成河、NY発の一人芝居コメディ『フリー・コミティッド』インタビュー!「都会でやる演劇としてふさわしい」


『わたしは真悟』では、愛を覚え自我に目覚めたロボット真悟の切なさを、『髑髏城の七人 Season花』では天魔王のブッ飛んだ敵役の凄みを、また、平家物語を題材にとった『子午線の祀り』では、これまで古典芸能の俳優の役どころであった源義経を颯爽と演じきり話題を呼んだ成河。『人間風車』の主人公平川、黒蜥蜴の雨宮役などの主演・出演作での圧倒的な存在感も記憶に新しい。

時代物からミュージカルまで、多種多様な作品の幅広い役柄で観客を魅了してきた成河が次なる新境地として挑むのは、全38役を一人でこなす一人芝居『フリー・コミティッド』。“火花が散るような一人芝居の力作”“抱腹絶倒で、しかも感動的”と現地ニューヨークで絶賛されたコメディ作品だ。「最初はとても無理だと思った」と戯曲との出会いを振り返りながら、読み込むことで気づいた作品の本質と魅力などを聞いた。

成河、NY発の一人芝居コメディ『フリー・コミティッド』インタビュー

――これまでも、様々な役を演じられてきた成河さんですが、今回は全38役の一人芝居ですね。

僕が今まで4本ほどご一緒させていただいて、とても信頼していプロデューサーさんがニューヨークでこの作品を観て「やってみない?」って声をかけてくださったんです。それがもう、3年前くらいになりますね。一人芝居をちゃんと公演としてやるのは初めてですが、劇団時代に稽古場で落語をやったことはありましたし、僕のメルマガ会員の会で短いものをやったことはありましたし、もちろん興味もありました。でも正直なところ、脚本を読んで「これは無理だよ!」と思いました(笑)。

――どういった部分でそのように感じられたんですか?

このお話は、言ってしまえば“NYあるある”。サムくんという主人公が、アルバイト先のレストランで多種多様な人たちの電話を受けて振り回され続ける・・・つまるところ「様々な人種のショーケース」なんです。これは、ニューヨークの日常風景で。住んでいる人たちにとっては、ものすごくリアリティを感じることで、それを楽しむ作品なんです。でも日本では、そういう共通認識がない。東京だって、地方から出てきている人、外国から来ている人、いろんな人がいますが、それがニューヨークほど表面的ではないじゃないですか。

――人種の多様性の面からして、日本にはない日常ですもんね。

そう。だから、芸人さんのモノマネ〇〇連発みたいな感じに受け止められてしまうんじゃなかという懸念があったんです。おもしろいし、見応えもあると思うんですけど、ネタっぽい翻訳劇になりかねない・・・と。でも、200人くらいの劇場でのロングラン公演ができるというのが、自分にとってはすごく魅力的だったんですよね。別に一人芝居に限らず「狭い空間で長くやる」というのは絶対やりたいことだったんです。「狭い空間で長くやる」というのは、興行として叶えるのが一番難しいことでもあって。だから「そういうことをやろう!」という団体やプロデューサーさんが増えてきているというのは、すごく喜ばしいことなんですよ。

もちろん、大劇場にしかない素晴らしさもあります。一方で、少ない人数で何かを共有するのは、とても贅沢なことだと思うんです。狭い分、深くなるし。例えば、修学旅行の夜。5人部屋で泊まるのと、30人の大部屋で泊まるのだったら、その夜の思い出の濃さって変わりません?演劇における劇場の大きさも、同じなんじゃないかなと思うんです。たくさんの人数で楽しいことを分かち合うのもいいけど、たまには少人数でじっくり深い話もしたいんですよね。

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――では、劇場の大きさと公演期間が、やろうという決め手に?

いや、実はそれだけじゃないんです!時間をかけて台本を読み込んでいくうちに、大きな発見あったんですよ。最初はニューヨークと東京の違いを痛感していたんですけど、脚本を書いたベッキー・モードさんが本当に描きたかったことが見えてきたというか・・・。それは“都会の暮らし”だと思うんです。都会における、スピード感やストレス。それとどう向き合うのかということ。そう考えると、NYと東京はすごく近いなと感じてきて・・・。

――なるほど・・・!

情報が溢れて、自分が今、何を求め、何に向かっているのか見失ってしまう。「自分で何かを選びとる」ということが難しい環境。それこそが“都会の暮らし”だなって。他人からの要求に振り回され続けるサムくんを通じて、そう感じたんです。その中で「こんなに一生懸命やってるのに、なんで自分は恵まれないんだ!」って、皆が思ってるんです。日本でもニューヨークでも。サムくんと同じようにね。自分で好きなものを選んで、好きに生きているように見えて、実は選ばされてるし、やらされてる部分が絶対にある。それが都会。

――“かかってくる電話”というものが、まさにそれを象徴していますね。

そうそう。「電話?取っても取らなくても自由だよ!」って、僕たちはそうなれないんですよね。そんな風に都会の生活の息苦しさや難しさを問いかけてる作品なんです。

果たして自分が選べてるものって何があるんだろう?と考えて、自分で自分の“選択”をするということ。今の僕たちにとってすごく難しいことだけど、何かをもういいやと思った時にやっと一番欲しかったものが手に入る。そういう話なのかもしれないって思いました。自分の置かれている環境を嘆いてきたんだけど、ゆくゆくは「じゃあこの環境を利用して夢を掴み取ってやろうじゃないか」と変化していく。つまり、サムくんという人間の成長が見えてくるんです。そういう目線で結末まで読んだ時に、この作品の見方が一気に変わりました。

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――戯曲の持つ本質的なメッセージに触れられたんですね。

そうかもしれない。だから、“東京”という都会でやる演劇として、この作品に魅力を感じるようになったんです。今の社会と僕たちの喜びの間には矛盾があって、その矛盾を小難しくやるんじゃなくて、軽やかに笑い飛ばそうとしている。そういう作風はアメリカ的で素敵だし、同時に内容は自分たちの生活にも馴染みがあるものだと思ったんです。そう思えるようになってからは、苦戦しながらもめちゃくちゃ燃えています。めちゃくちゃ燃えてるので、経緯からいっぱいお話ししちゃいました(笑)。

――熱意、めちゃくちゃ伝わりました(笑)!(稽古開始直後の)今は、どういったところに苦戦されていますか?

