名だたる演劇人に挑む、マームとジプシー藤田貴大インタビュー「寺山修司の作品を僕の作品に創りなおす」


数々の演劇名作を遺した寺山修司。彼の生誕80周年の一作として、2015年12月5日(土)~27(日)、東京芸術劇場シアターイーストにて『書を捨てよ町へ出よう』が上演される。演出は、マームとジプシーの藤田貴大。2014年には野田秀樹氏『小指の思い出』を勝地涼主演で上演し、2016年には蜷川幸雄の半生を描く『蜷の綿』の公演が控えている。
錚々たる演出家の作品に挑む藤田は、今回どのような思いで寺山修司の名作に向かうのだろうか。村上虹郎を主演に選んだわけとは?

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――今回の作品上演はいつ決まったんですか?

けっこう前に決まったんですよ、2年前くらいかな。2014年に『小指の思い出』という作品を上演したんですが、それと同時期に、ポスターハリスギャラリーの笹目浩之さんに声をかけていただいたんです。笹目さんはかなり前から僕の作品を見てくれていて、「寺山修司生誕80周年のイベントをやるから、合わせて演劇もやってほしい」というお話をいただきました。

――渋谷のポスターハリスギャラリーでも、秋に寺山修司展覧会を開催していましたね。寺山修司の戯曲の中でも『書を捨てよ町へ出よう』を選んだのはなぜですか?

とにかく自由度の高い作品に取り組みたかったんですよね。寺山さんの世界観を現代に呼び起こすのは僕の仕事じゃない。それよりは、寺山さんの作品をまったくの自分の作品に創りなおしたい。それができるのは『書を捨てよ町へ出よう』ぐらい自由がきくものだなと思って選んだんです。

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最初は『奴婢訓』や『毛皮のマリー』のように、もうちょっと世界観が決まっている台本も候補にあがっていたんですよ。だけど『書を捨てよ町へ出よう』は、映画にもエッセイにも演劇の上演台本にもなっていて、それぞれの世界観が違うんです。自分の言葉じゃないものを、透写したように書いていたりもする。たぶん寺山さんは『書を捨てよ町を出よう』の中でコラージュのような事を考えていたと思うんです。シーンの断片をつなぎ合わせる・・・みたいなことが、今、僕が考えていることに合っていて、自分の作品にできそうだなと思いました。

――映画・エッセイ・演劇脚本とあるなかでも、今回は映画をベースにするとか?

そうです。映画をほぼベースにしようかなと思っています。もちろん本から抽出してもいいんですけど、軸としては映画の、津軽弁でしゃべりだす男のシーンから始まってなぜかボクシングのリングに立って・・・というのをまず主役を演じてくれる村上虹郎君にやらせたいな。虹郎君を舞台の中心に置きながら、童貞を捨てられなかったり、妹がレイプされたりするなかでの一人の少年のやりきれなさを軸にするのが良いかな。
でも映画の最後の「これは全部フィクションでした」ってオチは、良くも悪くも古いとも思うんですよ。だけど、それを僕なりにどう解釈してやるかというのは楽しみですね。

役者としての魅力より、その存在に惹かれる

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――主演の村上虹郎さんは、藤田さんがオファーされたんですよね?

虹郎君のことは一方的に知ってたんですよ、僕、彼のお父さんの村上淳さんが好きだから。お母さんのUAさんの事も好きだし。UAさんは2013年に僕の芝居を観に来てくれて、知り合いましたしね。

虹郎君を初めて見たのは、もっと前です。2010年に開催したワークショップの発表会の場所を探しに行った学校で、UAさんに連れられる虹郎君を見かけたんです。その時からずっと気になる子だったんですよ。それがちょうど上演が決まった時期に、「最近カナダ留学から帰ってきて俳優やるらしいよ」という噂を聞いたんです。だからキャスティングは最初から「虹郎君が良いです」とオファーしました。駄目だったらオーディションやろうかな、と考えてたんだけど・・・虹郎君に決まって良かったな。

――ずっと村上虹郎さんという存在が気にかかっていたんですね。

ええ。彼は去年デビューしたばかりだから、俳優としての虹郎君を僕は知らなかった。だけど虹郎君っていいなと思うんです。それは彼の話であったり、彼の見せる尖った感情であったりがいいなと思っているのであって、俳優としての実力はそれほど重要視していなかった。
今回1日限定で映像出演していただく歌人の穂村弘さんや芸人の又吉直樹さんも同じです。彼らを“穂村弘”や“又吉直樹”ではない存在として舞台に乗せることは、結局のところできない。

