第6回企画「舞台の仕掛人」<前編>音響・ヨシモトシンヤは劇場で“心臓を掴みたい”


“いつもとはちょっと違った視点”で舞台を紐解く、エンタステージの企画「舞台の仕掛人」。舞台にまつわる様々な分野で活躍されている方に、様々な角度からお話を聞いていくこの企画の第6回ゲストスピーカーには、音響のヨシモトシンヤさんにご登場いただきます。

2.5次元作品を中心に、あちこちでお名前のクレジットをお見かけするヨシモトシンヤさん。現在に至るまでのお話には、運命の出会い、突然訪れた苦難など、様々な人生における覚悟が詰まっていました。“心臓を掴みたい”という、ヨシモトシンヤさんの音へのこだわりを紐解いていきます。

「sacra sound Inc.(株式会社サクラサウンド)」:https://www.sacra-sound.com/

――今回は、取材オファーを受けてくださりありがとうございました。ヨシモトシンヤさんのお話をぜひ聞きたいと、以前からたくさんのご要望をいただいていたので、叶えていただいてとても嬉しいです。

そう言っていただけて光栄です。舞台を楽しんでいただく上で、音響をはじめ裏側の仕事にも興味を持っていただけたらそんな嬉しいことはないです。

――皆さんにお聞きしているのですが、まず、シンヤさんと演劇の出会いを教えていただいてもよろしいでしょうか。

僕、中学・高校とずっとバンドをやっていたんですね。それをきっかけに、バンドにプラスになるようなことをしたい、音に携われるような仕事につきたいという希望を持つようになりました。それで大阪のビジュアルアーツ専門学校というところに入ったんですが、そこには「演劇コース」というのもあったんですね。でも、当時の僕はまったく演劇というものを知らなかった。宝塚歌劇団と劇団四季くらいしか知識がなかったから「演劇コース」とはなんぞや?と思っていました。

でも、その後に同じクラスの「演劇コース」を専攻している子たちとすごく仲良くなったんです。その子たちを通じて、講師の人とも仲良くなって、ある日、その方が主催する高校演劇祭があり、ボランティアスタッフをやってほしいと頼まれたんですね。もちろん、二つ返事で引き受けました。

その演劇祭で、高校生が演じるキャラメルボックスさんの『ナツヤスミ語辞典』を観たんです。それが初めてちゃんと触れた演劇と言っても過言ではないんですけど・・・めちゃめちゃおもしろかったんですよ!

もちろん仲良しの「演劇コース」の子たちはキャラメルボックスをよく知っていましたから、すぐに教えてもらいました。その後、宝塚や関西の小劇場にも連れて行ってもらうようになって、ますます演劇っておもしろい!って感じていったんです。

――まさに、人生を左右する運命の出会いだったんですね。

入った学校に「演劇コース」があって、そのコースの子たちと仲良くなったことは、とても大きかったですね。舞台の音響をやったのも、その子たちが自分たちで公演を打つ時に、「シンヤ、ちょっと音出すのやってよ」って言ってくれたのが最初でした。舞台の音響のこと、全然分かってなかったけど、分かった!って引き受けて(笑)。きっかけも全部台本に書いてもらって、すべてお膳立てしてもらった状態でのオペでしたけど、それが人生で初めて経験した舞台の音響です。

――バンドマンだったシンヤさんが、そこまで演劇に惹かれたのはどうしてでしょうか?

一番は、熱量ですね。バンドで感じる熱量の一つ、音圧は楽器から出た音をPAして増幅させたものですが、演劇は生身で放つ熱量がすべてですよね。当時、僕より年下の高校生たちがあれだけの熱量を観ている側に感じさせられるということに、衝撃を受けたんです。

キャラメルボックスの、成井豊さんの脚本だったことも大きいと思いますし、当時はつかこうへいさんのお芝居の影響とかも強かったから、余計に。何より輝いていたんですよね。裏で、細かいことを一つ一つ一生懸命自分たちで仕込んでいた高校生たちが、舞台に立った途端、バーン!と輝く、その変貌ぶりにも圧倒されました。

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――お仕事として音響をやり始めたのはいつくらいからだったんでしょう?

僕、関西にいた頃「劇団Ugly duckling(アグリーダックリング)」という劇団の劇団員だったんですよ。その劇団は、僕が手伝った高校の、確か、OBの子たちが作った劇団だったんですけど。仲良くなって入ることになったんですね。しばらくその劇団の座付き音響として関西の小劇場でやっていたら、いろんなところから音響をやってくれないかというお話をいただくようになって・・・。だんだんと、そっちに傾倒していくようになりました。

その頃、スエケン(末満健一)さんと出会っているんですよ。「惑星ピスタチオ」さんがめちゃめちゃ好きだったので、ずっと舞台に出ているのを観ていました。あと、「遊気舎」さんも大好きで。いつか、この二つの劇団で音響をやるというのが、関西にいた頃の最初の目標でした。

――その夢は叶いましたか?

