『アジアの女』&『桜姫』長塚圭史インタビュー!9月開幕の2作は共にディストピアを描く


2019年9月に『アジアの女』と『桜姫~燃焦旋律隊殺於焼跡(もえてこがれてばんどごろし)~』という長塚圭史が脚本を手掛けた2作が上演される。どちらも10年以上前に書かれた作品だが、偶然にも同時期に幕を開けることとなった。まるで導かれるように同じタイミングで蘇ることになった2作の共通点とは?

また、ここ数年は長塚にとって変化の時期ではないだろうか。阿佐ヶ谷スパイダースはこれまでのプロデュース制をやめ、劇団化して2年目。また、今年からKAAT神奈川芸術劇場の芸術参与に就任した。力強く演劇界を走り続けてきた長塚が今見る景色とは。作品のことにとどまらない、長塚の“今”を聞いた。

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9月6日開幕『アジアの女』初演とは違う意味を持つ作品に

――『アジアの女』ですが、13年ぶりの再演が決まっていかがでしたか?

2006年に書いたものですが、選んでいただいてとても光栄です。きっと、今ならこの作品は書かなかったでしょうね。当時は「もし今、僕らの街に大きな災害があったら何が起こるのか」を、関東大震災をベースに想像を膨らませて書きましたが、2011年の東日本大震災を経た今となっては必然的に物語の意味がまったく変わってくるでしょうし。
なので、今回の上演にあたって少しだけ手を加えました。ホリプロのプロデューサーさんから「2019年という時代を見る目を少し加えてほしい」という要望がありましたらかね。劇の本質はまったく変えていませんが、人物設定と世界観を少しだけ分かりやすくしました。そして、東日本大震災のことを書いている作品ではないので、観た方の誤解を生まないような作り方を心がけています。

――“アジア”という言葉の意味も、13年前と今では変わっているでしょうね。

それもおもしろくて!『アジアの女』って、当時は「なんでアジアの女なんだ?」という質問がけっこうあったんです。でも時代を経たことで違和感がなくなってくるんじゃないかな。だって13年前は、僕らの生活の中にこれだけのアジア圏の方々が入って来るとは思ってなかった。関東大震災の文献を読んでいても、僕ら日本人がとても排他的で、他を受け入れられない民族なんだなということをつくづく感じていましたし・・・。でも、今はアジアだけでなくもっと広い世界が僕たちの生活に関わっている。この13年で僕も圧倒的に視野が広がっているでしょうね。

――演出の吉田鋼太郎さん、主演の石原さとみさんなど、今回の座組での上演で楽しみなことは?

基本は安心感しかないです。鋼太郎さんもこの戯曲を非常に楽しんで演出してくださっている。演出家として俳優にきちんと寄り添って作ってくださる方ですし。それぞれのキャラクターの魅力を、鋼太郎さんが上手に広げてくれるんだろうなぁ。

石原さんは、彼女の初舞台から観ているのでとても期待してますね。山内圭哉さんは長年一緒にやっていて信頼しているし、矢本悠馬さんと水口早香さんは初めてだけど、お会いして本読みも聞かせていただき、どうなっていくのかとても楽しみです。・・・鋼太郎さんの演じる作家役は出番が多すぎるので、演出しながらは大変だと思います。最初、ご本人も「オレの台詞多いなあ!」って騒いでいました。(そう言っている)その時間を使って覚えてくださいって思いました(笑)。

――吉田鋼太郎さんの役は、「書けない作家」ですが、作家としての長塚さんの視点が反映された役ですか?

そうですね。『アジアの女』には作家というものが大命題としてあります。作家の存在意義や、全てを失った時に何を生産するのか・・・と考えていくと、作家の悩みだけにとどまらないんですよね。

2006年は僕の「書く」ことへの意識も今とずいぶんと変わっていて、この時期くらいまでは暴力や血まみれの芝居ばかり書いていました。同時に、こういう作品を書く時代はもう終わるだろうな、という意識が芽生えはじめた時期でもありました。そんな時に新国立劇場の芸術監督でいらっしゃった栗山民也さんにお声掛けいただいて書いたのが『アジアの女』です。作家として視野を広げないといけないという岐路にいた時だったので、それまでの文脈とは違う形を模索した作品です。

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9月10日開幕『桜姫~燃焦旋律隊殺於焼跡~』、生きるエネルギーがぶつかり合う

――『桜姫~燃焦旋律隊殺於焼跡(もえてこがれてばんどごろし)~』は10年前に書かれて、上演されていなかった作品ですよね?

