『冬の時代』開幕!須賀貴匡、宮崎秋人ら演じる110年前と現代が繋がる──最後の通し稽古レポート


2020年3月20日(金・祝)に開幕した舞台『冬の時代』。1910年の「大逆事件」で多くの社会主義社・無政府主義者が投獄また死刑となり、社会主義運動が苦渋をなめた「冬の時代」に戦いの声を挙げ続けた男達の物語だ。この戯曲が出版された1964年は、60年安保闘争の直後。いずれも志ある若者が社会に抵抗をしめした過酷な「冬」の時代は、現代の私たちにもどこか通じる空気を纏っている。

出演するのは、須賀貴匡、宮崎秋人、壮一帆、青柳尊哉、池田努ら。東京芸術劇場シアターウエストへの小屋入りを前に、稽古場でおこなわれる最後の通し稽古を取材した。照明の変化もなく、舞台美術もそろってはいない空間での、休憩2回をはさむ計約3時間15分。その時間は、止めることなく作品を演じきる俳優達の情熱により、今の時代に切り込む鋭さに満ちていた。

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登場人物は、実在の人をモデルにしている。明治の終わりから大正の中期にかけて実際に東京にあった「売文社」で起きたこと、「売文社」で起きたことを時に忠実に、時にフィクションを交えて描いたものだ。

戯曲の冒頭には、劇作家・木下順二の言葉でこう書いてある。
「全体としては結局勝手に──描いている。なにゆえそのような勝手が作者にゆるされるかということは、作品そのものが──従って登場人物たちが、すぐに、まただんだんと語ってくれるであろう」

いかにも、舞台上で血気盛んに声をあげる登場人物たちからは、何のために筆をとり、何を書くか、その覚悟を感じることになるだろう。彼らが必死に戦った「冬の時代」の厳しさとともに・・・。

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熱気とともに幕があける。時は「大逆事件」の2年後。渋六(須賀)が設立した、代筆や文章代行を行う「売文社」の一室。男達が集って激論を交わしている。語られているのは1908年に起きた「赤旗事件」での思い出。この国を良くしようとしていた現「売文社」メンバー13名のうち、9名が、この社会主義者弾圧事件によって数年間、懲役をくらっていたのだ。

その記憶を強く反芻しながら、この世の中を社会主義でどう良くしていけるのか、どうすれば自由で平等な社会になるのかを、熱く議論する男たち。それぞれが、あだ名で呼び合う関係だ。「労働者のためだ!」と血気盛んな飄風(宮崎)とショー(青柳)。二人とはソリの合わない不器用な学者肌のノギ(池田)。ぶつかり合う彼らのまわりで、文学士(若林時英)、不敬漢(溝口悟光)らも持論を交わす。

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そして、彼らの激論を、どこか楽天家にみえる渋六社長が笑みを浮かべて聞いている。

室内で息巻く面々だが、この「売文社」は他人に変わって文章をつくるという代筆行の会社だ。まだ識字率の低い時代。ここには直接のお客さんがやってきたり、電話が鳴ったりと、あちこちから忍術の本や広告作成などの依頼が届く。

そうやってお金を稼がないと自分達の活動資金もままならないはずが、渋六は、貧乏なお婆さん(羽子田洋子)におまけをしては、にこにこ笑っている。また、わざわざ「社会主義撲滅論を書いてほしい」とまさにケンカを売ってきた男(青山達三)にはのらりくらりと応対する。これにはみんなも大笑い。けして一枚岩とはいえない男達だが、「社会主義で世の中を良くしたい」「冬の時代を終わらせよう」と志を同じくして楽しそうだ。

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しかし彼らの関係も、少しずつ代わり始める。

飄風は攻撃的に議論をしかけては、ままならない憤りのせいか次々と女性に手を出し始める。「大逆事件」で尊敬する師・幸徳秋水が死刑に処せられた際、獄中にいて共に戦えなかった彼にとっては、当然のことかもしれない。演じる宮崎は力強く言葉を重ねるだけでなく、ねめつけるような鋭い視線、口端の自虐的な笑み、置き所のない手のやり場などで、どうにもならない不満を表現する。発言と主張のための新雑誌を共に立ち上げたショーとも、少しずつ態度の違いが見えてくる。