いえ、それは叶わなかったんです。仕込みの手伝いとかはさせていただいていたんですが・・・。叶わないまま「惑星ピスタチオ」さんは解散してしまったんですけど、その後、スエケンさんが立ち上げたピースピットのゼロ回公演『スエサンヤマサンのおもちゃ会議』 (2002年)という、本当に始まったばかりの実験のような公演で音響をやらせてもらったんです。その後も、スエケンさんが出演していたり、脚本や演出をやっている舞台はよく一緒にやらせてもらっていましたね。

――東京に進出されたのは?

一時期、関西の劇場付きだったスタッフさんが外の仕事に出てくるようになったことがありまして、仕事が減ってしまったのがきっかけでした。もともと東京に行く夢もあったので、そのタイミングで上京しました。東京に出てからは、すぐに「サウンドキューブ」という早稲田系のスタッフ集団に所属させてもらったんです。そのタイミングで、「少年社中」の毛利(亘宏)さんをはじめ、早稲田系の劇団の人たちと出会いました。

――シンヤさんは、現在は「sacra sound Inc.(株式会社サクラサウンド)」を設立され独立されましたが、それ以前は有限会社「カムストック」さんに所属されていましたよね。

「カムストック」とは、東京の小劇場でやりはじめた頃に、創設者である松山典弘さんに機材を借りる側として出会ったことからご縁をいただきました。その松山さんから「ネルケプランニングさんから音響を頼まれているんだけど、オペしてみない?」と声をかけていただいたのが、初めての大きな仕事で。それが、『ROCK MUSICAL BLEACH』(以下、ブリミュ)でした。

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――その時のことって、覚えていますか?

はい。古い頃の、日本青年館で。小劇場での経験しかない僕があんな大きい場所でやるなんて・・・マジか!ってなりました(笑)。

――初期のブリミュって、2.5次元舞台のはしりでしたよね。小劇場が好きなシンヤさんの目に、今でいう2.5次元ってどう映りましたか?

僕がやっていた小劇場のMAXキャパって、300ぐらいだったんですよ。でも、ブリミュをやったのは1500とか、2000の劇場。とにかく、そのお客さんの多さにびっくりしました。出す音量が間に合わないんです。お客さんの盛り上がりに、どん突きまでフェーダーを上げても、(音が)足りない!間に合わない!ってなるぐらい、今度はお客さんの熱量に圧倒されました。

――それはおもしろいという感覚でしたか?

そうですね。同時に、ミスをすることへの怖さも感じました。劇場が大きくなればなるほど、ごまかしが効かない。

僕、小劇場の頃から、殺陣とかの多いエンターテインメント要素の多い舞台を担当することが多かったんですね。だから、殺陣は叩きなれていたんですが、ブリミュではその殺陣を叩くにも、ミスする怖さが段違いでした。

お客さんの期待度が高いこともそうですし、ハコ(劇場)の大きさによって、音も、空気も違いますから。大きい劇場で、大きいメインスピーカーから出る“作り込まれた音”というのは、1デシベル、なんなら0.5デシベルでも大きな差になるんですよ。お客さんの声援、気温や天気、空調、その日の役者の体調などにも左右されるんです。「昨日と同じフェーダー位置なのに、なんで聞こえにくいんだ?」とかなります。細かく集中してやらなければいけないから、耳が鍛えられましたね。

――そこから、大きな仕事は2.5次元作品が多くなっていったんでしょうか?

もう一つ、ブリミュと平行して、マジシャンのセロを担当していたんです。それが・・・最初は大変でしたね。セロはマジシャンなので、最初、分厚い壁があったんですよ。絶対に楽屋に入らせない、もちろんマジックの種も見せない。でも、こっちとしてはいろいろ理解しないとミスやトラブルに対処できない。何をもって成功の音を出せばいいのか分からない。

だから、なんとかコミュニケーションを取って、こちらを信用してもらおうと試行錯誤しました。名札をぶら下げて名前を覚えてもらおうとしたり。彼はとてもいい人だったので、最終的に選曲を任せてもらえたり、逆に音楽編集ソフトの使い方を教えたりするような仲になれました。当時のマジックのネタもほんの少しだけ知っています(笑)。

セロは営業も多くて、いろんなイベントでのマジックを京セラドームや台湾のアリーナとか、とんでもない規模での仕事がたくさんあったんです。ついこの前まで小劇場でしか経験のなかった僕が、何万人という規模でオペをするなんて・・・とんでもない経験でした。その仕事を通して、なおさら大きな劇場のすごさを知りましたね。

――想像以上のお話が出てきました・・・!そんな風に一気に広がった世界で、常に挑戦をされてきたんですね。

「カムストック」の松山社長は、めちゃめちゃ失敗をさせる人だったんです。やらないで怒られるよりはやって怒られろとか。そして、新しいものや、おもしろいことが好き。当時、小劇場出身の音響さんが大きな劇場を手掛けることも少なかったのではと思います。僕の知る限りですけど。小劇場でやってきたことを大きな劇場でも表現できたら、誰も知らないものができるんじゃない?という松山社長の考えにのっかって、どんどん新しいことをやっていこうと思っていました。その気持ちは、今もありますね。

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――そんなシンヤさんの、お仕事におけるターニングポイントを挙げるとしたら?