そうなんですよ。2009年のコクーン歌舞伎番外編として「桜姫東文章」を戦後に置き換えて書きました。そしたら暫くして、丁度生まれて初めてのワークショップに死にものぐるいで挑戦して、それがすごく良い形で終わって一息ついたところだったんですけど、その時に「申し訳ないんだけど、書き直してくれない?」という電話がかかってきたんです。(18代目)中村勘三郎さんが「南米バージョンで書きなおしてほしい」とおっしゃられていると聞いて、「こりゃあ書かなきゃやばい!」と・・・。もうそこからは頭が真っ白です。稽古が始まるまでもうそれほど時間もなかった。で、その時は演出の串田和美さんがアミアンというフランスの町でサーカスの演出をしていたので、そこまで行って、サーカス小屋の狭い厩に閉じ込もって書き直しました。それが10年前のことで、最近になってあの当時スタッフとして参加していた劇団員に「南米版の前の戦後版の脚本けっこう好きだったの。今度やってみない?」と言われて掘り起こしました。ずいぶん忘れてることもあったので、改めて向き合うといろんな発見があっておもしろいです。

――江戸時代に書かれた四代目鶴屋南北『桜姫東文章』を大きく改訂されているそうですが、どんな風に?

戦後の設定にしました。原作を簡単に説明すると、桜姫と清玄阿闍梨(せいげんあじゃり)という身分の高い二人と、権助(ごんすけ)という悪党の仕業で、堕ちるだけ堕ちていくけど、最後には大どんでん返しがあって因果応報・・・まあなんて都合のいい話なんだろう!?とも思いましたが、そこがまた楽しめる物語。それを戦後番に書き換えました。

まず、3人の主要な登場人物がいます。一人は、清玄阿闍梨(せいげんあじゃり)という、死のうとするけど死にきれない強い生命力を持った男。もう一人は、ものすごく自意識過剰で「自分はもっと優れた女だ。もっとドラマチックな人生を送るはずだ」と思い込んでる女の子。この女の子が清玄阿闍梨とすれ違って、「あたしが桜姫だ!」と思い込んで二人でどんどん堕ちていく。

その二人の物語に、偶然、戦後の焼け跡でどうにか生き抜いてやろうという男が巻き込まれて「権助」という役割を担うことになる。三人三様の「生きよう!」というエネルギーがぶつかり合うお芝居にしています。

戦後の日本はまだ占領下にあって、苦しいし、食べ物はないし、混沌として、理屈が通用しない時代。霞の中を生きるような時代をうまくエネルギッシュに芝居にできれば、「生」というものを強く描ける気がして、戦後と江戸時代の“入れ子構造”にしました。

自分でも「なんでこんな芝居を書いたのかな?」と改めて思いますよ(笑)。でもそれは、やっぱり(18代目)中村勘三郎さんに頼まれたからなんじゃないかと思うんです。あの人に頼まれると、生きるエネルギーが湧いてくるんですかね。

――原作はエンターテイメント性の強い作品でもありますよね。

南北の作品は、荒唐無稽だしファンタスティックなんですよね。その過激さは魅力で、芝居って理屈じゃなくていいよね、と勇気をもらえる。歌舞伎ってやっぱり娯楽だなぁと実感します。

稽古をしていても、みんな大真面目なんだけどバカバカしくておもしろいんですよ。僕も10年前は串田さんが演出するからと思って無責任に書いていたところもあったけれど、いざ自分で演出するとなるとすごく大変。それでもあまりに荒唐無稽だから、改訂にあたって整理はしたんですが、自分でやりやすいように直しすぎたらダメだなと思って、あえて演出に負荷をかけてます(笑)。大変ではありますが、「勘三郎さんに書いた作品なんだよな」と思うと心強い。予想よりもおもしろい作品が立ち上がりそうです。

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2作品共通のディストピア観

――『アジアの女』も『桜姫~』も、偶然にも、とても大変な崩壊が起こったあとの世界を描いているんですね。

そうなんですよ!僕が選んだわけではないので、何かに導かれたのかもしれないとも思えてしまいますね。どちらも僕自身のタイミングとは違うのが非常に興味深いです。ここ数年はディストピアを描いた舞台上演もいくらか観ているので、もしかしたら時代のニーズもあるのかもしれないですね。

――長塚さん自身はディストピアに惹かれるんですか?