一番は、翻訳ですね。向こうの人種の違いが真っ先に出るのって、発音なんです。訛りとか、RやTHの発音とか。もともとは、いろんな英語のしゃべり方が出てきて、それを楽しむ戯曲でもあるので、日本語でやるとなると、またいろんな問題が出てきました。
例えば、サム君のような俳優も、高級マダムも、ゲイの人も・・・いろんな人がいるけど、英語はみんな主語は「I」。ひるがえって、日本語がいかに複雑な言語かということが出てくるんですよね。一人称だけでも、「わたし」「わたくし」「俺」「僕」「自分」・・・「あたし」と「わたし」だって、ニュアンスが違う。人物の特徴を表すための言語が複雑だから、選択肢も無限なんです。

――確かに、一人称だけでも与えるイメージや意味合いが変わってきますね。

そういう意味で、翻訳家さんがしてくださった選択に、ただ乗っかるっていうことに危険を感じることも出てくるんです。できるなら、どの翻訳劇でも翻訳家さんと延々と話し合って決めたいくらい、大切な部分だから。日本語にする時に、何を「優先」して「選択」するか。その時に生じるズレをどうするか。人物にリアリティを出せる、かつ物語が分かるというギリギリのところのせめぎ合いなんです。高級マダムだからって、安直に語尾に「ざます」を付けていいのか?とかね(笑)。何をもって言葉を選ぶかが、すごく重要。分かりやすくすることだけが大事じゃないんですよね。
「翻訳家の先生がやってくれたものだからこれでやりましょう」という方がもちろん早いんですが、リアリティがないものは見向きもされない時代です。だからこそ、そういう切実な部分で関わってくれる翻訳家さんやスタッフさんには救われますね。今回は、翻訳の常田さんと演出の千葉さんと僕で稽古前に翻訳についていろいろ話合えたので、とてもありがたかったです。

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――38役、翻訳を含めての役柄へのアプローチ、とてもエネルギーが要りそうですが、複数の役を演じ分ける上で成河さんが大切にされていることはありますか?

人物の性格だけでなく、何をしようとしている人なのかっていう動機付けをするようにしていますね。クレームを言おうとしている、取材をしようとしている、予約をしようとしている、とかね。あとは、人物をまったくの0から捏造するんじゃなくて、自分が今までの人生で出会ってきた人を当てはめる。そういうのがないと、しゃべり方優先のお芝居になってしまうので。なかなか大変な作業ですが、このハードルを越えた先に、この物語が伝えたいものが見えてくると思うので越えたいです。

観に来てくれたお客さんの感想が「いろんな役が見られて楽しかった」「人物の切り替えが見事だった」っていうものなら、負けなのかなって僕は思っています。そうじゃなくて、都会で生きる何人もの人を通して、都会での生活のことを感じたり、客観的に見つめたりしてもらえたら嬉しいですね。それが都会でやる演劇の役割かなって思っています。

――今までのお話を聞いて、都会でこの演劇を観るという“選択”を自らすることに意味があるんだろうなと思いました。

そうですね。ただ、この作品が物語るように、都会っていうのは非常に人が能動的になりにくい場所なんですよ。それでいうと映像は、流れてくるものを受けていく、という意味でとても受動的なもの。演劇は何が違うかというと、劇場に出向かなくてはならない、体験しなくてはならないからお客さんも能動なんです。演者と同じ。つまらなかったら、出て行ってもいいし、寝てもいい権利を持っている。それでこっち(演者)は傷ついたりもする。だから意味がある。都会で能動的に何かを考える“最後の砦”でもあるのかなと思いますね。

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――“最後の砦”がどうなるのか、楽しみにしています。

演劇一つ観るにしても、何をどう観たらいいか、どんなものが良作か、何が正解か?ってなってしまうのが僕たちの病だけど、僕たちの昨日今日明日のお話だから、何にも考えず、構えずに来て欲しいですね。もはや、演劇とかお芝居は手段。「都会の生活や日常について考えてみる」ということに、演劇を使っているだけ。そういう風に観られるように、客席との壁を取り除いていきたいです。特別な“演劇”を観るなんて思わずに来て欲しい、「平服でお越しください」ってやつです(笑)。

――今回の上演劇場であるDDD青山クロスシアターの立地的にも、とてもハマりますね。大都心を通って劇場へ行くという、都会の日常。

まさしくそうですよ!来た時と帰る時にその都会の風景が違って見えたら、大成功かなと思います。行きと帰りで、青山が、東京が、そしてその中にいる自分がどう変わって見えるのか。演劇の魅力ってそういうものだと思うから。

成河、NY発の一人芝居コメディ『フリー・コミティッド』インタビュー_6

◆公演情報
『フリー・コミティッド』
2018年6月28日(木)~7月22日(日) DDD 青山クロスシアター
【脚本】ベッキー・モード
【翻訳】常田景子
【演出】千葉哲也
【出演】成河

(撮影/エンタステージ編集部)

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