中島裕翔(Hey! Say! JUMP)が初ストレートプレイ出演・初主演を務める『WILD(ワイルド)』が、2019年4月28日(日)に東京・東京グローブ座にて開幕した。本作は、2016年にロンドンで上演された英国人劇作家マイク・バートレットによる作品。2013年にアメリカ国家安全保障曲(NSA)の元局員デコンピュータ専門家のエドワード・スノーデンが実際に起こした大規模な内部告発事件に着想を得て書かれた社会派戯曲だ。日本ではこれが初上演となり、演出は小川絵梨子が手掛けている。初日前には、公開ゲネプロと囲み会見が行われ、中島のほか、太田緑ロランス、斉藤直樹が登壇した。
会見で中島が「前情報を入れてきていただけると」と言っていたが、かなり現実の事件を想起するシチュエーションと、その先の監視社会が描かれている。当時、スノーデンの事件は全世界に衝撃を与えた。暴露されたのは「アメリカは全世界のインターネットを傍受し、それには各大企業が協力している」という内部告発資料。29歳だったスノーデンは直前に香港に潜伏し、その後ロシアに亡命することになる。
この事件は2014年に当時の資料や本人映像を元にドキュメンタリー映画(『シチズンフォー スノーデンの暴露』)が公開され、第87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。また2016年にはオリバー・ストーン監督、ジョセフ・ゴードン=レヴィット主演で映画化(『スノーデン』)もされている。
舞台では、このスノーデンを思わせる青年、アンドリューを中島が演じる。あるホテルの一室。アメリカ人の青年アンドリューは、アメリカが大規模な監視をおこなっている事実を暴露し“あの人”の庇護を頼って潜伏していた。そこに現れた女(太田)は“あの人”のもとで働いているミス・プリズムだと名乗る。人を食ったような彼女の目的は何なのか・・・仲間に入れたい?情報を探っている?アンドリューの自殺を心配して見張っている?それとも命の危険のあるアンドリューを守りにきたのか?あきらかに偽名の彼女は主張をコロコロと変え、アンドリューを翻弄していく。
緊張が走る底の見えない会話劇。ほぼ喋り通しの太田は、何が本心なのかまったく見せない様子は怖い。アンドリューのことは何でも知っていたり、名前をわざと間違えたり、ふざけているのか真剣なのかすら分からない。正体不明・目的不明の不穏さと共に、会話だけでアンドリューを揺さぶり、演劇的な展開をつくっていく。俳優として大変な役だ。太田は、それを力強くこなす。
対する中島は受けの演技で、主張の揺らぎを見せる。冒頭は反応が薄く、動揺も少ない。アメリカから逃亡し、戻れば裁判にかけられるだろう。二度と家族にも友人にも会えず、明日のことすら真っ暗闇。それなのに、とても落ち着いている。初舞台かつ繊細な会話劇の中で、中島はアンドリューを“覚悟を決めた青年”なのだと伝えてくる。
「告発をすればどうなるか、何度も考えたから」。
中島の安定した佇まいは、アンドリューが優秀な若者だと感じさせる。会見の中で太田と斉藤が口を揃えて「(中島は)タフだ」と言っていたが、その言葉どおり、堂々と舞台に立ち、相手役や観客席までも感じているだろう余裕がある。太田は中島を「素直で柔軟」と評していた。だからこそ、相手の演技を受け止めて、翻弄されることができるのだろう。太田がアンドリューの翻弄の仕方を少し変えれば、中島はそれによって変化するだろう。上演回を重ねる中で生まれる変化も楽しみだ。
女の揺さぶりに、しだいに焦りや苛立ちを見せてくるアンドリュー。女が一体何者で、目的は何なのか。同時に、アンドリューはどんな思いで危険な内部告発に踏み切ったのか、彼は一体どんな青年なのかということも、観客の中で想像が膨れ上がっていく。正義感と信念を持って、危険をおかしてアメリカの秘密を暴露したのは何故か。不正を許せず権力に反発する若者は、いつの時代もどの国にもいる。アンドリューの場合は?考え抜かれた世の中のための正義なのか、若さ故の軽率な社会への反発なのか、それともただヒーローになりたかっただろうか。
二人の間に交わされるスリリングなやりとりの底に、正義とは、自由とはなにかという問いまでも浮きあがってくる。果たしてアンドリューの告発は“正しかった”のか?正しかったのだとしたら“誰にとって”正しかったのか?