僕は子どもの頃から頻繁に「全部なくなっちゃったらどうしよう」という想像をしていたんです。例えば小さな頃から原爆に対する恐怖感が強くて、「そういうことが起きたら、何を考えるんだろう」と・・・。冷戦についても詳しくは分かっていないんだけど、もしかしたらソ連がアメリカを攻めたりするんじゃないか?とか、なにか酷いことが起こるんじゃないか?という心配をいつもしていました。

『若き勇者たち』という映画で、学校の校庭に落下傘が落ちて子どもたちが殺されて、生き残った子たちが山に入ってゲリラ作戦で大人を殺していくという作品があるんです。それを子どもの時に見て、「ありうるんじゃないか」と思ったり。

でもね、実際に起きた時に書きたいわけじゃないんですよ。そこから一番離れている時に、そういうことを考えなきゃと思うんですよね。

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劇団・阿佐ヶ谷スパイダースと、劇場・KAATの未来

――今年、阿佐ヶ谷スパイダースは劇団化して2年目を迎え、長塚さん自身はKAAT神奈川芸術劇場の芸術参与に就任しました。演劇への関わり方の変化などありますか?

まず劇団は、演劇を生業としてる人達だけでなく様々な人──たとえば子育てしてるお母さんなども作品づくりに関わっていけるスタイルになっていければいいなと思っています。僕らはある時、一生懸命ぐいぐい上を目指していましたが、今はその時とは違う文脈で芝居に取り組んでいる。ベテランから若手まで、スタッフ・キャストの垣根も越えて、セットも衣裳もみんなで準備しながら作品を作っていく。阿佐ヶ谷スパイダースの稽古場ではまず、ご飯を炊くところから始めるんです。掃除も交代制。営みに近い場所ですね。

お芝居っていろんなことをしなきゃいけないし、すべてが経験になるし、楽しみでもある。また、若い俳優たちが役者として経験を積める場にしたいと思っています。自分たちの遊び場は自分たちでつくって、自分たちで遊んで、自分たちで片付ける。例えば、客入れや客出しでロビーに出てお客さんを出迎えればどんな人たちが僕らの芝居を観に来てくれているか顔が分かるのも嬉しい。「あれ、高校の時の・・・?」「何回か来てるよ」「えっ!また来てね!」みたいなこともありましたし、「何年も観てます」と声をかけていただいたり、「昨日も来てくれていました?」と再会できたりします。そのすべてが、糧になりますから。

一方、KAATは公共の劇場なので活動がまったく違っていて、地域のためにやれることを探しています。近くに住む方たちにも足を運んでいただけるように心がけて、刺激的な劇場になるプログラムを組んでいきたいですね。劇場で働いている人とお客さんの顔が見えるようになったらいいな。時間はかかると思いますけどね。

――劇団の話も劇場の話もつながっている気がします。

そうですね。運営方法はまったく違うけれど、劇団を立ち上げるのに培ったことが劇場にも活かされるし、劇場での経験が劇団にも明確に反映されています。どんどん枠組みをとっぱらって、芝居が営みになればいいなと思います。

◆公演情報
『アジアの女』
2019年9月6日(金)~9月29日(日) 東京・Bunkamuraシアターコクーン
【作】長塚圭史
【演出】吉田鋼太郎
【出演】石原さとみ、山内圭哉、矢本悠馬、水口早香、吉田鋼太郎
【公式サイト】https://horipro-stage.jp/stage/asia2019/

『桜姫~燃焦旋律隊殺於焼跡~』
2019年 9月10日(火)~9月28日(土) 吉祥寺シアター
【原作】四代目鶴屋南北「桜姫東文章」
【作・演出】長塚圭史
【音楽】荻野清子
【出演】大久保祥太郎、木村美月、坂本慶介、志甫真弓子、伊達暁、ちすん、富岡晃一郎、長塚圭史、中山祐一朗、中村まこと、藤間爽子、村岡希美、森一生、李千鶴
【公式サイト】http://asagayaspiders.com/nextstage.html

 

(取材・文・撮影/河野桃子)

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