一方で、渋六はなかなか本心を見せない。時に逆撫でする飄風に対して感情を見せるものの、基本的には目を細めて微笑み、奥方と冗談を言い合っては笑っている。飄風とショーの雑誌「近代思想」とまるで逆の道を行くかのような宣伝用の機関誌「へちまの花」を発行する。渋六を演じる須賀は、熱がこもる男達のなかで引きずられず、鷹揚に構えては、場の空気を緩ませる。芝居に緩急をつけるように丁寧に言葉を打ち込んでいく。3時間を越える上演時間をかけて、少しずつ見えてくる彼の人柄に、むしろ『冬の時代』の厳しさをも思わされる。

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議論には参加しないが、渋六の奥方(壮)は彼らと同じ空気を吸い、かといって奥に下がるわけではなく売文社の面々を支えている。ふとしたしぐさや止まる動きや立ち位置などで、一員と感じさせる距離感も良い。

台詞の中には、耳慣れない単語が多い方もいるだろう。また、勉学や家庭や上下関係についての価値観も約100年前のものだ。しかし、彼らの関係や思いはけして複雑なものでもなければ古いものでもない。むしろただシンプルに、まっすぐに、未来を向いてそれぞれの立場から主張していることは、その声音、目線、距離感からもよく感じられるだろう(時代背景が気になる方は、パンフレットを購入するか、事前に「社会主義運動」について簡単に予習をしてきてもいい)。

必死になったり、冗談を言ったり、自暴自棄になったり、恋をしたり・・・時代は違えど誰もが人間らしい。厳しい「冬の時代」のなか、同じ目標を目指して、同じ夢を見て、語り合う相手でも、考え方も戦い方も人それぞれで、時が流れるごとに変化していく。それでも、できるところでは一緒に戦っていこうよと願う。

私たちの時代もまた、2020年の幕開けから突然の国家対立(イラン―アメリカ)や、尽きない政治問題、表現の不自由論争、労働者の貧困、など、まさにこの舞台『冬の時代』と重なる出来事が重くのしかかっている。さらにはコロナウイルスの世界的パンデミックと、それにともなう経済の不況など、状況はより悪くなっているとも言える。そんな時に、そんな時だからこそ、演劇という生身の表現で強く、明るく、生々しく訴えかけてくる舞台だ。

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通し稽古ののち──20分の休憩を挟み、フィードバックが行われた。

その隣では、舞台スタッフ達が稽古場の片付けをしている。机や本棚などの舞台セットを運び、床に貼られたバミリ(俳優のスタンバイや道具の転換をスムーズに行うために目印として貼られたテープ)を取り、すべてを大型トラックへと運び込んでいく。また、稽古場の壁に貼られた実際の「売文社」や登場人物のモデルの写真などもはがされていく。ガタガタと片付けの音が響く稽古場で、俳優達は車座になって、演出家の声に耳を傾けている。稽古最終日の、緊張感と高揚感に包まれる。

演出の大河内の声は穏やかだが、指摘は鋭い。「もっと対立して」「この言葉を強く立たせて」「ナイーブにならない。弱くならないで」と、登場人物たちがぶつかる関係性を際立たせる指摘をする。議論を重ねる売文社の面々を戦わせるため、大河内自身が俳優に戦いを挑んでいるようでもある。また、「この台詞の後は間(ま)を半拍とって。みんなの顔を見る時間がほしい」と、観客からの視点も大切にする。最後に「劇場に入ると、実際はこうなるから」と大河内が言うと、一瞬ピリッとした空気が走る。これで稽古場は最後。次に彼らが立つのは劇場の舞台なのだ。

ついに稽古は終わりだ。青柳の「だぁー!」という雄叫びとともに、めいめいに片付けに入る。その表情からは、楽しみと、緊張と・・・張りつめながらも浮き足立った空気が伝わる。マスクの上から覗く目も、笑っているようで強く光る。この高揚感も、劇場入り直前の独特のものだろう。劇場に集った観客の前に立つことを、誰もが覚悟とともに楽しみにしていることが伝わる。

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冒頭で述べたが、劇作家の木下が「勝手に」事実に想像をくわえて戯曲化したように、上演にあたっては当然、今舞台ならではの演出が反映されていく。それによって私たちはどうしても、今、自分が生きるこの時を考えずにはいられない。きっとこの舞台は、渋六たちとは違う現代の『冬の時代』(と後に呼ばれるかもしれないこの現代)を生きる私たちへの、痛切なエールなのだろう。

unrato#6『冬の時代』は、3月20日(金・祝)から3月29日(日)まで東京・東京芸術劇場 シアターウエストにて上演。

【公式サイト】http://ae-on.co.jp/unrato/

(取材・文/河野桃子、撮影/交泰)

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