3つあります。1つ目は、先ほどから何度も話に出ている「カムストック」の松山社長に出会ったことです。

2つ目は、ミュージカル『薄桜鬼』(以下、薄ミュ)を担当させてもらえたことです。薄ミュのライブ「HAKUMYU-LIVE」の第1弾の時に、縁あって毛利さんから「やらない?」と声をかけていただいたんです。・・・めっちゃ過酷なスケジュールだったんですけど(笑)。その後、これは人づてに聞いた話なんですが、当時のプロデューサーから、マーベラスの中山(晴喜)さんが(気に入って)「あの音響を手放すな」と言ってくださったということを聞いて・・・これはめちゃめちゃ嬉しかったことですね。

3つ目は、2016年の1月、僕の身にトラブルが起きたことで気づいた仲間の大切さです。それは薄ミュ「新選組奇譚」の最中のことだったんですけど。本番中、急に殺陣を叩いている右手の反応が鈍くなるという出来事がありまして・・・。心配してくれた小澤廉や窪寺昭に病院に行くことを強く勧められ、翌日の休演日に足を運んだところ、即入院することになりました。

つまり、急遽現場を後輩たちに託すことになってしまったんです。その後輩たちは、リハなし、場当たりなし、ゲネなし、即本番という過酷な状況に置かれたのですが、僕のオペを日頃からよく見ていてくれたので、すごくがんばって公演を成し遂げてくれました。

その後輩たちは今も僕を手伝ってくれていて、未だに頭が上がりません。ピンチの中で、仲間の大切さに気づけたことは大きなことでした。後輩たちがいなければ、今の僕も、これからの僕もいないと思っています。

――シンヤさんの作る音って“生きている”と思うことが多いのですが、シンヤさんや後輩さんたちの人生が乗っているからなんですね。

僕がこんな音にしたい、こんなことをやりたいと思い描くことを、後輩たちの力を借りて具現化して、身体で感じる音にしています。僕も後輩たちも、みんな本当に舞台が好きなんだと思います。後輩たちの意見を取り入れてみたら、すごくよくなることもあって。後輩たちは学生の頃からたくさん演劇を見てきているので、役者の心情とかもよく分かっている。僕の方が勉強させてもらっているぐらいです。でも、場当たり中とかは音の上げ下げについてめちゃめちゃ喧嘩しますけどね(笑)。

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――では、音響・ヨシモトシンヤとして最も大切にされていることはなんでしょう?

「音量」ではなく、「音圧」にこだわっています。人間の可聴領域は決まっているので、耳に届かない音もあります。そういう音でも、「音圧」は出ている。耳には届かないけれど、身体では感じられる。僕はそれを“心臓を掴みたい”って言っているんですけど。

もちろん、大きい音は苦手なお客さんもいらっしゃるので、そこにはめちゃめちゃ気にしています。声、台詞、歌詞が聞こえない状態になってしまうことは絶対にだめですし。今、映像でも舞台を楽しめる状況が増えてきていますが、やっぱり、本番という現場に足を運んでくださったお客さんだけが味わえる、そんな特殊なものを作りたいなと思っています。

「sacra sound Inc.(株式会社サクラサウンド)」:https://www.sacra-sound.com/

※次回は、よりぐっと「音響」という、ヨシモトシンヤさんのお仕事に踏み込んだお話を聞いていきます。

ジャズがふんだんに使われた、舞台『血界戦線』でのこだわりや、舞台『刀剣乱舞』での日替わりシーンの対処法、超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』で渋谷を揺らしたアノ夜の秘話など・・・ヨシモトシンヤさんならでは“音”にこだわったお話満載です。
お楽しみに!

後編:第6回企画「舞台の仕掛人」<後編>音響・ヨシモトシンヤが“責任を持って鳴らす音”

(C)アイディアファクトリー・デザインファクトリー/ミュージカル『薄桜鬼』製作委員会

<過去記事アーカイブ>
第1回:ネルケプランニング代表取締役社長・野上祥子さん<キャスティングについて>
第2回:殺陣師・六本木康弘さん<殺陣について>
第3回:第3回:劇作家・翻訳家・高橋知伽江さん×音楽・深沢桂子さん<日本発“オリジナルミュージカル”の制作について>
第4回:CLIE代表取締役社長(現Lol)・吉井敏久さん<シリーズ化について>
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