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――いい役者だからというよりも、その人の持つ魅力に惹かれたんですね。

今までの舞台でも、役者として上手いから舞台にあげたということは無いんですよ。それは僕の作品によく出演している青柳いづみだってそうだし、他の役者さんもみんなそう。僕はただその人が、僕が作った世界に居てくれているということに昔からこだわってやってきている。それが今回は偶然、虹郎君だったりするだけなんです。

この感覚って実は、寺山さんと似ているんじゃないかな。寺山さんもたぶん偶然会った人を連れてきて映画に出演させたりしてるじゃないですか。だから『書を捨てよ町へ出よう』の映画を見ていると、その感じを舞台にできたらすごくいいなあとも思うんです。正直、すごく雑な仕事をしてるな・・・と思う時もあるんだけど(笑) 。でも映画を見て舞台にしたいなと思えたから、今回の作品も映画を軸にするつもりなんですよ。

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――映画と同じく、津軽弁なんですか?

どうしよう。穂村弘さんにもいろいろ相談しているんですけど、津軽弁を無くさない方が良いのかもしれないとはちょっと思ってるんです。というのは、寺山さん自身、青森の方言が抜けなかったんですよね。寺山さんの短歌や詩は都会的なんだけど、方言が抜けない人だからこそ書けている短歌のリズムもあるのかもしれないなんて考えると、訛りはあってもいいのかもしれない。それはちょっと悩んでます。

――方言をどうするかということもですが、寺山修司の映画を自分の作品に書き変えていくんですね。

だいぶ組み替えてくと思います。虹郎君の実際のエピソードを使ったりするかもしれないですし。

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僕のために「学び」、僕のために「演劇をする」

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――今回の作品のように、過去の人気作を演出することも増えていますね。あえてそうしているんですか?

はい。最近、年上の方の戯曲をやることが好きなんですよ。だから去年は野田秀樹さんの『小指の思い出』をやったし、今年は寺山さんの戯曲を、と。
30歳という年齢の今、先輩方の戯曲を自分の作品として上演することで、自分自身の演劇のブラッシュアップをしたいんです。そのためには、演出して楽しい作品かどうかではなく、僕にとって勉強できる作品かどうかを最優先に考えて、上演台本を選んでいます。

――勉強というと例えば?

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まったく個人的な事でもあるんですけど・・・
26歳で岸田戯曲賞を受賞したことで、演劇が“辞めちゃいけないもの”になってしまった。それまでは、自分の作品を書き下ろしてそれだけを上演していればいいという意識が強かったし、そのうち演劇を辞めてもいいかもしれないって思っていたんです。
でも一度世間から評価されてしまったことで、死ぬまでやらなきゃいけないことになってしまった。まだ26歳だったから、賞を取ってからの人生が他の人よりも長いなと思って、すごく暗くなっちゃったんです。
その時に、このまま自分の書いた作品だけをやっていていいのか、という疑問にブチ当たったんですよ。それから違うアーティストとコラボレーションするようにしてきました。それが『マームと誰かさん』というシリーズになっていく。

そんななか、小説家の川上未映子さんの作品を演出する機会があったんです。初めに川上さんの文章を読んだ時はただファンだったんだけど、それを実際に演出してみたときに、彼女の持つ言葉のセンスや才能って僕には無いなと実感して、初めて人の言葉で打ちのめされたんです。それまでは自分が最強だと思ってた(笑)。だけど川上さんの言葉に出会って、僕は言葉について全然知らなかったと感じたんです。

――実は言葉を知らないということがわかって、勉強したくなった、と。

ええ。それがきっかけのひとつになって、野田秀樹さんや寺山修司さんの作品にも取り組もうかなと思えました。
でも、どの作品をやるかって本当に重要なんですよ。当たり前の事かもしれないけど、まず僕が一番楽しめる作品でなければお客様も楽しんでくれない。昨年上演した野田秀樹さんの『小指の思い出』は、中学3年生くらいの時に観た印象がすごくビビッドに残っていたものだし、『書を捨てよ町に出よう』も高校生の時に読んで印象に残っていた本なんです。

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――10代の頃に読んだ印象深い作品を、今、演出しているんですね。