しかし、アンドリューの前にもう一人の男(斉藤)が現れる。彼もまた、女と同じように「自分こそが“あの人”のもとで働いている」と言う。さらに「女なんていない」とも。
一体、誰が真実を語って、何が正しいのか・・・アンドリューは誰を信じ、どう行動すればいいのか。たとえばパスポート。これはその人自身を証明するものになるのだろうか。監視社会を逃れて亡命してきたアンドリューにはパスポートがない。それではアンドリューの存在を定義するものは何だろう。女も、男も、アンドリューさえも、一体何者で、それを証明できるものはどこにあるのだろう。
しだいにアンドリューにとって、確かだと思っていた人、モノ、世界のすべてが壊れていく。確実に目の前に会話をしている人間(俳優)が存在しているのに、個人のアイデンティティから社会の仕組みまで、その複雑にからまりあった連鎖がすべて不確かなものになっていく・・・。
インターネットが生活に浸透した今、誰もが気軽に情報発信できるようになった現代への皮肉のきいた台詞も散りばめられている。また、ジョークグッズのような小道具がいくつも登場。ちゃちなオモチャは場の空気をなごませるが、次第に本物と偽物の区別も曖昧になっていく。
2016年のロンドンでの初演時は、イギリスの大手新聞ガーディアン紙に「挑戦的で、ほかに類を見ないほど演劇的である」と評が載った。確かにとても演劇的な作品だ。スリリングな展開。人間同士の会話劇。価値観に問いかけられる戯曲。そこにいる生身の俳優の体温を感じながらも、それさえも本物か分からなくなる。
登場人物がたった3人の会話劇という、濃密な舞台。会見で太田は「中島さんと1ヶ月ちょっと稽古をしてきましたが、今日やっと(取材があって)アイドルだと思い出しました。ずっと役者仲間でした」と言い、ただ一人の舞台俳優としてそれぞれが向き合った稽古場を感じさせた。
また中島は、稽古についてこう振り返る。「最初は台本を読んでわけが分からなかったのですが、分からないままでいいんだよ、と言っていただきました」「二人(太田、斉藤)が自分の変わりに(台本への疑問を)いろいろ提示してくださって、毎回勉強になりました」。3人と俳優と演出家、そしてスタッフら全員でこの戯曲に取り組んだことを伺わせた。
後半、この舞台そのものが揺らぐような展開が待っている。中島はラストシーンへの言及を避け、言葉を選びながら「目の前で起こっていることを一秒一秒感じてくれれば」と語った。
この舞台はロンドンで初演され、高い評価を得た。スノーデンが暴露した機密資料の中には、イギリスがネット上の通信記録をとり、情報収集していることも明かされている。この戯曲がイギリスの劇作家マイク・バートレットによって書かれたことは、社会に対する挑戦的な問いかけとも言えるだろう。
モデルとなったスノーデンは、今なおロシアで暮らしている。今は、彼と恋人との仲睦まじい様子をSNSで見ることもできる。ただ、それはどこまでが真実なのか、私たちには分からない。公表されている情報によれば、スノーデンは2020年まではロシアに滞在することができる。そのあとは・・・分からない。国家による監視を暴露して彼が得たもの、国家が失ったもの、市民が得たものは何だったのだろう。
おそらく『WILD』を観終わった人は、少なからず揺らぎを感じることと思う。私たちは何をもって、何を根拠に、物事を信じているのか、今一度、問う機会を得るだろう。
『WILD』は、5月25日(土)まで東京・東京グローブ座にて、6月2日(日)から6月5日(水)まで大阪・梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティにて上演。
【公式HP】https://www.wild-stage.jp/
(取材・文・撮影/河野桃子)