考える時期もありましたが、今は『好きだからやる』ということを好意的に思っています。
これからも好きな演劇やミュージカルを作っていきたいと思っております。それから、(今回の受賞でもらった)賞金をどうするか、僕も家族で話し合いをしまして、昨日、ようやく決まりました。子犬を飼うことになりました。今日、会場に来て菊田さんのお写真を見たら、偶然、菊田さんに(犬が)似ているんですよ。なので「菊ちゃん」という名前になるかなと思います。
■菊田一夫演劇賞特別賞
前田美波里(永年のミュージカルの舞台における功績に対して)
菊田一夫先生との思い出をお話ししたいと思います。私が15歳のとき、『ノー・ストリングス』というミュージカルが芸術座でかかることになりました。当時、私はクラシックバレリーナになろうと東京に出てきておりました。とあるマネージャーが菊田一夫先生が書かれたエッセイで、「あと10年するとハーフの人間がミュージカルをやって生きていくだろう」と。それを読んだマネージャーが私をなんとか菊田一夫先生に会わせたいと東宝の門を叩いたことがあります。
そして、私はオーディションを受けてることになり、8つの丸の中で自己表現をしました。ただ、私は何もできませんでしたので、クラシックバレエのパを1つずつやって、8つ終えました。そして、なぜか私、1位になりました。最後に言われたのは、(自分の名前を言うように言われ)「芸能人みたいな名前だな」と菊田先生がおっしゃったのをよく覚えています。
菊田先生は大変厳しいところもありました。「風と共に去りぬ」という作品は、帝劇のためにできた作品なんです。本物の馬がちゃんと演技をしておりました。私たち若い役者は走る、転ぶ、馬がその場でパカパカしていて私たちが進む。私たちが遠ざかる(という芝居をしていた)。とある日、先輩方が化粧をしないでやるとすぐに帰れるので、化粧を辞めちゃえ、と。
でも、私はそういうことは絶対にいけないと思って、一生懸命化粧をして挑んだんです。そうしたら、それを菊田先生は舞台袖で見ていて、化粧をしていない役者は首になりました。それほど厳しい方でもございました。でも、一番思うことは、この歳になってこの素晴らしい賞をいただけたことです。
菊田先生が「1年やっても無理。10年やって1年生だと思わないと舞台はやっていけないよ」とおっしゃっていました。今、60年経ちました。やっと6年生なんです。だから、皆さん、私、もう少し生きたいと思います。それも舞台の上で。せっかくの素晴らしい賞をいただいたので、もう少し頑張って、あとせめて20年。いいじゃないですか。ヨボヨボになっても。そんな役をどうか演出家の方たち、書いて、私に役をください。私も舞台の上で死にたい気持ちです。菊田先生、ありがとうございます。すごく嬉しい賞をいただきました。
(取材・文・撮影/嶋田真己)