『書を捨てよ町へ出よう』を読んだ当時は室蘭に住んでいたんですけど、僕の町には書店が無いから、週末になったらヴィレッジヴァンガードに本を買いに行きたかった。高校生の時に行くヴィレッジヴァンガードって、衝撃だったんですよ。でも苫小牧まで行かないとヴィレッジヴァンガードがない。先輩の車に乗って苫小牧に行くのがすごく楽しみでした。その苫小牧のヴィレッジヴァンガードはショッピングモールに入っていて、雨や嵐になると目の前の国道に波がバァーって入ってくるから国道が封鎖されて、そのショッピングモールには行けなくなっちゃうんです。だから週末をすごく楽しみにしていても、雨になったらヴィレッジヴァンガードに行けない。

そんな思いでその頃の小遣いで買ってきた好きな本に、寺山さんの「書を捨てよ町に出よう」や穂村弘さんの「手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)」なんかもありました。「ドグラ・マグラ」や雑誌「夜想」や宮沢章夫さんの本と並んでいたのを今でも覚えています。

10代の時に文化が豊かではない町で、ものすごく文化に手を伸ばそうとして、「野田さんの劇を観たい」「寺山さん、青森出身でなんか近いらしい」と思いながら本を読んでいた。その時の本をこの年齢になって読み返して、もう一度自分のなかで考え直してみるとどうなるのかなとわくわくします。今の年齢で演出するとわかることがある。まさに勉強しています。

――演出することで勉強しているんですね・・・。藤田さんは何のために演劇をしているんですか?

まずは完全に自分のためですね。僕自身が潤わない表現だとしたら、観ている皆さんも全然楽しくないはずですから。だからまずは、僕は僕のためだけに動けばいいと思っているんです。

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同時に、演劇ってすごく責任を伴っていることもわかっていて。お客様が劇場に来てから帰るまでの道のりを考えると、3時間ぐらいを僕の作品を観るための時間にしてくれているし、そのための労力とお金も支払ってくださっている。お客様だけでなく、役者さんやスタッフさんを食べさせていかなければいけないし、どの舞台に出るよりも大きいギャラを払わなければいけないという責任感もあります。だからお客様や役者やスタッフのためにやっていないとは言い切れないけれど、僕のためにやっている事は忘れずにいたいですね。

――自分のためにやっているという事は、ベストだと思っている作品を上演しているという事ですよね。それは上演を楽しみにしているお客様や、役者さん、スタッフさんのためにもなるのではないでしょうか。

そうですね。僕が今突き詰めたいことや問題意識は、いくら人に説明してもわからないかもしれない。究極、作家ってやっぱり一人なんです。たった一人の僕が僕のためにやったことが、まず役者さんに伝わって、それからお客様にも伝わっていく・・・という順序がマームとジプシー。それはずっと昔から変わっていないです。
だからきっと、僕の劇を観てすごく息苦しくなる人はいると思います。いろんな解釈も意見もあるでしょう。それでも、やっぱり僕は自分のために演劇をしている。運良くそれを楽しんでくれている人がいるから、今まで作品を創り続けていられるんだと思うんですよ。

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◇藤田貴大 プロフィール◇
1985年、北海道伊達市出身。桜美林大学文学部総合文化学科にて演劇を専攻。2007年マームとジプシーを旗揚げ。全作品の作・演出を担当し、演劇作品を発表。象徴するシーンのリフレインを別の角度から見せる映画的手法が特徴。2011年以降、様々な分野の作家との共作を積極的に行ない、自身の活動へ還元させている。10年6月坂あがりスカラシップ2010対象者として選抜される。11年6月-8月にかけて発表した三連作「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で第56回岸田國士戯曲賞を26歳で受賞。14年2月横浜市文化・芸術奨励賞を受賞。

◇RooTS Vol.03 寺山修司生誕80年記念企画 舞台『書を捨てよ町へ出よう』◇
公演日程:2015年12月5日(土)~12月27日(日)
東京芸術劇場 シアターイースト
作:寺山修司
上演台本・演出:藤田貴大(マームとジプシー)
出演:村上虹郎、青柳いづみ、川崎ゆり子、斎藤章子、召田実子、吉田聡子
石井亮介、尾野島慎太朗、中島広隆、波佐谷聡、船津健太 / 山本達久(ドラマー)
映像出演:穂村弘(歌人)、又吉直樹(芸人)
公式ホームページ:https://www.geigeki.jp/performance/theater097/

撮影:原地 達浩

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